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26-120 トオル
そう言うて、アキちゃんは確 かに、何かを覚悟 したような顔やった。
それで絵描 いてたんかと、俺は納得 した。
アキちゃんは何か、悩 んでいる時、大抵 黙々 と絵を描 いている。
頭ん中を整理したい時に、絵を描 いて、自分の中でいろいろ考えているんやろう。
山ほど絵描 いて、アキちゃんが出した結論 がなんやったんか、俺は訊 かへんかった。
俺の口から、どないして水煙 を諦 めるのか、訊 くのも酷 いと思えたし、いくら俺でも、その件 は、アキちゃんと水煙 の問題やった。
蛇 が口はさむような事やないと、俺には思えたんや。
「亨 」
アキちゃんは真面目腐 った顔で俺を呼 び、抱 き寄 せた俺の頬 に触 れてきた。
「お前、歌上手 いなあ。さっきのあれ、フランス語? なんでそんなん、喋 れんのや」
なんでもない世間話 のように、アキちゃんはそう訊 いて、うっすら笑っているみたいやった。
「なんでって、昔ちょっと居 たことあるねん。フランスに」
「そうなんや。その話、まだ聞いたことなかったな。よう考えたら、俺はお前のこと、ほとんど何も知らんのやもんな」
残念そうに、アキちゃんが言うんで、俺は困 った。
なんやねん、今さら俺の素性 の詮索 か、アキちゃん。
知りたくないって、いつも言うてたやん。
おとんに言われて、急に気になってきたんか。
俺はそう思て、嫌 そうな顔でもしたんかな。アキちゃんはまた、困 ったように笑っていた。
「今年 のクリスマス、何しよか。亨 。お前と会 うて、それでやっと一年やろう。まだ一年、経 ってへんのやもんな。なんやもう、ずうっと昔から、一緒 に居 ったような気がするけど……」
そうやなあ。
アキちゃんとは、ずっと昔から、一緒 に居 ったみたいな気がするわ。
ほんまはまだ、たったの一年足らずやのにな。
「なんか欲 しいもん、あるか?」
アキちゃんは俺の手を握 り、にこにこそう訊 いていた。
クリスマス・プレゼントか?
気ぃ早いでアキちゃん、まだ夏やないか。
「ないけど……。俺にも絵、描 いて。トミ子には去年、絵描 いてやったんやろ」
俺が強請 るとアキちゃんは、去年のクリスマスのことを思い出したんか、さらに苦笑 した。
「そやな。お前の絵か。また描 きたいな……」
「そういや、トミ子にやろうとしてた、ガワのほうの女の絵、どないしたん」
「捨 てた。腹立 ったから、破 いてホテルのゴミ箱に捨 てといたわ」
アキちゃんは恥 ずかしそうに、そのことをゲロった。
俺は、アキちゃんがキレて、絵を破 いて捨 ててるところを想像 して、面白 なって笑った。
「物悲 しいなあ、アキちゃん。アホみたいやわ」
「そうやな。餓鬼 くさかったわ、我 ながら。他 にもいろいろ。今もそうやけど。俺は結局 、ずっと餓鬼 のままなんやろな。大人 になる暇 、なかったわ」
苦笑 のまま、アキちゃんが悔 やんでそう言うのを聞いて、俺は微笑 のまま、自分を抱 き寄 せるアキちゃんの顔を、困 って見つめた。
誰 も見てへん訳 やないのに、アキちゃんはそうっと、俺の唇 にキスをした。
ただ触 れるだけの淡 いキスやったけど、俺は少々びっくりして、アキちゃんを見つめ返した。
「亨 。いろいろ考えたんやけど、俺はやっぱり、大人 にはなられへん。アホかもしれへんけど、龍 の生 け贄 に、水煙 をやるわけにはいかへん。俺が行く。堪忍 してくれ」
「アキちゃん……」
「ちゃんと生きて、お前に絵描 いてやりたかってんけど。もしも無理でも、俺のこと、許 してくれ」
俺を抱 きしめて、耳元 に囁 いているアキちゃんに、俺は不思議 な納得感 があり、やっぱりそうかと思ってた。
アキちゃんが水煙 を、捨 てられるわけあらへん。
おとんもそう言うてたやないか。
あの青い人を龍 に食わせて、アキちゃんがその後、呑気 に絵なんぞ描 いてられるわけない。
アキちゃんは水煙 のことが好きなんや。たとえそれがお家 のためでも、三都 を救 うためであっても、水煙 を見殺 しになんて、できるわけない。
「俺も連 れて行って」
アキちゃんの抱擁 に応 えながら、俺は頼 んだ。
それくらいは俺の権利 や。そうやないかって、言いたくて。
アキちゃんはそれには何も言わず、ただ小さく頷 いていた。
その頷 くアキちゃんの頭を、俺は必死で掻 き抱 いた。
嘘 やないよなアキちゃん。
俺に嘘 なんか、ついてないよな。
アキちゃんは俺に嘘 なんて、ついたことない子やもんな。
これも嘘 やない。
「好きや、亨 。こんなことになって、ほんまにすまん」
「アキちゃんのせいやないやんか」
「そうやけど……去年のクリスマス、俺がお前に会わへんかったら、お前もこんな目に遭 わんですんだのに。他 にもお前には、しんどいことばっかりやったやろ。俺と居 るより……例えば中西 さんとか。他 の誰 かと幸せになってたほうが、きっとお前のためやった」
本気らしい声で、アキちゃんは俺に謝 っていた。
「そんなことないよアキちゃん」
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