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27-07 アキヒコ
俺はなんもしてへん。虐 めもしてへん。
それどころか、口もまともに利 いてない。ただ目を合わせただけ。
そやのに相手が、勝手におかしなったんや。
俺がただ、見るだけで怖 いと言うて。
何もせんでも、俺がただ、そこにいるだけで、怖 いと言うて。
そんな無茶な言いがかりがあるかと、俺は腹立 たしかったけど、なんでか知らん、皆 がそれに、不思議な納得 をしているらしいのを、ただじっと、黙 ってやり過 ごすしかなかった。
俺はもう高校生やったし、小学生のチビのころみたいに、蔵 に走って帰って、そこで泣くわけにはいかへんかったからや。
桁外 れの通力(ちから)を持つモノを、人は恐 れる。
それは神か、そうでなければ物 の怪 やからや。
人は俺を恐 れ、俺は俺を恐 れる世間 を恐 れた。
自分が人ではないと、言われているような気がして。
「行こうか、本間 の暁彦 」
肩口 で、じたばたしている飛燕 をひっつかみ、大崎 先生はその白銀 の体を扱 くようにして、また太刀 に戻 した。手品のようやった。
「飛燕 の言うことは、気にせんでええ。こいつは口が悪いんや」
今はもう、押 し黙 っている太刀 を見下ろし、大崎 先生は伏 し目 に言うた。
「しかし、ほんまのことや、坊 。通力(ちから)のある者 が、子を成 すのは簡単 ではない。通力(ちから)の釣 り合 いが取れてる相手とでないと。それに天地(あめつち)の加護 がないと。そやけど通力(ちから)がありすぎても、危 ないんや。人間の領分 を、越 えてしまう」
中庭を抜 けて、ホテルのロビーへ通じる道筋 に、大崎 先生は俺を促 した。
朧 が作った、だだっ広い異界 を抜 けて、現実 の世界へと戻 る道筋 を、大崎 先生は知っているようやった。
爺 さんの歩く数歩先に、暗いトンネルのように、別の位相 へと続く道が、踏 み分 けられていくのが見えた。
俺はそれに、ついていった。
皆 もそれに、ついていくようやった。
ほんまやったら、俺がやらなあかんかったんかもしれへん、現世 へ戻 るための露払 いを、大崎 先生がしてくれていた。
薄暗 いトンネルを、抜 き身 の太刀 を持ったまま、半身 遅 れて並 んで歩き、俺は大崎 茂 の後を追った。
「登与 姫 は、相当 の危険 を冒 してお前を産んだやろう」
回想 するような、ゆっくりとした声で、大崎 先生はそう話した。
「秋津 の跡目 をとらせるんやと、お前がまだ赤 ん坊 やった頃 には、そう言うていた。水煙 は失われ、主立 った一族の者たちも死 に絶 えたが、血筋 を絶 やすわけにはいかんと」
ゆっくりと歩いていく先には、埃 っぽいような闇 が、待ち受けていた。
外は闇夜 やった。
崩 れ落 ちたロビーに、崩落 した天井 と、落ちて壊 れた鉄のシャンデリアが散乱 していた。
「いつ頃 からやったかな、登与 姫 が悩 みだしたんは。お前が鬼道 を嫌 い、その道から目を背 けるもんで、登与 姫 もほとほと困 ったんや。そやけど、お前がどうしてもつらいんやったら、家など滅 びてもいいと、登与 姫 は言うていた」
鋭 く痩 せた大崎 茂 の横顔は、行く先を見つめた険 しい無表情 やった。
それが話す、おかんの話を、俺は黙 って聞いていた。
「でも、それは、おかんの我 が儘 やないやろか、本間 の暁彦 。俺にもあるが……お前には、男子一生 の仕事があるやろ。命がけでも、戦わなあかん戦(いくさ)が、いつもお前を待ってるんやで」
俺を振 り向 き、そう言う大崎 先生の肩越 しに、ロビーに立っている、骸骨 が見えた。
まずは一体。崩 れた瓦礫 の上に立ち、かたかたと鳴るような、微笑 めいた表情 を浮 かべて見えた。
「逃 げても鬼 は、お前を追うてくる。戦うしかないんや。背中 から、斬 られて死にとうなかったらな」
肩越 しに、俺を振 り返 って見つめ、大崎 茂 はにやっと笑った。
そして俺は、異界 を脱 し、現実 の世界へと、立ち返ってきた。
ふわふわ漂 うような、夢 みたいやった美しいところから、土埃 の漂 う、真っ暗な瓦礫 の中へ。
一体どっちが現実 か、瞬間 ふっと、わからんようになる光景 やった。
元の美しかったヴィラ北野 のロビーとは思えん。
あちこち崩 れてもうて、綺麗 やったソファやカーペットも瓦礫 に埋 まり埃 だらけや。
生けられていた花瓶 の花も、盛大 に撒 き散らかされ、濡 れた陶器 の破片 が飛び散っている。
ひどいもんやと俺は驚 いた。
何もかも、壊 れてもうてる。中西さんが築 いた完璧 やった世界が、めちゃくちゃや。
しかもそこには、骨 が立っていた。
朧 が化けてるような、麗 しい骨 とは違 う。
かさかさに乾 き、古びた墓 から現 れたような、正真正銘 、現実 の人間の骨 やった。
とっくに死んでる。そう思えるのに、そいつは突 っ立 ち、こちらを見ていた。
何もなくなった、がらんどうの眼窩 から。
「どないしたんや。亡者 がこんなところを、ほっつき歩いて」
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