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26-112 トオル
ひそひそと、大崎 先生は悪いお公家 さんみたいに、直衣 の黒いお袖 の陰 からアキちゃんに入 れ知恵 していた。
「見たとこ、朧 に否 やはないやろうけど、アキちゃんはどうなんや。ほんまに朧 を捨 ててもうたんか、アキちゃんは」
いやいや、それはどうやろ。俺はまだ、脈 ありありやと思うねんけど、皆 はどう思う。
「なにを、ひそひそ話してますのん。うちのとこまで聞こえへんえ」
蔦子 おばちゃまが、我慢 できずに参入 してきはった。
なんでか竜太郎 までついてきて、ちゃっかりアキちゃんの隣 に座 りやがった。
コーヒーテーブルが一気にちゃぶ台みたいになった。
立派 なソファがあんのに、なぜか全員、テーブル囲んで床 に座 ってる。しかも全員、時代コスやで。時代祭の控 え室 かここは。
「お蔦 ちゃん。朧 をアキちゃんに返したらなあかんと思うんやけど、そうなると登与 姫 はどない思うんやろな」
ひそひそ話に蔦子 さんも混 ぜてやって、大崎 茂 はそんなことを訊 いた。
蔦子 おばちゃまは、卑弥呼 ルックの高く髪 を結 い上げた頭をかしげて、ちょっと悩 んだみたいやった。
「登与 ちゃんか。あの子が何を考えてんのやら、うちには昔から、さっぱり分からしまへんのや」
考え考え言うてる蔦子 さんに、どうぞて狐 が伏見 酒のぐい飲みを差し出した。
あらどうも、って、蔦子 さんはそれに赤い唇 をつけた。酒好きやな、オバチャマ。
一口味わってから、蔦子 さんは話を続けた。
「でも昔から、アキちゃんの式(しき)に焼 き餅 焼くでもなかったですやろ。むしろ、ほら、お兄ちゃんはぎょうさん式神 侍 らして、ご立派 やわあて、言うてたくらいやし。叔母様 がたが、どこぞの男の人はんと、お見合いさせはったときも、お兄 ちゃんの半分も式(しき)のおらんお人は嫌 や言うて、駄々 こねてなぁ……」
おかん、どういう趣味 なんや……。
「登与 姫 はアキちゃんに惚 れとったんやろ。それで見合いが嫌 やっただけやないんか」
かつて自分も登与 姫様 に、プロポーズを蹴 られたことがある、天下の大崎 茂 はぶちぶち言うてた。
そういや、秋津 のおかんは未婚 やねんで。いっぺんも結婚 したことない。
関東のほうに婚約者 がいたけど、そいつは結婚 する前に戦争で死んでもうたし、その後、他の男がいたという話はない。
おとんが好きやったんやろ。普通 に考えて。
一途 におとんの帰りを待ってたんですよ、登与 ちゃんは!
「それもあったかもしれまへんけど……でも、登与 ちゃんは朧 のことは嫌 いではないんえ。娘時代 も、よう三人で、街のダンスホールやらいうところに行ってましたわ。怜司 と踊 った言うてましたえ?」
大崎 茂 、ブッて伏見 酒吹 いてた。
「踊 った!? ダダダンスホールでか!?」
ジジイ、びっくりしすぎてラッパーみたいなってる。なんでそんな、ビビらなあかんの。
それはな。昭和の初め頃 、まだ世の中が戦争めいて来る前の話やけども、日本でも最新の遊びとして、ダンスが流行 っていた。
いわゆる社交 ダンスやで。ワルツとかタンゴとか踊 るんや。
そのための社交場 として、ダンスホールという、今でいうならナイトクラブ的なもんが各地にあったけども、社会の目で見てそこは、未婚 の男女が行きずりの相手と、お手々つないで踊 るという、極 めてけしからん場所やった。
良家 の子女 が顔出すような所やない。悪い子専用 みたいなもんやで。
「ほんまの話なんか、お蔦 ちゃん!?」
茂 、ツバ飛んでるから。
蔦子 おばちゃま、明らかに避 けてはるから。自重 せえ。
「ほんまかどうか知りまへん。うちも何度か登与 ちゃんに誘 われましたけど、そんな恥 ずかしいとこ、よう行かんて断 りましたもの。後で聞いたら、アキちゃんの仕事やったらしいけども。いわゆる……なんですのん。囮 捜査 ?」
要領 を得ないオバチャマの話の代わりに、またまた俺が解説 しよう。
昭和初期の、その当時、ダンスホールに何か出るということで、アキちゃんのおとんは鬼退治 へ。
若 い娘 の生き血を吸 ってる鬼 が、ダンスホールで狩 りをしているとかで、妹の登与 ちゃんを囮 に、そいつを探 しだそうとしたらしい。
それはまた別の話やから、ここでは省略 や。
その時、おとんは湊川 怜司 を連れていった。
登与 ちゃんは朧 とも踊 ったと、そういう話らしいわ。
「なんで俺を連れていかへんかったんや!」
何が無念なのか、大崎 茂 は無念 極 まりないみたいやった。
「ダンスが下手 やからどすやろ」
「ひどい、絶対 、俺を登与 姫 と踊 らせたくなかったからなんや」
的確 なことを発言している蔦子 オバチャマを無視 して、大崎 茂 は悔 やんでいた。
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