683 / 928
26-109 トオル
言うてええねんでアキちゃん。あれが好きやったんやったら、好きやって。
ただし殺すけどな。
殺すけど、信太 、てめえも殺さなあかん。
よくもお前は鳥さんの見ている前で、怜司 兄さんといちゃついたりしたな。
皆 、見てんねんで。怖 すぎてもう振 り返 られへんけど、寛太 も見てたやろ。
寛太 があんなアホみたいなのって、お前があんな怜司 兄さんに萌 えてんのを見て、兄貴 はあれが好きなんやと思うたからやないんか。
そしたらお前にモテると思うて、あんなアホなってもうたんちゃうんか。
みんなお前が悪い。
せやけど信太 がおらんかったらヤバかった。蔦子 さんが何とかしたんかもしれへんけども、でも、怜司 兄さんが呼 んだんは、蔦子 さんではなかった。信太 やったんやもん。
怜司 兄さん、正気 のときには、むっちゃトゲトゲしてて怖 いけど、それでもやっぱ信太 のことが、好きやったんかな。あの人なりに。
いつもダントツ首位 の、暁彦 様の次くらいに。
怜司 兄さんはにこにこして、機嫌 いいみたいやった。
収録 機材の脇 にセッティングしてあったキーボードで、なんか弾 くみたいで、どんな音出そうかなって、いかにも楽しそうに機材を調整 していた。
そのうちそれは、どっかで聴 いたことあるような曲になり、それがさっき信太 が言うてた、夜来香 という曲やった。
これも古い古い歌なんやで。
まだ暁彦 様が生きてた頃 に、めちゃめちゃ流行 った曲で、中国語と日本語の両方の歌詞 のある、その歌は、日本だけでなく中国や、アジア全域 にも流行した。
ロマンティックな中華 風の曲調 で歌う、恋 の歌や。
今は立ち去った恋人 のことを、遠く思って恋 い慕 う、そういう感じの切なげな、それでもうっとり来るような、綺麗 な歌やねん。
あなたに会えなくて寂 しい、あなたを想 うと恋 しくて、切 なくなるねんていう、そういう歌。
そりゃあもう、こってりベタベタの、戦前のラブソングやで。
ゆったりと優美 なその曲を、透明 な声で歌い出す、怜司 兄さんの歌は、なんでか知らん、中国語やった。
おおもとの歌は、中国語らしいねん。
日本語版 は、その翻訳 ということなんやろけども、怜司 兄さんはもちろん、中国語でも歌えるねん。
何語でも歌えんのやろ。そういうのが得意 な神さんなんや。
信太 が最初に聴 いた時にも、怜司 兄さんは中国語で歌っていたらしい。懐 かしい、虎 の故郷 の言葉でな。
「俺 なあ、はじめ怜司 は、俺 のことが好きで、この歌歌うんやと思ったんですよ」
参 ったなあみたいな苦笑 顔で、信太 はアキちゃんに教えてた。
「だって中国語なんやもん。それで擁抱着 、夜来香 。吻着 、夜来香 。夜来香 、我為尓 、歌唱 。夜来香 、我為尓 、思量 。なんやもん。怜司 はどんだけ俺 が好きなんやって思いましたよ」
ちょっと待て。中国語部分、意味わからへんから。
俺 、中国語未対応 やから。将来的 にも対応 予定ないです。ちゃんと日本語で言え信太 。
恥 ずかしいて言われへんか。しょうがない。俺 が解説 しよう。
夜来香 というのは花の名前なんや。
しかし、ここではな、花そのものやのうて、花の匂 いのことや。
しかもこれは架空 の花やねん。
歌が流行 った後になってから、歌にちなんで同じ名をつけられた品種があるけども、歌が創 られた時には実在 せえへん花やった。
存在 せえへん花の匂 いって何やねん。
それは、ものの喩 えや。
たとえば恋人 の残 り香 のことや。あるいはその思い出のことや。
突 き詰 めれば懐 かしい、愛 しい相手のことやねん。
それが夜来香 。字面 の通りや。夜に来る香 りやねん。
その夜来香 を抱 きしめて、夜来香 に口付ける。夜来香 、あなたを想 い、夜来香 、あなたのために歌う。そういう意味の歌詞 やねん。中国語版 はな。
信太 はそれを怜司 兄さんが、自分のことを想 って歌ってくれてんのやと、思うてたわけ。
まあ。なんつうか。うん。ステキに寒い誤解 やったな。
「暁彦 様に頼 まれて、中国語教えたらしいねん。その時に、この歌も教えたらしいです。単にその、想 い出 ソングっつうんですか? 一緒 に歌って楽しかったなあ、みたいな? ただそれだけの話やったんです。本人がそう言うとうし、間違 いありません」
信太 はその気まずい話を、別に訊 いてへんのに、アキちゃんの耳にどんどん話してやっていた。
アキちゃんはうんうんて、痛 そうな顔して聞いていた。
「あいつね、寂 しくなるとね、先生のお父 さんの形見 のシャツ抱 いて寝 るんです。今着てるあれですよ。やめろ言うても絶対 やめへんのです。匂 いがね、するんやって。暁彦 様の残 り香 が」
ともだちにシェアしよう!