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26-84 トオル

 そら、しんどいかもしれへんな。俺もしんどいもん。  アキちゃんフラフラで、俺もしんどい。  その気持ちは、わかるんやけど。  でも俺がこいつに、(なさ)けをかけてやる義理(ぎり)はないやん?  俺はなんにも、言わんかった。  (しげる)(きつね)も、にやにやしているだけで、何も言う気がないようやった。  アキちゃんも気まずそうに、絶句(ぜっく)していた。  もちろん藤堂(とうどう)さんも、()(だま)っていた。  何を言うてええやらという空気が、赤い革張(かわば)りソファーに(かこ)まれたブースに、ただただ充満(じゅうまん)していた。 「あのさ、もう三味線(しゃみせん)()いてもいいかな?」  どないしよかなって、ずうっと待ってたらしい怜司(れいじ)兄さんが、その重苦しい沈黙(ちんもく)(やぶ)った。  空気読めてないからこそできる(わざ)や。 「三味線(しゃみせん)でもバグパイプでもなんでもお好きなようにどうぞ」  ものすご暗いまま、(よう)ちゃんがそう答えた。  言葉の端々(はしばし)にウニ(なみ)のトゲがびっしり生えてた。 「(こわ)いなあ、神父さん(ファーザー)。しゃあないやん、支配人(しはいにん)イケてんのやから、モテても当然なんやで。ケチケチせんと、(みな)でシェアしよ?」  あかんあかん。怜司(れいじ)兄さん、空気読んで読んで。(たの)むから。  (よう)ちゃん今、()()んでるっぽいから。  やめといてって、俺はそんなブロックサインを、オタオタ怜司(れいじ)兄さんに送ったが、そんなん勿論(もちろん)スルーされたわ。 「シェア?」  ものすご(こわ)い、冷静みたいな声で、(よう)ちゃんが怜司(れいじ)兄さんに聞き返していた。  悪魔(サタン)(ほろ)びよまで、あと5秒くらいか。  秒読み段階(だんかい)には、確実(かくじつ)に入っている顔つきやった。 「シェア?」  こくこく(うなず)いている怜司(れいじ)兄さんに、それだけやと理解(りかい)不能(ふのう)やったんか、神楽(かぐら)(よう)はもういっぺん同じことを()いていた。 「シェアですか?」  駄目押(だめお)しで、三度目に(ねん)()しされると、さすがの怜司(れいじ)兄さんも、ちょっぴり(こわ)くなっちゃったみたい。うふって笑って、(うなず)くのをやめていた。 「シェアなんかしません。(ぼく)のもんなんです。遊びでやっとうのやないんですよ。あなた方みたいに、ちょっとつまみ食いで手出してるんと(ちが)うんです。本気で人生(ささ)げてるんです。貴方(あなた)も本気やないんやったら、やめといてください。ぶっ殺しますよ、ほんまに」  (よう)ちゃん、格好(かっこう)イイ……。  でも俺、ちょっとチビりそう。  ぶっ殺されるんや、やっぱり。  (よう)ちゃんの心の、もう殺さなあかんリストに、俺も()ってるんや。  イイ子にしとかへんかったら、ホーリー(けい)瞬殺(しゅんさつ)とか、そういうのもアリなんや。  こいつのバックには、たぶん確実(かくじつ)に、ヤハウェが()いとる。  やばいやばい、やばいから! イイ子にしとかなあかんから! 「本気やないです、すみません……」  怜司(れいじ)兄さん、素直(すなお)(あやま)ってはった。  うんうん。本気やないよな、うんうん。  おとん本命(ほんめい)やもんな。俺もアキちゃん本命やもん。  オッサン美味(うま)そうやし、ちょっと食いたいだけやねん。  (さび)しいなあ、なんや小腹(こばら)()いたわっていうときに、ちょこっと()りたい。それだけやねん。  ゴメンネ、(よう)ちゃん。悪気(わるぎ)はなかったの。  兄さんも俺も、ただ色魔(しきま)なだけなの。  反省するから(ゆる)して。()(あらた)めるから。 「(だま)って三味線(しゃみせん)()いといてください。貴方(あなた)はもう二度とこのホテルに来ないでくださいね。もし来たら攻撃(こうげき)と見なしますから」 「……ハイ」  怜司(れいじ)兄さん、ものすご素直(すなお)にハイって言うてた。  ほんまや。大崎(おおさき)(しげる)の言う通りや。  神楽(かぐら)が本気で、来るなて言えば、外道(げどう)は来ないもんなんや。  俺は気合いが足りてへんだけなんや。  なんか(ゆる)してもうてんのや。  アキちゃん浮気(うわき)せんといてって、(すご)んでみせるけど、でもそれもしゃあないわ、血筋(ちすじ)の定めやって、どっか(ゆる)してもうてんのやないか。  (ゆる)さへん。関係あらへん血筋(ちすじ)の定め。  ちょっかい出す(やつ)皆殺(みなごろ)し。フラフラしたら半殺(はんごろ)し。  それくらいの(いきお)いでいかなあかんのや。  勉強なった……ありがとう、神楽(かぐら)(よう)。ありがとう……。  俺ももう、このホテルに近づいたりせえへんから、攻撃(こうげき)と見なさんといて。 「(こわ)(よめ)やで。(かな)わん、(かな)わん。とんだ鬼嫁(おによめ)さんやないか? ()(しら)けたわ。ひとさし()って(にぎ)やかにしてくれ、秋尾(あきお)(おぼろ)もな、景気(けいき)よう歌え。お前の綺麗(きれい)な声()くの、(ひさ)しぶりやさかい(うれ)しいわ」  藤堂(とうどう)さんの(まい)った顔が、ええ気味(きみ)やというように笑い、大崎(おおさき)(しげる)座興(ざきょう)の続きを(うなが)した。 「しゃあないなあ、もう」  にこやかに、()れと皮肉(ひにく)()じった()みで、秋尾(あきお)はそうぼやき、ドロンと白煙(はくえん)をあげて、変化(へんげ)した。  だらりと長い、金糸(きんし)(きつね)刺繍(ししゅう)がはいった朱色(しゅいろ)(おび)()らした、黒地に紅葉(もみじ)文様(もよう)の着物の、可愛(かわい)い顔した舞妓(まいこ)さんが、つい今の今まで水干(すいかん)姿(すがた)のしっぽ少年のいたところに、魔法(まほう)のような()()わりで登場していた。  それにも藤堂(とうどう)さんは、唖然(あぜん)としていた。

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