669 / 928

26-95 トオル

「そうか。そうやろなあ。お前も偉(えら)なったらしいやんか。そやけど茂(しげる)、お前には、男子一生の仕事があるやろ。秋津(あきつ)の覡(げき)として。お前は俺が死んだ後、なにをしとったんや。寝(ね)とったんか、ヘタレの茂(しげる)。このドアホ! 仕事もせんと無駄飯(むだめし)食うな!」  紙人形に怒鳴(どな)られて、ヘタレの茂(しげる)は、怖(こわ)いらしかった。びくっとしてた。  ただの紙やで。それがただ、アキちゃんのおとんの声で、喋(しゃべ)るだけ。  それでも大崎(おおさき)先生、へろへろなってた。 「なんで神戸(こうべ)を封鎖(ふうさ)でけへんかったんや。このヘタレ! お前のせいで人がぎょうさん死ぬんやで。わかっとんのかアホ」  めちゃくちゃ言うてる、おとん。言うてええんや、天下(てんか)の大崎(おおさき)茂(しげる)に。アホ言うてええんや。  だって大崎(おおさき)先生、ぜんぜん逆(ぎゃく)ギレしてへんで。正座(せいざ)して聞いてるもん。正座(せいざ)やで。 「ごめん、アキちゃん……俺、頑張(がんば)ったんやけど」 「聞きたない、お前の言(い)い訳(わけ)は。時間もないんや。引(ひ)っ込(こ)んどけ茂(しげる)。暁彦(あきひこ)はどこいった」  お前より、息子(むすこ)が可愛(かわい)い。そんなふうな冷たさで、押(お)し返(かえ)されて、茂(しげる)ちゃんはシュンとしていた。  ちょっぴり可哀想(かわいそう)やった。  そこに正座(せいざ)したまま、大崎(おおさき)茂(しげる)は押(お)し黙(だま)った。  アキちゃんが黙(だま)れ言うんやから、黙(だま)るしかないっていう、そんな感じ。  当(とう)の息子(むすこ)は、青い顔して、そんな大崎(おおさき)茂(しげる)と向き合っていた。  秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)と書いてある、紙人形を間にはさんで。 「蛇(へび)はおるか、暁彦(あきひこ)」  蛇(へび)います。  いきなり話振(ふ)られて、俺もソファから落ちそうになった。  びっくりした。なんで俺が話に出てくるのん? 「え……亨(とおる)のことか?」  アキちゃんも意外やったみたいで、答える声が上ずっていた。 「そうや。その亨(とおる)ちゃんや。まさかもう別れたりしてへんやろな?」 「し、してへん……」  なんで、どもるの、アキちゃん。別れてへんやろ!?  別れたん、俺ら!? 別れてへん! 「ちゃんといます!!」  黙(だま)ってられへんで、俺も叫(さけ)んだ。 「よかった、おるな。暁彦(あきひこ)モテるらしいから、もう居(い)ないていう可能性(かのうせい)もあるなあて、今朝(けさ)気付いて、おとんブラジルで慌(あわ)てたわ」  冗談(じょうだん)やんね? と亨(とおる)ちゃんが微笑(ほほえ)むようなことを、舅(しゅうと)殿(どの)はほがらかに言うた。  冗談(じょうだん)ですよね、お父(とう)さん。  居(い)ないわけないじゃないですか。  亨(とおる)ちゃん、アキちゃんの運命の相手なんですから。  結婚(けっこん)までしてるんですから。  そういえばその事、まだお父(とう)さんに挨拶(あいさつ)してませんでしたね。  すみません、申(もう)し遅(おく)れまして。  ちょい前から亨(とおる)ちゃん、アキちゃんの正式な配偶者(はいぐうしゃ)ですから。  よろしくお願いしますよ、お父(とう)さん。僕(ぼく)らもう家族やないですか。 「暁彦(あきひこ)、その子が鍵(かぎ)や。絶対(ぜったい)、側(そば)から離(はな)したらあかんで。縛(しば)り付(つ)けてでも、お前のもんにしとけ!」  ナイス命令! お父さん!!  真面目(まじめ)に言うてる紙人形の声を聞き、俺は感無量(かんむりょう)で、へたっているアキちゃんの背中(せなか)に、がしーっと抱(だ)きついていた。  離(はな)さへん。離(はな)さへんからアキちゃん。俺のもの! 「な……なんで?」  アキちゃん、俺にがっつり抱擁(ほうよう)されながら、朦朧(もうろう)としておとんに訊(き)いてた。  なんでって、何がなんでやの! 愛してるからやろ! 愛! 「その蛇(へび)、掘(ほ)り出(だ)しモンやで、暁彦(あきひこ)。名のある神や。お前はえらいもん拾(ひろ)った。大当たりや。でかしたで!」  道ばたで、お宝(たから)でも拾(ひろ)ったみたいに、おとんは俺のことを褒(ほ)めていた。  そらまあ、しゃあないか。そういう感覚か。  おとんにとっては俺は、ただの式神(しきがみ)。縛(しば)り付(つ)けて、使役(しえき)するための下僕(げぼく)なんやしさ。  そうやって、両手の指でも余(あま)るような数の式神(しきがみ)を、戦争で使い果たしてきた、そんな放蕩(ほうとう)なご当主(とうしゅ)様やねんからさ。  アキちゃんとは違(ちが)う。俺のアキちゃんとは。 「お登与(とよ)とグアテマラで、そいつの名のひとつを突(つ)き止(と)めた。戻(もど)ったら教えてやる」  そういうことや。おとんとおかんは、俺の名前を調べにいってたんや。  息子(むすこ)のツレは水地(みずち)亨(とおる)やと、それだけでは納得(なっとく)いかず、俺様(おれさま)の霊的(れいてき)な氏素性(うじすじょう)を、おとんは知りたかったらしいわ。  なんで名前が必要なんか。  俺を隷属(れいぞく)させるためや。  そして使役(しえき)するため。  名前を支配(しはい)するのは魔法(まほう)の基本(きほん)。秋津島(あきつしま)の呪術(じゅじゅつ)でも、それは有効(ゆうこう)やったんやろな。  名のある者なら、その名を支配(しはい)することで、使役(しえき)に答えるようになる。それは鬼道(きどう)の常識(じょうしき)。  ぼんくらのアキちゃんは、知らんやろけど。でもそれは、常識(じょうしき)やねん。  外道(げどう)にとって、自分の真(まこと)の名を教えることが、どんだけハイリスクか、アキちゃんは知らんかった。 「そんなん……グアテマラまで行かんでも、もう知ってるわ」  困(こま)ったように、アキちゃんは答えた。  それにおとんは、はあ? とか、ああ? とかいうような、よう分からん声で答えた。 「どないして知ったんや」 「どないて……こいつが教えてくれた」  俺をふりかえって、アキちゃんは戸惑(とまど)う声のまま、おとんに答えた。 「教えるわけあらへん。名のある古い神が、ただで真(まこと)の名を教えるわけはない」

ともだちにシェアしよう!