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26-97 トオル
静かに説得する水煙 の話を、紙人形はぴくりともせず聞いていた。
あまりに向こうが押 し黙 っているので、まるで人形は、ただの紙に戻 ってもうたみたいやった。
「幸いにもアキちゃん、お前の息子 は不死人 になった。それは、この蛇 の霊威 によるものや。せやし、これが末代 。これが未来永劫 、秋津 の家を守る当主として、三都を守護 する任 に就 く。以後は水地 亨 を秋津 の守護神 として、祀 るように」
水煙 の話、おとんはちゃんと聞いてた?
ほんまに聞いてる? もしもし?
……って、言いたくなるような、死んだみたいな沈黙 やった。
いや、実際 もう死んでんのやけど。そうなんやけども。
でも、そんじょそこらの死人かて、ここまで死んだようには押 し黙 られへんでっていうくらいの、深く、雄弁 な沈黙 やったで。
おとんはなんも返事せえへんかったけど、じっと堪 えたような沈黙 は、ひどく物言いたげに、たくさんの言葉を呑 んでいるようやった。
「末代 ?」
やがて、それだけぽつりと、おとんは聞き返してきた。
「そうや。これで終わりやアキちゃん。全部終わりや。俺を龍 にくれてやり、それでお終 いにしたらええよ。お前も今後は、好きにすればいい。お家 のためや、血筋 の定めやと、そんなことはもう、忘 れたらええよ。お前はもう、死んだんや。家や血筋 に縛 られることはない」
優 しく諭 すように、水煙 は話していた。
もうラクになってええよっていう、そんな気楽な話としか、俺には思えへんかったんやけども、なぜか紙人形はぶるぶる震 え、突然 ぱたっと倒 れた。
おとんがコケたわけやのうてな、なんや一瞬 、その式(しき)を使役 していた、おとんの霊力 が途切 れたんや。
ものすごボケッとしてもうたんやないか。あんまりショックすぎて、頭真っ白なってたんやで。
突然 また、蘇 ったように、紙人形はひらりと立った。
おとんカムバック。
「好きに、って……」
「蛇 を祀 るんは、ジュニアがやるやろ。お前はもう、隠居 やで。成仏 したけりゃ、すりゃあええし、したくないんやったら、化けて出といたらええ。絵を描 きたいなら、描 いたらええよ。お前ももう、ええ歳 やねんから、描 いてええもんと悪いもんがあるていう分別くらいは、ついたんやろう?」
「忘 れたわ、絵の描 き方 なんて」
水煙 に、そう答えているおとんの台詞 に、なんかこう、ぐっと痛 いような空気が、あちこちから湧 いた。
アキちゃんは身構 えるし、ヘタレの茂 は痛恨 の表情 やった。
怜司 兄 さんまで超 暗い。憂 いのある目で、ちんまり立ってる紙人形を見下ろしている。
「今さら、好きにと言われてもな、水煙 。俺にはもう、したいことなんか、なんもないんや。国のため、家のためやと思うて死んだ。今やもう、秋津 の家を守ることだけが、俺の願いや。お登与 や息子 が幸せに、恙 なく生きていってくれるように。お蔦 ちゃんや茂 や……。水煙 ……お前を龍 にくれてやって、俺がその後、暢気 に絵なんぞ描 いてられると思うんか」
おとんの口調は、切々 と掻 き口説 くようやった。
水煙 はそれを黙 って聞き、朧 はそれから目を逸 らした。
俺は黙 ってアキちゃんの背 に、縋 り付 いてるままやった。
あったかい、アキちゃんの背中 は。あったかいなあ……。
「お前は秋津 の家宝 なんやで。秋津 家はお前を祀 るためにある家や。お前を贄 に差し出して、なにが当主やねん。絶対 あかんのやで、暁彦 。絶対 にあかん。そんなことのために、お前に水煙 を譲 ったんやない。お前にはこいつの有 り難 みがわからんのかもしれへんけどな、ただの太刀 やない。神や。ご神刀 なのや。心があるんや。大事にしてやってくれ。こいつはお前のことが好きなんやで。お前はそれを知ってんのか。知らんとやってんのやろう、考え直せ!」
水煙 を東海(トムへ)の龍 にくれてやるかどうか、決める権利 はアキちゃんにある。
おとんはただ、頼 み込 む口調やった。
俺の抱 いてるアキちゃんの背 が、堪 えるような硬 さやった。
俺はそれを、ただ抱 きしめていた。
大丈夫 やでアキちゃん、堪 えなあかん。ここが辛抱 のしどころや。
俺と永遠 に生きていたいんやったら。堪 えなあかん。
水煙 のことは、諦 めてくれ。
俺のこと、愛してんのやったら諦 めて。
「アキちゃん……そこらへんの何やかんやはな、もう、済 んだんや。分かった上での結論 なんや。蒸 し返 さんといてくれ。時間の無駄 や」
やんわり言うてる水煙 は、優 しげなようでいて、とりつく島もなかった。
「水煙 」
「なんやアキちゃん」
まだ言うかと、取りすがる口調のおとんの声に、水煙 は答えていた。
それは優 しいけど、鉄でできてる、冷たく硬 いような声やった。
「俺はお前のためになると思って、息子 に譲 ったんや。お前も俺と居 るより、そのほうが、嬉 しいやろうと思って」
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