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26-109 トオル

 言うてええねんでアキちゃん。あれが好きやったんやったら、好きやって。  ただし殺すけどな。  殺すけど、信太(しんた)、てめえも殺さなあかん。  よくもお前は鳥さんの見ている前で、怜司(れいじ)兄さんといちゃついたりしたな。  皆(みんな)、見てんねんで。怖(こわ)すぎてもう振(ふ)り返(かえ)られへんけど、寛太(かんた)も見てたやろ。  寛太(かんた)があんなアホみたいなのって、お前があんな怜司(れいじ)兄さんに萌(も)えてんのを見て、兄貴(あにき)はあれが好きなんやと思うたからやないんか。  そしたらお前にモテると思うて、あんなアホなってもうたんちゃうんか。  みんなお前が悪い。  せやけど信太(しんた)がおらんかったらヤバかった。蔦子(つたこ)さんが何とかしたんかもしれへんけども、でも、怜司(れいじ)兄さんが呼(よ)んだんは、蔦子(つたこ)さんではなかった。信太(しんた)やったんやもん。  怜司(れいじ)兄さん、正気(しょうき)のときには、むっちゃトゲトゲしてて怖(こわ)いけど、それでもやっぱ信太(しんた)のことが、好きやったんかな。あの人なりに。  いつもダントツ首位(しゅい)の、暁彦(あきひこ)様の次くらいに。  怜司(れいじ)兄さんはにこにこして、機嫌(きげん)いいみたいやった。  収録(しゅうろく)機材の脇(わき)にセッティングしてあったキーボードで、なんか弾(ひ)くみたいで、どんな音出そうかなって、いかにも楽しそうに機材を調整(ちょうせい)していた。  そのうちそれは、どっかで聴(き)いたことあるような曲になり、それがさっき信太(しんた)が言うてた、夜来香(イェライシャン)という曲やった。  これも古い古い歌なんやで。  まだ暁彦(あきひこ)様が生きてた頃(ころ)に、めちゃめちゃ流行(はや)った曲で、中国語と日本語の両方の歌詞(かし)のある、その歌は、日本だけでなく中国や、アジア全域(ぜんいき)にも流行した。  ロマンティックな中華(ちゅうか)風の曲調(きょくちょう)で歌う、恋(こい)の歌や。  今は立ち去った恋人(こいびと)のことを、遠く思って恋(こ)い慕(した)う、そういう感じの切なげな、それでもうっとり来るような、綺麗(きれい)な歌やねん。  あなたに会えなくて寂(さび)しい、あなたを想(おも)うと恋(こい)しくて、切(せつ)なくなるねんていう、そういう歌。  そりゃあもう、こってりベタベタの、戦前のラブソングやで。  ゆったりと優美(ゆうび)なその曲を、透明(とうめい)な声で歌い出す、怜司(れいじ)兄さんの歌は、なんでか知らん、中国語やった。  おおもとの歌は、中国語らしいねん。  日本語版(にほんごばん)は、その翻訳(ほんやく)ということなんやろけども、怜司(れいじ)兄さんはもちろん、中国語でも歌えるねん。  何語でも歌えんのやろ。そういうのが得意(とくい)な神さんなんや。  信太(しんた)が最初に聴(き)いた時にも、怜司(れいじ)兄さんは中国語で歌っていたらしい。懐(なつ)かしい、虎(とら)の故郷(こきょう)の言葉でな。 「俺(おれ)なあ、はじめ怜司(れいじ)は、俺(おれ)のことが好きで、この歌歌うんやと思ったんですよ」  参(まい)ったなあみたいな苦笑(くしょう)顔で、信太(しんた)はアキちゃんに教えてた。 「だって中国語なんやもん。それで擁抱着(ヨンパオチャ)、夜来香(イェライシャン)。吻着(グーチャ)、夜来香(イェライシャン)。夜来香(イェライシャン)、我為尓(ウォーウェニィー)、歌唱(グーチャ)。夜来香(イェライシャン)、我為尓(ウォーウェニィー)、思量(スーリャ)。なんやもん。怜司(れいじ)はどんだけ俺(おれ)が好きなんやって思いましたよ」  ちょっと待て。中国語部分、意味わからへんから。  俺(おれ)、中国語未対応(たいおう)やから。将来的(しょうらいてき)にも対応(たいおう)予定ないです。ちゃんと日本語で言え信太(しんた)。  恥(はじ)ずかしいて言われへんか。しょうがない。俺(おれ)が解説(かいせつ)しよう。  夜来香(イェライシャン)というのは花の名前なんや。  しかし、ここではな、花そのものやのうて、花の匂(にお)いのことや。  しかもこれは架空(かくう)の花やねん。  歌が流行(はや)った後になってから、歌にちなんで同じ名をつけられた品種があるけども、歌が創(つく)られた時には実在(じつざい)せえへん花やった。  存在(そんざい)せえへん花の匂(にお)いって何やねん。  それは、ものの喩(たと)えや。  たとえば恋人(こいびと)の残(のこ)り香(が)のことや。あるいはその思い出のことや。  突(つ)き詰(つ)めれば懐(なつ)かしい、愛(いと)しい相手のことやねん。  それが夜来香(イェライシャン)。字面(じづら)の通りや。夜に来る香(かお)りやねん。  その夜来香(イェライシャン)を抱(だ)きしめて、夜来香(イェライシャン)に口付ける。夜来香(イェライシャン)、あなたを想(おも)い、夜来香(イェライシャン)、あなたのために歌う。そういう意味の歌詞(かし)やねん。中国語版(ちゅうごくごばん)はな。  信太(しんた)はそれを怜司(れいじ)兄さんが、自分のことを想(おも)って歌ってくれてんのやと、思うてたわけ。  まあ。なんつうか。うん。ステキに寒い誤解(ごかい)やったな。 「暁彦(あきひこ)様に頼(たの)まれて、中国語教えたらしいねん。その時に、この歌も教えたらしいです。単にその、想(おも)い出(で)ソングっつうんですか? 一緒(いっしょ)に歌って楽しかったなあ、みたいな? ただそれだけの話やったんです。本人がそう言うとうし、間違(まちが)いありません」  信太(しんた)はその気まずい話を、別に訊(き)いてへんのに、アキちゃんの耳にどんどん話してやっていた。  アキちゃんはうんうんて、痛(いた)そうな顔して聞いていた。 「あいつね、寂(さび)しくなるとね、先生のお父(とう)さんの形見(かたみ)のシャツ抱(だ)いて寝(ね)るんです。今着てるあれですよ。やめろ言うても絶対(ぜったい)やめへんのです。匂(にお)いがね、するんやって。暁彦(あきひこ)様の残(のこ)り香(が)が」

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