694 / 928

26-120 トオル

 そう言うて、アキちゃんは(たし)かに、何かを覚悟(かくご)したような顔やった。  それで絵描(えか)いてたんかと、俺は納得(なっとく)した。  アキちゃんは何か、(なや)んでいる時、大抵(たいてい)黙々(もくもく)と絵を()いている。  頭ん中を整理したい時に、絵を()いて、自分の中でいろいろ考えているんやろう。  山ほど絵描(えか)いて、アキちゃんが出した結論(けつろん)がなんやったんか、俺は()かへんかった。  俺の口から、どないして水煙(すいえん)(あきら)めるのか、()くのも(ひど)いと思えたし、いくら俺でも、その(けん)は、アキちゃんと水煙(すいえん)の問題やった。  (へび)が口はさむような事やないと、俺には思えたんや。 「(とおる)」  アキちゃんは真面目腐(まじめくさ)った顔で俺を()び、()()せた俺の(ほお)()れてきた。 「お前、歌上手(うま)いなあ。さっきのあれ、フランス語? なんでそんなん、(しゃべ)れんのや」  なんでもない世間話(せけんばなし)のように、アキちゃんはそう()いて、うっすら笑っているみたいやった。 「なんでって、昔ちょっと()たことあるねん。フランスに」 「そうなんや。その話、まだ聞いたことなかったな。よう考えたら、俺はお前のこと、ほとんど何も知らんのやもんな」  残念そうに、アキちゃんが言うんで、俺は(こま)った。  なんやねん、今さら俺の素性(すじょう)詮索(せんさく)か、アキちゃん。  知りたくないって、いつも言うてたやん。  おとんに言われて、急に気になってきたんか。  俺はそう思て、(いや)そうな顔でもしたんかな。アキちゃんはまた、(こま)ったように笑っていた。 「今年(ことし)のクリスマス、何しよか。(とおる)。お前と()うて、それでやっと一年やろう。まだ一年、()ってへんのやもんな。なんやもう、ずうっと昔から、一緒(いっしょ)()ったような気がするけど……」  そうやなあ。  アキちゃんとは、ずっと昔から、一緒(いっしょ)()ったみたいな気がするわ。  ほんまはまだ、たったの一年足らずやのにな。 「なんか()しいもん、あるか?」  アキちゃんは俺の手を(にぎ)り、にこにこそう()いていた。  クリスマス・プレゼントか?  気ぃ早いでアキちゃん、まだ夏やないか。 「ないけど……。俺にも絵、()いて。トミ子には去年、絵描(えか)いてやったんやろ」  俺が強請(ねだ)るとアキちゃんは、去年のクリスマスのことを思い出したんか、さらに苦笑(くしょう)した。 「そやな。お前の絵か。また()きたいな……」 「そういや、トミ子にやろうとしてた、ガワのほうの女の絵、どないしたん」 「()てた。腹立(はらた)ったから、(やぶ)いてホテルのゴミ箱に()てといたわ」  アキちゃんは()ずかしそうに、そのことをゲロった。  俺は、アキちゃんがキレて、絵を(やぶ)いて()ててるところを想像(そうぞう)して、面白(おもしろ)なって笑った。 「物悲(ものがな)しいなあ、アキちゃん。アホみたいやわ」 「そうやな。餓鬼(がき)くさかったわ、(われ)ながら。(ほか)にもいろいろ。今もそうやけど。俺は結局(けっきょく)、ずっと餓鬼(がき)のままなんやろな。大人(おとな)になる(ひま)、なかったわ」  苦笑(くしょう)のまま、アキちゃんが()やんでそう言うのを聞いて、俺は微笑(びしょう)のまま、自分を()()せるアキちゃんの顔を、(こま)って見つめた。  (だれ)も見てへん(わけ)やないのに、アキちゃんはそうっと、俺の(くちびる)にキスをした。  ただ()れるだけの(あわ)いキスやったけど、俺は少々びっくりして、アキちゃんを見つめ返した。 「(とおる)。いろいろ考えたんやけど、俺はやっぱり、大人(おとな)にはなられへん。アホかもしれへんけど、(りゅう)()(にえ)に、水煙(すいえん)をやるわけにはいかへん。俺が行く。堪忍(かんにん)してくれ」 「アキちゃん……」 「ちゃんと生きて、お前に絵描(えか)いてやりたかってんけど。もしも無理でも、俺のこと、(ゆる)してくれ」  俺を()きしめて、耳元(みみもと)(ささや)いているアキちゃんに、俺は不思議(ふしぎ)納得感(なっとくかん)があり、やっぱりそうかと思ってた。  アキちゃんが水煙(すいえん)を、()てられるわけあらへん。  おとんもそう言うてたやないか。  あの青い人を(りゅう)に食わせて、アキちゃんがその後、呑気(のんき)に絵なんぞ(えが)いてられるわけない。  アキちゃんは水煙(すいえん)のことが好きなんや。たとえそれがお(いえ)のためでも、三都(さんと)(すく)うためであっても、水煙(すいえん)見殺(みごろ)しになんて、できるわけない。 「俺も()れて行って」  アキちゃんの抱擁(ほうよう)(こた)えながら、俺は(たの)んだ。  それくらいは俺の権利(けんり)や。そうやないかって、言いたくて。  アキちゃんはそれには何も言わず、ただ小さく(うなず)いていた。  その(うなず)くアキちゃんの頭を、俺は必死で()()いた。  (うそ)やないよなアキちゃん。  俺に(うそ)なんか、ついてないよな。  アキちゃんは俺に(うそ)なんて、ついたことない子やもんな。  これも(うそ)やない。 「好きや、(とおる)。こんなことになって、ほんまにすまん」 「アキちゃんのせいやないやんか」 「そうやけど……去年のクリスマス、俺がお前に会わへんかったら、お前もこんな目に()わんですんだのに。(ほか)にもお前には、しんどいことばっかりやったやろ。俺と()るより……例えば中西(なかにし)さんとか。(ほか)(だれ)かと幸せになってたほうが、きっとお前のためやった」  本気らしい声で、アキちゃんは俺に(あやま)っていた。 「そんなことないよアキちゃん」

ともだちにシェアしよう!