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26-119 トオル

 怜司(れいじ)兄さんが犬に無理矢理(むりやり)「ハクション大魔王(まおう)」を歌わせ、今度こそほんまに()っぱらっていたらしい(よう)ちゃんが、お前もなんか歌えと言われて、少年時代からヴァチカンの聖歌隊(せいかたい)(きた)えた(のど)で、ハレルヤを絶唱(ぜっしょう)していた。  みんな歌が上手(うま)かった。さすがは神や妖怪(ようかい)どもや。  ローレライの魔女(まじょ)っぽいやつに、うっかり歌わせてもうて、みんな朦朧(もうろう)としたりするハプニングもあった。  あかんあかん、()たらあかん。  魔女(まじょ)急遽(きゅうきょ)退場(たいじょう)。  でもそれは、魔女(まじょ)のせいばっかりやない。  日付が変わる(ころ)ともなると、(みな)待ちくたびれて、昼間の(つか)れもあって、うとうと(ねむ)姿(すがた)もそこかしこに(あらわ)れだしていた。  怜司(れいじ)兄さんもめっちゃ(ねむ)そうやった。  なんせアキちゃんのせいで徹夜(てつや)続きや。ろくろく()てない。  ()()がちな目の、長い睫毛(まつげ)が重そうに見えた。  怜司(れいじ)兄さんはもう自分が歌う気はないんか、DJブースは(から)にして、みんなが(くつろ)ぐ赤いソファ席のほうに来ていた。  竜太郎(りゅうたろう)直衣(のうし)姿(すがた)のまま、(そで)をくちゃくちゃにして、怜司(れいじ)兄さんに(もた)れて(ねむ)りこけ、蔦子(つたこ)さんも度々(たびたび)予知(よち)(つか)れか、起きてんのか()てんのか分からんような、ぼうっとした横顔(よこがお)をしていた。  犬は水煙(すいえん)になんか言い聞かせられていたんか、黒い犬の姿(すがた)になって、アキちゃんの足下(あしもと)で、(ねむ)ったようなふりをしていたし、当の水煙(すいえん)も、人型でいるのがしんどいとか言うて、物言わぬ(けん)の形に(もど)り、アキちゃんの手元にあった。  俺はアキちゃんの(となり)に、ぴったりくっついて(すわ)ってた。  アキちゃんが段々(だんだん)無口で、段々(だんだん)緊張(きんちょう)しているふうに見えたんで、なるべく(そば)に、ぴったりくっついて()りたかったんや。  おとんも俺を(そば)から(はな)すなって、言うてたやん。  せやし不謹慎(ふきんしん)やないで、ここでベタベタしとっても。  もっともアキちゃんは無言で、ずうっと絵を()いていた。  (だれ)のとも知れへん、綺麗(きれい)な歌声が次から次へと聞こえてくる中、真新(まあたら)しいスケッチブックに、アキちゃんは黙々(もくもく)鉛筆(えんぴつ)を走らせて、そこらじゅうにある異界(いかい)の、美しい異形(いぎょう)の者たちの姿(すがた)や、朧気(おぼろげ)(かす)んで見える、この中庭の宴席(えんせき)の風景を、さらさらと素描(そびょう)していた。  俺はただそれを、アキちゃんにくっついて見てるだけ。  それでも何か、幸せなような。(ゆた)かな時間がゆっくりと、流れているような気がして、この時がずっと、終わらんかったらええのにと、心の(すみ)で思ってた。  でも、スケッチブックの紙が()きてもうて、アキちゃんは()くのをやめた。  一(さつ)全部に、ぎっしりと、鉛筆(えんぴつ)だけで()いた絵が()まっていて、スケッチブックはずしりと重いように見えた。 「紙なくなってもうた」  小さくため息をついて、アキちゃんは()(つか)れた指の、黒く(すす)けた鉛筆(えんぴつ)の粉を、()れたタオルで()き取っていた。 「(きつね)に新しいの出してもらうか」  もっと()くかと俺が()くと、アキちゃんは首を()って、車座(くるまざ)の向かいのあたりを視線(しせん)で指した。  そこでは大崎(おおさき)(しげる)腕組(うでぐ)みをして、ソファに腰掛(こしか)けたまま、目を()じていた。  ()てんのか、それとも起きてんのか、わからへんのやけども、()てんのかもしれへんかった。  もし起きてたら、まだ舞妓(まいこ)さんの格好(かっこう)したままの秋尾(あきお)が、先生の(かた)にもたれて(ねむ)っているのを、()(はら)ったかもしれへん。  その(わり)には、起きてるような息遣(いきづか)いやねんけど、ここはちょっと、()てたってことにしといてやろうか。  天下(てんか)大崎(おおさき)(しげる)やし、人様(ひとさま)のいてはるとこでは、(きつね)といちゃついたりせえへんねん。  邪魔(じゃま)しちゃ悪いか。  俺もそう納得(なっとく)して、もう絵は(えが)かへんというアキちゃんに、グラスに()いだ京都の水を飲ませてやった。 「待ってると、なかなか()いひんもんやな」  苦笑(にがわら)いして、アキちゃんは水を飲んでいた。  (たし)かにもう、運命の日が始まって、三時間も()ぎている。  いったいいつ、(なまず)様は起きるんや。  まさか予言(よげん)がハズレてたなんて、そんな(あま)いことはないんやんな。  このまま何事も起きず、あれえ不発(ふはつ)やったねえって、(みな)で笑って解散(かいさん)なんて、そんな事には。 「おとんと、おかん、いつ(もど)ってくんのやろなあ」  ごそごそと、アキちゃんの(わき)にもぐって、(うで)をからめつつ、俺は()いた。 「(もど)ってきても、お前を(りゅう)()(にえ)になんて、俺は絶対(ぜったい)しいひんから」  俺に安心しろというふうに、アキちゃんはひそめた声で、断言(だんげん)していた。 「水煙(すいえん)ならええの」  なにげないふうに、俺が()くと、アキちゃんはぐっと()まった。  すぐ手元には、()てるみたいに(だま)りの、ご神刀(しんとう)水煙(すいえん)様があり、そんな話になってても、やっぱり何にも言う気配(けはい)はなかった。 「ええことないなら、何か考えんとあかんのとちゃうの?」 「もう、ええねん。お前は心配せんでもええよ。俺は覚悟(かくご)を決めたから」

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