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26-99 トオル
出てきて一言、挨拶 せえって、そういうノリで、大崎 茂 は怜司 兄さんに言うた。
せやけど兄さん、声を出すのが怖 いみたいに、自分の喉 に手をやって、椅子 の上で固まるばかりで、うんともすんとも言わへんねん。
「朧 が居 るのか。茂 。お前の式(しき)か」
どことなく、びびったような声で、おとんは訊 いてきた。
「いいや。今はお前の息子 のや。つい昨日 までは、お蔦 ちゃんの預 かりやった。聞いてへんのか、何も?」
「茂 ちゃん、怜司 はまだ心の準備 ができてまへんのや」
慌 てたように蔦子 さんが、大崎 茂 を止めた。
せやけど大崎 茂 に止まる気はない。
「心の準備 なんかいらんわ。テレビつけてくれ、朧 。アキちゃんがテレビ観 たいらしいで。何チャンネルや、アキちゃん」
こっち来いと、朧 に手招 きして、大崎 茂 はぐいぐい話を進めてた。案外、気の利 く人やった。
空気読めりゃあええってもんやない場合かて、人の世にはある。
恐 る恐 るではあるけども、とにかく怜司 兄さんは椅子 から立った。
狐 の舞妓 はテレビを出した。
ぽかんと白煙 をあげて、どこからともなく現 れた、でかい画面の薄型 テレビには、大崎 先生の会社の名前とロゴマークが入っていた。
最新型やで。さすがやな。
「うちのテレビは世界一やで、アキちゃん。ものすご売れてんねん。絵が飛び出すテレビもな、まだ初期型やけど、あるねんで。すごいやろ」
自慢 げに、大崎 茂 は語っていた。
コーヒーテーブルの脇 に鎮座 した、我 が社 自慢 の最新型を金屏風 にして、アキちゃんの声で語る紙人形に、子供 みたいな自慢 話を垂 れていた。
「すごいなあ茂 、お前には商売の才能 があるわ」
付き合いのいい兄 ちゃんの声で、おとんが褒 めると、大崎 茂 はほんまの子供 みたいに、顔をくしゃくしゃにして照 れ臭 そうに笑った。
それを伏 し目 に眺 めつつ、秋津 の家の玄関先 の、由緒 正しき衝立 なみに、でっかい画面の傍 へ来た怜司 兄さんが、そっと抱 くように、テレビに触 れた。
そしたら映 った。
電源 も、アンテナ線もつながってないのに、でかい液晶 画面に突然 、テレビの画像 が映 ったんや。
偶然 なのかどうか、その映像 は、コマーシャルやった。
大崎 茂 の会社の、今まさに俺 らの目の前にあるテレビのCM。
そして、まさに、絢爛 な金屏風 のような、和風の美の粋 を極 めたCG映像 が、テレビの中のテレビに映 り、そのテレビの中にも、同じように、薄紅色 に縁取 られた芍薬 の花の大輪 が、無限 の合わせ鏡のように映 し出 されていた。
それを観 てると何や、自分らもテレビん中に入ってもうたような、変な気がした。
その画面を抱 いている、怜司 兄さんの作る異界 へ、皆 して閉 じこめられてもうたような、妙 な感じが。
怜司 兄さんは、白い美貌 に憂 いを帯 びた、なんともいえん無表情 で、じっと俺 らのほうを見ていた。一言も声は発さずに。
艶 やかやったCMが終わると、画面は突飛 なまでに俗 っぽい番組の映像 へと切 り替 わった。
生中継 と書かれた枠 のある、けばけばしい画面の中に、マイクを持ったレポーターの女が立っていて、その背後 には、サンバの衣装 を着た、臍 丸出しのお姉 ちゃんたちが、色とりどりの羽根飾 りやら、スパンコールを煌 めかせ、満面の笑 みでポーズを決めていた。
リオ・デ・ジャネイロの鈴木 さーん、と、テレビの中の声がレポーターの女を呼 んだ。
はあい、と、やたら朗 らかな声で、画面の女は返事をした。
そして蕩々 と喋 った。アナウンサー独特 の、明瞭 な声で。
それではお待たせしました。これから本場のサンバをお目にかけたいと思います。
あれっ。本場のサンバなんてダジャレみたいですね。あはははは。すみません。
こちらの美女の皆 さんは、今回の中継 のために、わざわざ衣装 も本番用のものを、身につけてきてくださったんですよう。
綺麗 ですねえ! あっ時間ですか? それではお願いします。
ポル・ファボール、と、拙 い発音で、レポーターの女は言った。
Por favor(ポル・ファボール)。
スペイン語やポルトガル語で、お願いします、っていう意味や。
片言 やけども、俺 にもスペイン語やポルトガル語はわかる。
かつて中南米で、俺 たち古い神を追いたてた、ヤハウェの手先の連中が、喋 っていた言葉や。
今では現地 の公用語になっている。
下手 くそな現地 語で話しかけられたサンバチームの女たちは、それでも愛想 良く、にっこりと微笑 んだ。
濃厚 な化粧 が、地元独特 の派手 な美貌 と相まって、毒々 しいような、非 日常 の美しさやった。
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