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26-70 トオル
戦争によって、画壇 はふたりの天才を逃 したんかもしれへん。
いや、実はもっと大勢 いたんかもしれへん。
絵に限 らず、すごい才能 を持って生まれてきたけど、生憎 の戦争で、その才能 を発揮 する間もなく死んでもうたような人らも、大勢 おったんやろな。
アキちゃん、ラッキーやった。平成の子で。
もしも自分に才能 があれば、それを活 かすことができる。
自分の努力しだいや。そういう、自由な世の中なんやもん。
もっともそれも、一般人 なればこそ。
アキちゃんは鬼道 の家の子や。そんな自由な世の中を楽しめるのも、生憎 の鯰 様や龍 に、食われて死なへんかったらの話やで。
「お前のおとんはなぁ、坊 、ほんまに絵描 きになりたかったんや。とはいえ、ボンボン育ちでな、それで食いたいというほど、金勘定 のできる奴 ではなかったけども、絵だけ描 いて生きてられたら、それが一番幸せやって、そんな男やったわ。家を継 ぐのも、内心渋々 やったやろ。それでも怠 けてはおらんかったで。お前の歳 にはもうとっくに、立派 に一人前 のご当主 様で、誰 にも文句 のつけようのない、実力と経験 を兼 ね備 えた、立派 な覡 やった」
狐 が酌 とっている、自分が絵から取り出した酒の、とろりとした水面を見つめ、大崎 茂 は淡々 とアキちゃんに話した。
「本音 を言うたら、そら嫌 やったやろ、アキちゃんも。死にたないわ、誰 かてな。好きな絵だけ描 いときたい。お前もそう思うてんのやろ。正直 に言え」
「思てます」
アキちゃん、めっちゃ正直 やった。即答 やった。
「そうやろう。正直 でええわ。それでもお前のおとんが逃 げへんかったのはな、理由があんのや」
アキちゃんに、酒を注 いでやりながら、ふっふっふと糸目 になって笑い、大崎 茂 は人を化 かす狐 のようやった。
「あのな。アキちゃんはこう言うていた。茂 、いろいろ考えたけどな、活動写真 でヘタレなやつは、逃 げて背中 から斬 られるもんやろ。俺はそういうふうには、死にたないねん、と……」
それがいかにも可笑 しいらしく、大崎 茂 はなにかを思い出している目付きで、微 かに身を揉 んで笑っていた。
「要 するにな、坊 、お前のおとんは、格好悪 いのが嫌 で、逃 げへんかったんや。突 き詰 めれば、ただそれだけのことやねん。アホやなあ、アキちゃんは……ほんまにアホやった」
懐 かしそうに、そう言うて、大崎 茂 はまた酒を、一気に呷 (あお)っていた。
ぷうんと甘 い、伏見 の酒の匂 いがした。
「けどなあ、坊 。お前のおとんは、ほんまに、格好 ええ男やったわ。俺には到底 、勝たれへん。誰 も勝たれへんぐらい、格好 ええ男やった」
しみじみ言うて、大崎 茂 は酒に濡 れた、自分の唇 を舐 めた。
「お前もなあ、坊 ……その血を示 せ。アキちゃんと、登与 姫 の子ぉなんやったらなぁ、できひんわけがない。お前がただのぼんくらやなんて、俺は信じへんで、本間 の暁彦 。えらいおとんの名をもろたんやさかいなぁ、その名に相応 しい男に、ならなあかんのやで」
なんやようわからん、艶 っぽい声で、爺 さんがそう言うていた。
ほんまはこの人、もともと人間やのうて、狐 か狸 が化けてんのやないかって、そんな気がする妖 しさやった。
ほんまにただの人の子の、はずなんやけどなぁ、茂 ちゃん。
せやけど、狐 に取 り憑 かれ、狐 みたいになってきてんのやないやろか。
秋尾 はえらい、にこにこ、にんまりして、ええ気分らしかった。
可愛 い顔して笑 うてるけど、こいつが側 についてるせいで、大崎 茂 は狐憑 き。
アキちゃんが俺と、一緒 におったせいで、蛇 憑 きになってもうたみたいにな。
そして大崎 茂 の場合、狐 は一匹 だけやない。もっとすごい狐 の神様が、茂 ちゃんのバックについてた。
その神様が、突然 ぼよよーんとご光臨 なさったんやから、びっくり仰天 、ほんまの話や。
ボワーン、てものすごい白煙 が、俺らの座 っている車座 の、真 っ赤 なソファの真 ん真 ん中 に、突然 降 って湧 いた。
秋尾 がドロンするときの煙 と同じ、なんかちょっぴり焦 げてるみたいな、香 ばしくて甘 い匂 いのする、もくもく白い煙 やった。
「秋尾 ちゃん!!」
煙 の中から、でっかい白狐 に跨 った、大あわて顔の美人のオバチャンが現 れた。
真っ白い、ふさふさの毛皮みたいな長い髪 の毛 をしてて、狐 みたいな吊 り目 の目尻 に、真 っ赤 なアイラインが入ってる。
しかも、なんでか知らん、右側の目だけ二重目蓋 で、しかも睫毛 が異様 に長かった。
現 れた異様 なオバチャンを、俺らはぽかーんと見上げた。
秋尾 と大崎 茂 も、ぽかーんと口あけて、あんぐり見ていた。
見上げるような、でかいオバチャンやってん。
「ダーキニー様」
ぽかんとしたまま、少年声の秋尾 が、そのオバチャンの名らしきモンを呼 んでいた。
ダーキニー様?
って、誰 ?
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