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27-04 アキヒコ

 それだけ信頼(しんらい)していたということやろう。  もしかしたら、おとんも、(さび)しかったんかもしれへん。俺と同じで。  自分と同じ境遇(きょうぐう)(やつ)が、身近におらへんところに、大崎(おおさき)(しげる)は弟みたいやったんやろう。  力を合わせて家を守っていく、そんな協力者として、大崎(おおさき)先生の存在(そんざい)が、ありがたかったんやないか。  秋津(あきつ)家の次の世代を一緒(いっしょ)(にな)う、ふたりめの剣士(けんし)として、大崎(おおさき)(しげる)存在(そんざい)が、ありがたかったんや。  俺には生憎(あいにく)、そういう相手がおらんかったんで、(うらや)ましい(かぎ)りやわ。  俺もずっと、子供(こども)のころから、自分にも弟がいたらええのになあと、思ってた。  そしたら俺は、ひとりで家を守らんで()むやんか。  それは弱さかもしれへん。(だれ)かを(たよ)りたいという。  実際(じっさい)にはなんもしてくれへんでもええのやけど、(そば)()って、血が(つな)がっている、俺はひとりやないと思える相手がいてくれたら、心強いんや。  それを(ささ)えに頑張(がんば)れる。そういう時もあるんやないか。  しかし、おとんは、大崎(おおさき)先生を秋津(あきつ)家から出した。  実際(じっさい)のところ何の血縁(けつえん)もない、赤の他人の大崎(おおさき)先生を、戦争まっただなかの、いずれは玉砕戦(ぎょくさいせん)かと(うわさ)されていた時に、秋津(あきつ)(げき)の最後のひとりとして、残していきたくなかったんやろう。  おとんは死ぬつもりでおった。そして自分が死んだ後、残された面々(めんめん)がどないなるか、考えたんやろう。  おかんや、蔦子(つたこ)さんは、しょうがないと、おとんは思ったんやろな。  何があろうが、血筋(ちすじ)の定めや。しょうがない。  しかし大崎(おおさき)(しげる)は他人やないかと。  なんで秋津(あきつ)に付き()うて、死ななあかん義理(ぎり)がある。  ヘタレの(しげる)は出ていけと、そういうことに決めたんやろな。  追い出さんといてくれアキちゃんと、ヘタレの(しげる)(くら)で泣いたらしい。  水煙(すいえん)がそう話していたので間違(まちが)いない。  (しげる)はヘタレやから、すぐ泣きよるんやと、水煙(すいえん)は言うてた。  水煙(すいえん)にとってはそれは、なんちゅう(なさ)けない(やつ)やと思えたらしい。  そやけど、おとんはそうは思ってへんかったんやないか。  家に残してくれと泣きつく(しげる)ちゃんを、出ていけといって、()()せたらしい。  新しい世が、もしあれば、その時こそ死力(しりょく)()くせと言うて。大崎(おおさき)(しげる)秋津(あきつ)家から()がした。  その後、大崎(おおさき)先生はほんまに死力(しりょく)()くしたんやろう。新しい戦後の世の中で。  大崎(おおさき)先生の会社は、ただ(もう)かってるだけやない。戦後の日本経済(けいざい)復興(ふっこう)に、多大な貢献(こうけん)もしたし、今でも慈善(じぜん)事業とか、いろいろやってる。  大崎(おおさき)先生はめちゃめちゃ(えら)そうやけど、それは実際(じっさい)めちゃめちゃ(えら)いからで、(くわ)しく聞いたら(みな)も、そらしゃあないわと思うレベルや。  大崎(おおさき)先生は商才(しょうさい)もあったし、戦後向きやったんやろう。  それでも、おとんが戦地に連れて行けば、そこで死力(しりょく)()くしたんかもしれへん。おとんと共に戦って死んだんかもしれへん。  もしそうなってれば、戦後の日本にとっては多大な損失(そんしつ)やったな。死なんで良かった。  俺はそう思うけど。大崎(おおさき)先生はどない思ってんのかな。  もしかしたら案外、ずっとクヨクヨしてたんかもしれへんで。  (おぼろ)様と同じで、あの時ついていって、一緒(いっしょ)に死んどきゃよかったと、後悔(こうかい)していた一人(ひとり)やったんかもしれへん。  そこをつつくと、藪蛇(やぶへび)になりそうなんで、俺は(だれ)にも()いたことない。大崎(おおさき)先生本人にはもちろんやけども、おとんにも、秋尾(あきお)さんにも、(だれ)にもや。  けど、そこにはたぶん何か、気軽につっついたらあかんような、()められた物語がある。  モテモテの暁彦(あきひこ)様の、昭和モテモテ伝説の、曖昧(あいまい)なままの(あわ)い色した書きかけの一(ページ)みたいなもん。  もしも日本が戦争なんかしてなくて、太平洋には艦隊(かんたい)はなく、おとんが平和に絵描(えかき)いて、呑気(のんき)なボンボン()らしを延々(えんえん)と続けて行けてたら、一体どないなっていたんやろう。  案外、大崎(おおさき)(しげる)はいまでも秋津(あきつ)家の一員で、俺の戸籍(こせき)上の親である本間(ほんま)のおじさんみたいに、ずっと嵐山(あらしやま)の家に住んでたんかもしれへん。  でかい会社も、会長の椅子(いす)も、飛び出す薄型(うすがた)テレビもなかったかもしれへんけども、それもまた人生。  場合によっては俺は、この世に生まれてもおらんかったかもしれへんのやけども、それでも大差ない。  おとんと大崎(おおさき)先生、アキちゃん(しげる)ちゃんコンビが、三都(さんと)(やみ)を守ってくれていたやろう。  (みな)が平和に()らせてることに変わりはなかったんやないか。  大崎(おおさき)先生はほんまはずっと、そういうコースを望んでたんやないやろか。  子供(こども)のころから、ほんまはずっと、腹立(はらた)兄貴(あにき)のアキちゃんと、時々ふたりで鬼退治(おにたいじ)して、時々ふたりで絵描(えかき)いて、時々、祇園(ぎおん)羽目(はめ)はずす、そういう時代が永遠(えいえん)に、続けばええなあと思ってたんやないか。

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