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26-113 トオル
「まあ……ともかく、その時も登与 ちゃんは、機嫌 良うしてましたえ。水煙 が怒るよって、お兄ちゃんも朧 と仲良 うでけへんから、水煙 だけ先に連れて帰ってきたとか言うて、にこにこしてましたわ」
「要 らんこと言わんでええんや蔦子 !」
どんだけ耳ええんや、水煙 。
そういえば居 ったんやった。青い人、ソファの向こう側で、ぷんぷん怒っていた。
怒鳴 られて蔦子 さんは、やってもうたわあという痛 い顔になり、苦笑 してぺろりと舌 を出した。
「登与 ちゃんと水煙 だけ、タクシーで送り返してきた言うて、叔母様 がたおかんむりでなぁ……面白 おしたわ」
おとんはその足で祇園 の妾宅 にしけ込 んだというわけか。
何やっとんねん、秋津 の坊 は。仕事せえ。
「あかんことないと思いますえ。もう、叔母様 がたもみんな身罷 られたんやし。水煙 さえ許 すんやったら、怜司 が秋津 の家に戻 っても、かましまへんやないか。なあ?」
蔦子 さんは熱心に、アキちゃんに問いかけ、アキちゃんは困 ったように、曖昧 に頷 いていた。確信 があるわけやない。おかんがどう出るか。
「登与 ちゃんの考えはこの際 、二の次や。朧 は秋津 に戻 さなあかん」
ぷんぷん怒 っていた青い人が、急にそんな事を言うんで、俺らはびっくりした。
ええ、マジですかって、皆 で見ると、水煙 は居心地 悪そうに、車椅子 の片端 に座 り、足を組んだ格好 で、肘掛 けにもたれて、まだ楽しげに歌っている朧 のほうを、顎 で示 した。
「あいつ完全に頭がおかしいわ。アキちゃんに面倒 みさせなあかん。とんだ狂骨 やで。いつ、また元通りの鬼 と化すかもしれん。茂 の言うとおりや。斬 るか、それが無理なら手元に捕 らえて、悪させえへんように見張 るしかない。それも巫覡 の役目 やからな」
そうは言いつつ、水煙 は不機嫌 やった。
ぷんぷんしながら、それを許 す話をしている水煙 の、気位 高そうに、つんと顎 を上げた顔は、俺が見たかていつになく、可愛 げあるような気がしたわ。
兄さん、朧 と和解 したんか。
やるやん兄さん、たまにはええことするやないか。
これでまた一段 と、朧 様救済 計画にも現実味 が湧 いてきた。
その前に俺らが死んでもうたりしなければの話!
「朧 ! お前はいつまで同じ歌ばかり歌ってるんや。飽 きたわ! 腑抜 けとらんで、なんか違 うのを歌え」
水煙 はめっちゃ偉 そうに、車椅子 から気の毒な朧 様に命令した。
すると怜司 兄さんは哀 れっぽくビクッとして、なんでか大急ぎでアキちゃんのとこに来た。
俺がまだまだ背中 に張 り付 いているアキちゃんの横に、朧 は逃 げ込 んできて、何の遠慮 もなく、ぎゅうっとアキちゃんに身を寄 せた。
「怖 いわあ。水煙 。あいつ俺をいじめるんや」
黒い直衣 姿 のアキちゃんに腕 をからめて、頬 を擦 り寄 せてくる怜司 兄さんは、それが誰 か、ちゃんと区別ついてんのか怪 しかった。
「ケチやわあ。たまにちょっと会うくらい、ええやないか……なあ?」
朧 様はアキちゃんの耳にそう囁 くようにぼやき、俺が居 るのも気にならんのか、懐 かしそうにアキちゃんの肩 に頭を乗せて、甘 えかかっていた。
なにをすんねん、俺の男に。
そう思わないでもなかったけど、なんでか俺は腹 が立たへんかった。
なんでやろ、焼 き餅 焼きの蛇 さんやのにな。
たぶん怜司 兄さんが、俺のアキちゃんやのうて、別のアキちゃんの肩 に、擦 り寄 っているからやろう。
今はそれを、邪魔 したったら可哀想 やって、さすがの俺でもそう思った。
「次、なに歌おかなあ……暁彦 様」
にこりと淡 い笑 みで、怜司 兄さんはアキちゃんに訊 いた。
「歌もええけど、お前ちょっと休んだほうがええやんないか」
シャツの白い胸 を染 める、赤黒い血の跡 を見て、アキちゃんは心配げに答えていた。
それは怜司 兄さんの血ではないけど、ある意味、それ以上のヤバいもんや。
「なんで? 休 んでも治らへん。先生もいっしょに歌お。亨 ちゃんも」
張 り付 いたような笑 みで、怜司 兄さんに間近 で言われて、俺は止まった。
えっ。なんで。なんで俺のこと知ってんの、怜司 兄さん。
そら、正気 やったら知ってるやろう。
まさかそんな、一瞬 で忘 れられるほど、俺かて存在感 薄 くはないんやで。
せやけど今、怜司 兄さん、夢 ん中にいるんやと思ってた。
俺のことなんか、アウト・オブ・眼中 かと。
「亨 ちゃん、声綺麗 やし、歌上手 いんやないか。俺ちょっと疲 れたし、代わりになにか歌っといてくれへんか」
「な、にか……って、何?」
俺はめっちゃぎくしゃくと、怜司 兄さんと話した。
そしたら怜司 兄さん、なんかすごく、悲しそうに微笑 んでいた。
「なんでもええねん。ごめんやで亨 ちゃん。今、ちょっとだけ、先生貸 してくれへんか。ちょっとだけでええねん。ちょっとだけ……」
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