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26-77 トオル
ていうか、出てへんかったのかなあ。骨抜 き光線は。
出てるつもりも、ちょっとはあったのに。
アキちゃん余裕 で浮気 してきやがるんやもん。
出てへんかったんやろなあ。
悔 しいわあ、って、俺様 、ひとり反省会 やった。
そんな俺の可哀想 っぽい胸 の内 は全く知りもせず、怜司 兄さんは嬉 しそうやった。
歌歌うのが好きらしいねん、この人な。そういう妖怪 らしいわ。
ただでさえ神やら物 の怪 やらは、歌舞 音曲 を好むものやけども、中でも怜司 兄さんは、歌は世に連 れ世は歌に連 れ、世相 を反映 した流行曲 を、時代時代に歌い継 いできた京雀 の化身 やねん。
お歌が大好き。
かつては歌った。自分を金で買った客の強請 るまま。
都 の歌をうとてくれと強請 るイナカモンにも、京の都 の今様(いまよう)をうとてやり、アキちゃん茂 ちゃんコンビが遊ぶ祇園 の座敷 でも、やつらが聴 きたい歌は、なんでも歌 うてやっていた。
ただ歌うだけやない。
楽器も弾 けるよ、怜司 兄さんは。なんでも弾 ける。
怜司 兄さんはポカンと、黒くてもじゃもじゃした毛玉 みたいなのを喚 びだした。
バスケットボールくらいの黒いダスキンや。
ヴィラ北野 の廊下 を、掃除 しとったやつや!
そいつは、恨 んだようなジト目で空中に突如 現 れて、喚 びだした怜司 兄さんと向き合いつつ、ぷかぷか浮 かんでいた。
俺とアキちゃんと藤堂 さんだけが、ポカーンとして、大崎 茂 と狐 は平然 。
平成 の鬼嫁 ・神楽 遥 だけは、むすっと同じ、恨 んだようなジト目で、その妖怪 を見つめていた。
「茂 ちゃんが、祇園 小唄 聴 きたいんやって。せっかくやから生音 でいこか。三味線 に化 けてくれ」
のんびりした調子 で、怜司 兄さんが命令すると、黒いダスキンは、キッキッと猿 みたいな声で鳴いた。
それは、はい、わかりました的なお返事やったらしい。
そいつはまた、ポカンと消え、その一瞬 後 に、なんか長い竿 のある楽器 に変身していた。
三味線 ?
ふわりと膝 の上に降 りてきたその楽器 を、怜司 兄さんはとりあえず受け取ったけども、張 られた弦 にはさまれていた白い撥 で、綺麗 な和音 を掻 き鳴 らしつつ、突 っ込 んでいた。
「ちゃうで、これ。三味線 やないわ。三線 やで、沖縄 の。微妙 に違 うな。もういっぺん、やり直しや」
そう言われ、蛇革 が張 られた三味線 みたいな楽器 は、さっきの黒ダスキンと同じ声で、焦 ったようにキッキッと、また鳴いた。
そうして、慌 ててドロンとまた化けたものの、今度はもっとちっさくなっていて、三味線 から遠くなってた。
「これ、二胡 やで。さらに遠くなっていってる」
怜司 兄さんが突 っ込 むと、黒ダスキンはさらに慌 てた。
キッキッと鳴いて、ドロンドロン化けまくった。
「いや、ちゃうわ。これは琵琶 や。いやそれは馬頭琴 。月琴 。シタール。ウード。どんどん遠なっていってるで!」
苦笑 しながら、怜司 兄さんがツッコミ入れつづけていると、空中にまたもう一つ、ぽかんと別の黒ダスキンが現 れた。
そいつは怜司 兄さんに、ぺこぺこ頭を下げた。
といっても、体と頭の区別があるわけやないから、ゆらゆら揺 れているだけやったんかもしれへんのやけど、気持ち的には謝 っているように見えた。
「こいつ新米 なんか。ベテランは他 の仕事で忙 しいと。なあるほど……でも三味線 弾 きたいねん。お前が化 けて」
怜司 兄さんがそう強請 ると、後から出てきたほうの黒ダスキンは、はいはい、それはもうって、粗相 のあったファミレスの店長みたいに、平身低頭 しながら、何度目かのお辞儀 のあと、ドロンと三味線 に化けた。
ちょっと古びた味のある、それでもええ音出そうな、使 い込 まれた一竿 やった。
怜司 兄さんがそれをキャッチするため、今やもう何やわからんようになった新米 のほうは、弦 もだらんと垂 れてもうて、床 に置かれるなり、パチンとくしゃくしゃの古いダスキンみたいなのんに戻 った。
もう交換 かしらね、みたいな、そんなボロボロさやった。
キッキッと小さく声を上げて、そいつは泣いてた。
ほんで、床 に垂 れた涙 を、自分の体でごしごし掃除 してた。
可哀想 やなお前。なんて可哀想 な奴 や!
気にするな、失敗は誰 にでもある。
新米 なんや。誰 かて最初は素人 や。気にすることあらへん!
俺は心でそう励 ましたけど、心ででも励 ましたらあかんかったんかな。
涙目 で、新米 ダスキンは俺を見た。
ジト目やったはずの目が、白いハート型になっていた。
な、なに? なんやねん。
そんな目で見んといて。俺に触 ると火傷 するぜ。
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