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26-78 トオル

 せやけどもう、時すでに(おそ)しやってん。  ハート目になったボロボロダスキン(新米)、ものすごい早業(はやわざ)で俺に飛びついて来よってん。  うわあって、俺もアキちゃんも()()ってたけど、黒ダスキンはそんなもんお(かま)いなしで、(ゆか)()いた体で、俺様(おれさま)(うるわ)しい平安コス(レンタル)に、すりすりしよった!  これ借り物やのに! 大崎(おおさき)(しげる)(おこ)られたらどないしてくれんねん! 「あっ、()()えよったな」  びっくりしたみたいに、怜司(れいじ)兄さんがこっちを見ていた。  (くわ)煙草(たばこ)三味線(さみせん)調弦(ちょうげん)しつつ。 「何こいつ!? 何これ!? 何やねん気色悪(きしょくわる)い! ()がしてくれアキちゃん、()がしてくれ!」  俺がわめくと、アキちゃんが一応(いちおう)、やめとけみたいに黒ダスキンを俺の(むね)からひっぺがしてくれたけど、それでもダスキン、はふはふ言ってた。まだまだ()()りたいみたいやった。尻尾(しっぽ)あったら()ってそうやった。 「何これって、知らんのか、(とおる)ちゃん。最下等(さいかとう)使(つか)()やで。どこにでもおるやろ? 持ってへんのやったら、それやるわ」 「いらんて! こんなん、いらんから! お返しします!!」  まだまだ鼻息フンフン言ってるハート目の小妖怪(ようかい)に、俺はひいってなりつつ、怜司(れいじ)兄さんに丁重(ていちょう)辞退(じたい)した。  そやけど怜司(れいじ)兄さん、調弦(ちょうげん)すんのが楽しいらしくて、俺の話なんか、全然聞いてくれてへん。 「助かるわぁ。()えて()えて(こま)ってんのや。何やったら、もう五・六(ぴき)、もらってってくれてええよ。こう見えて、こいつら役に立つんやから」 「大崎(おおさき)先生、うちの廊下(ろうか)を、それに掃除(そうじ)させてますよね」  ええタイミングやったんやろか。突然(とつぜん)藤堂(とうどう)さんが(しゃべ)った。  (うら)んでますみたいな、微妙(びみょう)そうな声色(こわいろ)で。 「させとるで。助かるやろう、藤堂(とうどう)(すぐる)。ホテル広なってるしな、お前んとこの従業員(じゅうぎょういん)だけやと、掃除(そうじ)ひとつとっても、どえらい超過勤務(ちょうかきんむ)労働基準法(ろうどうきじゅんほう)違反(いはん)やろ。せやし、式(しき)を()してやっとんのや」  ちなみに、大崎(おおさき)先生んとこの工場の掃除(そうじ)も、この黒ダスキンがやってるらしいです。ほんまやで。  もちろん、カムフラージュ用に、ほんまもんの人間の清掃(せいそう)スタッフも入ってはるけど、それをはるかに上回る数の、お掃除(そうじ)式神(しきがみ)が、夜の工場をワサワサうろついている。警備(けいび)()ねてな。 「こんなもんが、まともに掃除(そうじ)できるんですか……」  否定(ひてい)したいが、藤堂(とうどう)さんの声は()え切らんかった。  まともも何も、実際(じっさい)のところ、ホテルの清掃(せいそう)レベルは最上級クラスに(たも)たれている。  (まど)(かがみ)もぴっかぴか、(ゆか)には(ちり)ひとつなく、喫煙(きつえん)コーナーの灰皿(はいざら)()(がら)すら、いつの間にやら一瞬(いっしゅん)片付(かたづ)いている。  食うとんねん、黒ダスキンがな。  大丈夫(だいじょうぶ)なんか、そんなもん食うて。ニコチン中毒(ちゅうどく)とかならへんのか。さすがは妖怪(ようかい)やな。 「なまじな人間よりええで。(なま)けしんへな、給料(きゅうりょう)もいらん。それに、普通(ふつう)のゴミだけやのうて、害虫や害獣(がいじゅう)駆除(くじょ)しよるし、悪い(れい)も弱いヤツなら、()って(たか)って()()くしよるわ。お前んとこも、長いこと営業(えいぎょう)してたら、そういうもんが()かんとも(かぎ)らんやろう。自縛(じばく)(れい)とかな、客が連れてきて、落としていったような、始末(しまつ)(こま)悪霊(あくりょう)がな」 「そんなアホな……」  藤堂(とうどう)さん、大崎(おおさき)(しげる)の話に、(こま)り顔やった。  藤堂(とうどう)さんなあ。こう見えて、霊感(れいかん)ないねん。全く感じへんらしい。  本人は何や、得体(えたい)の知れん強いオーラを(はな)ってんのになあ。  むしろ、そのせいやろか。藤堂(とうどう)さんには、幽霊(ゆうれい)とかは、(いや)がって近寄(ちかよ)らんみたいやねん。せやし、そんなもん、見たことないんやんか。  ホテルちゅうとこは、出ます、みたいな、開かずの()が、ひとつふたつはあるもんやねん。  よっぽどのピーク時で、部屋(へや)がもうないっていうような時にしか、客を入れへんような部屋(へや)がな。  そういうのは、必要な措置(そち)なんやで。せやけど藤堂(とうどう)さんは、無意味(ナンセンス)やと思うんやって。  それで、オッサンが、気にせず幽霊(ゆうれい)部屋(べや)に客を()めるかというと、そうではない。  そういう部屋(へや)は、統計的(とうけいてき)に見て、お客様からのクレームが多かったり、トラブルが起きたりと、ろくでもない客室であることは事実やと、藤堂(とうどう)さんも(みと)めている。  意味は分からへんけども、経験論(けいけんろん)(てき)に、そこには極力(きょくりょく)(だれ)()めへんほうがいいと、藤堂(とうどう)さんも認識(にんしき)している。  しかし、イラつくらしい。その、意味わからへんトラブルに、非常(ひじょう)にイラつく。  俺が東山(ひがしやま)(ぼう)ホテルの最上階で、オッサンに()われていた(ころ)にも、隣室(りんしつ)がうるさいと度々(たびたび)クレーム電話をしてくる客がおって、客室係が対応(たいおう)して、静かにしてもらうようにお願いしておきますと、客を(なだ)めていたものの、あんまりそれが相次(あいつ)ぐもんやから、その客キレてもうて、支配人(しはいにん)を出せとロビーで怒鳴(どな)ったらしい。  それで藤堂(とうどう)支配人(しはいにん)がご登場やったらしいんやけども、そのキレ客の、うるさい(となり)部屋(へや)というのには、実は(だれ)()まってへんかったんや。  ()部屋(べや)やった。()かずの()やってん。

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