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26-92 トオル

 実際(じっさい)それは他人事(たにんごと)かもしれへん。蔦子(つたこ)さんには。  分家(ぶんけ)当主(とうしゅ)とはいえ、結婚(けっこん)して力を合わせ、家を(ささ)えていくはずのアキちゃんのおとんは、許嫁(いいなずけ)のまま死んでもうて、蔦子(つたこ)さんはすでに他家(たけ)(よめ)なんや。  普通(ふつう)やったら知らん顔して、うちはもうヨソもんどすって、ドライにしとってもええはずやった。  これは秋津(あきつ)家の問題で、海道(かいどう)蔦子(つたこ)の仕事ではない。  ただアキちゃんのおかんに、息子(むすこ)をよろしゅうと(たの)まれたっていうだけで。  よろしゅうもなにも、そのおかんは、どこで何をやっとんのや。  (ひげ)師匠(ししょう)やないけども、こんな難儀(なんぎ)な時に、可愛(かわい)いひとり息子(むすこ)をほったらかして、ラブラブ世界一周旅行なんか、やってる場合やないよ。  さっさと旦那(だんな)を連れて(もど)って来んかい。  ほんまに一体、なにをやっとんのや。アキちゃんの両親は。  一体、なにを。  遊んでるんやって、思うてた?  ブラジルでラブラブ?  七十年ぶりのハネムーンが(うれ)しすぎて、息子(むすこ)のことなんか完璧(かんぺき)(わす)れてもうてた?  (なまず)が出てきて、さあ大変てなってるとは、これっぽっちも気付いてへんかと、思うてた?  ……そんなわけない。なめたらあかん。  秋津(あきつ)直系(ちょっけい)や。  アキちゃんを別にすれば、この世で最も血の()い、秋津(あきつ)家の正統(せいとう)世継(よつ)ぎの兄と、その実の妹なんやで。  おとん大明神(だいみょうじん)登与(とよ)(ひめ)は、遊びにいってたわけやないんや。  そのことは、この後、すぐに分かった。俺らの(だれ)もが思ってもみないような事を、おとんとおかんはやってた。  神戸(こうべ)から、ちょうど地球の真裏(まうら)にあたる、南米(なんべい)で。  南米(なんべい)か……(なつ)かしいな。  (とおる)ちゃん、南米(なんべい)(へび)やったことある。  もう昔すぎて、ようわからへん。  ヤハウェにやられて、命からがら()()びて、この極東(きょくとう)の島へたどりつく前のことは、(わす)れてもうたり、もう(わす)れたいと思うたりで、よう思い出されへん。  せやけど完全には、(わす)()られへんものや。  かつて()()を生み出し、神と(あが)めてくれた(たみ)のことは。信太(しんた)がかつて中国の、黄砂(こうさ)の大地で世話(せわ)んなった民人(たみびと)のことを、今でも(わす)れてへんように、俺かて(わす)れてへん。  この体のどこかでは、今でも深く(おぼ)えている。  俺のことをエアと()んだ。  あるいはケツァルコアトルと。ククルカンと(あが)めた、もうどんな顔やったかも思い出されへん、無数の人々のことを。  今ではもう遠く、冥界(めいかい)へと去った、その(いと)おしい(たましい)のことを。 「水地(みずち)(とおる)」  突然(とつぜん)背後(はいご)から()ばれて、俺はびっくりした。  びくっと来るような声やった。  それが水煙(すいえん)の声やったからや。  俺には(こわ)いねん、こいつは。いろんな意味でな。  (もど)ってけえへんと約束(やくそく)してたくせに、水煙(すいえん)(もど)ってきた。犬に車椅子(くるまいす)()させて。なんや、(むずか)しい顔をして。  俺はびっくりした顔で、ソファの()もたれにとりついて、車座(くるまざ)の外にいる、青い宇宙人(うちゅうじん)と向き合っていた。 「なんやねん水煙(すいえん)約束(やくそく)(ちが)うやないか。なんで(もど)ってきたんや」 「そういうお前こそ、何をしてるんや。ジュニアとふたりきりで別れを()しむんやなかったんか。なんでこんなとこに()るねん」  真顔(まがお)でつっこまれた。(たし)かにそうやった。  アキちゃんとふたりっきりでラブラブする予定やったのに、なんでか全員いてますみたいなこの席で、なにひとつラブっぽいことはできず仕舞(じま)いで、ただ(すわ)ってるだけ。平安コスで。  (むな)しい。時間がもったいない。  俺とアキちゃんのラブラブな時間が、どんどん無駄(むだ)に流れていっている。  ヘタレの(しげる)の話なんか聞いてる場合やないのに。(きつね)(おど)りなんか見てる場合ちゃうのに。  怜司(れいじ)兄さんの歌なんかいつでも()けるのに。なにをやってんのや俺は。 「なんでやろうな……」  若干(じゃっかん)かすれ声で、俺は水煙(すいえん)様に(たず)ねた。  水煙(すいえん)はほとほと(あき)れたという顔やったような気がする。  表情(ひょうじょう)ないから、わからへんねんけど、このときちゃんと人並(ひとな)みの顔やったら、そういう表情(ひょうじょう)してたに(ちが)いないという確信(かくしん)がある。 「まあええわ。お前がアキちゃんといちゃいちゃしたないんやったら、俺も別に遠慮(えんりょ)せえへん」  いや、遠慮(えんりょ)して。遠慮(えんりょ)してくれていいのに水煙(すいえん)。  いちゃいちゃしたいんですけど。状況(じょうきょう)がそれを(ゆる)さへんだけやねん。なんとかして。 「アキちゃん、なんも変わったことはないか」  水煙(すいえん)は何かそわそわしたような顔で、まじめにそう(たず)ねてきた。  変わったことなら、いっぱいあったけど。そういう意味じゃないのよね?  アキちゃんは目を泳がせ、一度、助けを求めるように俺の顔を見たけど、結局自分で返事していた。 「なにもないと思うけど?」 「そうか? 俺は何か、胸騒(むなさわ)ぎがするねん。虫の知らせか……」  虫なんかおるん、水煙(すいえん)?  気色悪(きしょくわる)。虫おるんやって。  虫()いてますよ、この青い人。気色悪(きしょくわる)。  ちなみに水地(とおる)は虫なんかいません。クリーンです。クリーンな(とおる)ちゃんです。  それでもまだ水煙(すいえん)のほうが清純(せいじゅん)()やというんですか。  虫おるんですよ。俺のほうが清純(せいじゅん)です。 「先代からなにか、知らせはなかったか」

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