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26-115 トオル

 昔、ちょっとフランスに住んでみたことがあって、そこでは(とおる)ちゃん、酒場(さかば)歌歌(うたうた)いやってん。  どうってことない店やったけど、小さい、クルミの木でできたステージがあって、赤いビロードのカーテンが、薄暗(うすぐら)い照明の部屋(へや)の中に、かけられていた。  気まぐれに俺が、そこで歌うと、(みな)()()れて、俺の歌が聞きたくて、しだいに客が()えた。  あんまりまともな(やつ)が来るような店とは言えへんかったんやけども、毎週、金曜にだけ(あらわ)れる、いかにも真面目(まじめ)そうなおっさんがいて、その目が(ほか)(だれ)よりも熱く、俺を見ているような気がして、もしかしてこれが、愛やないかと思ってん。  歌の文句(もんく)にあるような。永遠(えいえん)二人(ふたり)で生きて、(はな)ればなれにならない。俺がずっと(さが)している、同じ(たましい)片割(かたわ)れではないかと。  俺って()れっぽいねん。(だれ)にでもすぐそう思う。  もう(さが)(つか)れてもうててな、お前でええわ、俺を幸せにしてくれって、(すが)()きたい気分やってん。  そのおっさんも、けっこうすぐに食うてもうたよ。ばりばり食うてもうた。ほんまに食うてもうてん。  その人にも、藤堂(とうどう)さんみたいに、(おく)さんと(むすめ)()って、家族は()てられへんと言うていた。  そうか、それはしょうがないと、俺も(あきら)めてはいた。  そのつもりやったというかさ。  でもな、ある金曜日、おっさんは俺んとこに来て、仕事で遠くへ行くんだ、もう会えないんだ。さようならだと言った。  さよならと、俺も言うたつもりやったんやけど。気がつくと、楽屋(がくや)が血まみれ。  おっさん片腕(かたうで)しか残ってへんかった。  俺がやったんやと思う。よう(おぼ)えてないんやけどさ。  その人の好きやった歌も、Hymne à l'amour(イムヌ・ア・ラムール)やったわ。  せやし、よう歌った、その人のために。  そして、その時から今まで、いっぺんも歌ったことない。  思い出してまうやん。自分がただの怪物(かいぶつ)で、人を食って生きてる悪魔(あくま)。  そんな(やつ)が、いったい(だれ)と幸せになれんの。  そんな都合のいい相手はいない。俺が(さが)してる(たましい)片割(かたわ)れなんてのは、どこにもおらん。  俺は永遠(えいえん)に、ひとりで世界を彷徨(さまよ)っている(おに)で、未来永劫(みらいえいごう)ひとりぼっちなんやって、そう思えてくる。  アキちゃんも、もしかすると、そうかもしれへん。ただ俺が思いこみたいだけで、ほんまは運命の相手なんかやのうて、ただ行きずりの、なんでもない男やったのかもしれへん。  俺のせいで、ひどいめに()わされた、過去(かこ)に出会った偽物(にせもの)の、(たましい)片割(かたわ)れたちと同じでな。  だけどもう、俺も終わりにしたいねん。  アキちゃんが俺の旅の終着点(しゅうちゃくてん)。俺はアキちゃんのとこで、幸せになるねん。  めでたし、めでたし。そういうオチにして、二人(ふたり)でずっと幸せに、生きていけるんやったら、俺はなんでも我慢(がまん)するよ。何でもする。  ほんまにね、お月さんだって、(ぬす)んできてやるよ。  それでアキちゃんと俺が、幸せになれんのやったらね。  せやしアキちゃん、俺と生きてよ。俺はお前と生きてやるから。  お前も俺のこと、もっと本気で愛してよ。  たとえ空が()けて、俺らの頭上(ずじょう)にふりかかろうとも、大地(だいち)(くず)れて、俺らを()()もうとしても、そんなん関係あらへん。  アキちゃんが俺を愛してくれてさえいれば、俺は幸せ。  どんな()暗闇(くらやみ)の中にいても。  そう思って歌うと、久々(ひさびさ)ながら、俺様(おれさま)(のど)()えていた。  めちゃめちゃ良かった。自分で言うのもなんやけど。(ふる)()くような美声(びせい)やった。  さすが神。水地(みずち)(とおる)は神ですね! 「上手(うま)い……」  アキちゃんの(うで)()かれていた怜司(れいじ)兄さんが、それをぐいっと()しのけて、俺を()めてた。 「上手(じょうず)すぎる、(とおる)ちゃん。感動(かんどう)した!」  ありがとう。怜司(れいじ)兄さん感動(かんどう)しはったで。 「この曲、俺の持ち歌やったけど、今後は(とおる)ちゃんにやるわ。また歌ってね。なんならデビューする? えらいオッチャン紹介(しょうかい)しよか?」 「デビューせんでええねん。元気出たんか、怜司(れいじ)兄さん」  俺が椅子(いす)にふんぞりかえって()くと、怜司(れいじ)兄さんはまだ青白い(あわ)()みで、うんうんと(うなず)いていた。 「いつまでも、先生()りとくわけにいかんから」  ぐちゃぐちゃなってた(かみ)を手(くし)で直しつつ、怜司(れいじ)兄さんは()ずかしそうに返事していた。 「(とおる)ちゃんのやもんなあ、本間(ほんま)先生は。愛しちゃってんのやもん。ごめんね、ちょっと()りて」  すみませんて、恐縮(きょうしゅく)したみたいに、怜司(れいじ)兄さんはアキちゃんをぐいぐい()しのけていた。  アキちゃんカワイソ。別に無理矢理()いたわけやないのに、まるでセクハラしてたオヤジみたいやないか。

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