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26-110 トオル
そう言われて見ると、確 かにそのシャツやった。
ほんならランドリーの人ら、頑張 って袖 の染 み抜 き成功させたんやわ。
結局また血まみれなってもうてるけど。それでももう、怜司 兄さん気にしてへんみたい。着替 えには戻 らへんみたい。
「するわけないですよね、残 り香 なんて。だって何年前の服やねん。洗濯 かてしてるんですよ。洗剤 の匂 いしかしないですよ。でも、するって言うとう。あいつ頭おかしいんですよ。おかしいんです。……でも、それが夜来香 やろ、先生。ほんまはそんな匂 いなんかせえへんのに、あいつは憶 えとうのや。暁彦 様の匂 い」
ああ、まあ、確 かにな。アキちゃん桃 みたいな匂 いするもん。
匂 いというか、オーラというかな。神仙 の世界の香気 やで。ええ匂 い。
それに抱 かれて眠 ると、めっちゃ幸せ。いい気分。
たとえそれが、漲 る霊力 の仕業 やのうても、好きな相手の肌 の匂 いやで。
それと抱 き合 うて眠 るのが、何より幸せ。天国や。
俺にはそれが分かるけど、怜司 兄さんにもあるの。そういう経験 。
そら、あるやろな。
暁彦 様は怜司 兄さんの祇園 の家に、時々入 り浸 ってたんやもんな。
「結局あいつは俺が好きやったことなんか一度もないんですよね。困 った時だけ信太 信太 で、俺は手玉 に取られてたんですよ。でもまあ、それはええねん。勝手に騙 されてた俺がアホやったんです」
痛 い話をくよくよもせず言うて、信太 はアキちゃんに何か、言いたい話があるらしかった。
アキちゃんは俺を背中 に抱 きつかせたまま、うんともすんとも言わずに、真面目 な面(つら)してそれを聞いてた。
「けどね先生。俺はあいつが可哀想 やったんですよ。惨 めやろう。あのままやと」
信太 は歌う怜司 兄さんを見てたけど、アキちゃんはそんな信太 の横顔を、じっと見ていた。
「先生のお父さんに、言うといてください。水煙 に、心があるっていうんやったら、怜司 にもあるでしょ。ぶっ壊 れてもうてるけど、でも、あるやんか。捨 てんといてやってください。他 の誰 かやと、あかんねん、あいつは。暁彦 様でないと……そう、言うといてください。よろしくお願いします」
信太 のそれは遺言 か。
アキちゃんは、その話を聞くと、こちらを見ていないような信太 に、しっかり頷 いてやっていた。
すると信太 は、にやっと笑った。
ちょっと苦いような、照れたような、妙 な笑 みやった。
「恥 ずかしいわあ。こんな話してもうて。皆 さんご覧 のとこで、抱 き合 うたりして。寛太 怒ってるかなあ。怒ってると、ええんやけど……あいつ怒らへんのですよね。俺のこと、好きやないんかな」
困 ったように、信太 は照 れていた。
お前……鈍 いんちゃう?
気は利 くようでいて、実はめちゃめちゃ鈍 い男なんとちゃう?
鳥さん、怒 ってるかなあ……って?
そんなん心配する前に、鳥さんが絶命 してないか心配しろ。
ただでさえ影 薄 い状態 なっててな、その上、あんなん目の前でやられてもうたら、凹 んで凹 んで、もう死んでるかもしれへんで。
ちゃんとこの世に居 るかどうかをまず確認 しろ。
俺は怖 くて見られへんから、お前が自分で見ろ!
そんな俺の心が分かってもらえたんかなあ。信太 は寛太 のいるほうを、なにげに振 り返 って見ていた。
そして、どないしてんお前みたいに、曖昧 な笑 みになっていた。
笑ってるということは、鳥さん生きてんねんや。とりあえず居 ることは居 るんや。
それで俺もちょっと余裕 ができまして、こっそり寛太 を振 り返 ってみた。
寛太 は蔦子 さんの他 の式神 たちに混 じり、めっさ似合 わんお仕着 せの狩衣 の姿 で、ちんまり小さく座 っていた。
その、俺の心も今ズタボロやみたいな、気の毒そのものの疲 れ果 てた顔のまま、寛太 はぐったり信太 と見つめ合っていた。
若干 、涙目 やったけど、確 かに怒っているようではなかった。
寛太 が怒ってるとこ、見たこと無い。
いつも、ぼやっとしてて、ぽやーん、としてて、ほにゃーん、みたいな。とにかく、ぐにゃっとしてる。
上の空というか。腑抜 けてるというか。ちょっと変。
あいつが激 しい感情 を露 わにしたとこなんか、見たことない。
せいぜいが最近の、兄貴 が大好きすぎて困 っちゃう、熱く燃 えてる時くらい。
それかて、大きな進歩やってんで。亨 ちゃんのお陰 で。
この俺様 のお陰様 でやな、あいつも自分というものを、外に出していけるようになってきてたんやないか。
虎 はぶっちゃけ鈍 いけど、寛太 は鈍 いわけやない。
あれで結構 、繊細 な奴 やねんで。
中ではいろいろ感じてる。
そうやなかったら、虎 とセックスして泣くわけないやん。
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