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27-11 アキヒコ
「なんやその格好 は。神事 やぞ、宮本 の」
咎 める口調で大崎 先生は言い、師範 は気まずそうにうつむきがちやった。
「すみません、嫁 が斎服 やら何やら一式 、まとめて荷物に入 れ忘 れまして」
「そんなアホなやで。素人 の女なんか娶 るからや」
それがまるで、あかん事のように、大崎 先生は言うていた。
小夜子 さんは、確 かに一般人 。
キリスト教徒で、それはちょっと一般的 ではないかもしれへんけども、でも普通 の世界の普通 の人やで。
鬼道 を行ってる俺らとは違 うてる。
「申 し訳 ありません」
「いや、それはかまへん。そんなもんお前の自由やさかいな。ただ、なんでもうちょっと、嫁 を教育しいひんのや」
なんでしいひんの、師範 。
なんでかなんて、訊 かんでもわかるやん。鬼道 の世界にどっぷりの、大崎 先生にはわからんのかもしれへんけど、俺にはわかるわ、なんとなく。
言いづらいやろう、何となく。
隠 しておきたいやろう、ほんまのほんまの所はさ。
うちの家業 は剣道 の道場 やというので、済 ましておきたい。
まさかそれが副業 で、ほんまのほんまの本業 に、鬼 斬 る仕事をしています。そのための剣 が伝家 の宝刀 で、それには神が宿 っていますとは、言いづらい。
それがただ単に、一般人 には聞こえへん声で話すっていうだけの剣 やったら、まだしもや。
その声が囁 くのが、一般的 でない痺 れる話やったら、気楽に嫁 さんに打ち明けるような事やないやんか。
小夜子 さんは追ってきた。可愛 いドレスの裾 を乱 して、なんや訳 のわからん人やら式 やらを押 しのけて、新開 師匠 を追いかけてきた。
いつもふわふわの巻髪 が、ちょっと乱 れて、小夜子 さんは青い顔やった。
「浩一 さん!」
捨 てないで、みたいに、小夜子 さんは必死の声で師範 を呼 んでた。
師範 は困 ったように、半身 にそれを振 り返 っていたけども、何も答えず、ただ握 りしめた抜 き身 の雷電 を、握 り直 しただけやった。
そういえば雷電 も、美しい剣 や。
稲妻 のような刃 紋 が踊 る。
通力 を持って振 るえば、雷鳴 によって答える。
「どこへ行くの、浩一 さん。私 も連れて行って。置いていかないで」
必死の体 で呼 びかける小夜子 さんを、皆 が見ていた。
でかい狼 の上から見下ろす蔦子 さんの伏 し目 な視線 は、冷たいまでに冷静やった。
そうして見比 べると、蔦子 さんと小夜子 さんは、おんなじ女やと言うても、全然別種 の生きモンやった。
小夜子 さんは、可哀想 なまでに通力 がない。
ごく普通 の、可愛 いらしいおばちゃんで、とてもやないけど、これから出て行く戦場へ、つれていけるような人やない。
まだしも竜太郎 のほうが見込 みある。
たとえ小夜子 さんの半分も生きてないような子供 でも、竜太郎 はこっちの世界の人間や。
可哀想 やけど小夜子 さんは、お留守番 やな。
亨 はそういう目で、ふわふわの小夜子 さんを横目 に見ていた。
他人事 みたいに。
「ホテルで待っとれ、小夜子 。明日 には戻 ってくる」
「どこへ行くの、こんな時に」
なんでこんな、どえらい地震 が起きて、心細 い時に、自分を放っていくのかと、小夜子 さんは戸惑 っていた。
どこへ行くんか、師範 は奥 さんに何も説明してへんかったんやろう。
師範 は骨 と戦いにいく。死の舞踏 と。
そして鯰 を鎮 める神事 に参加する。
それが覡 としての、血筋 の義務 やったからや。
「待っといてくれ、小夜子 。このホテルは安全や。ここを守るための者も残されているし、ここには危険 は及 ばへん」
「危険 ってなに? どうやって地震 から守れるの」
真剣 に訊 ねている小夜子 さんに、師範 はちょっと笑ったように見えた。困 ったなあて言うふうに。
でも、よう分からへん。だって髭面 なんやもん。
どんな顔してんのかも、ようわからん。
「一緒 にいて」
「すまん。これが俺の、仕事やねん」
師範 はすげなく、詫 びていた。
それでも事情 を話すつもりはないみたいやった。
この期 に及 んで、まだ黙 りや。
それはちょっと、薄情 なんとちがいますか師範 。
俺ならもう、話してまうけどな。居直 って。
だってこれが、場合によっては今生 の別れやで。
なんや知らん理由で出て行った旦那 が、死体になって戻 ってくる。あるいは死体さえ戻 ってこない。そんなん、ひどいと思わへんの?
師範 は生きて戻 るつもりやったんやろ。
何としても生きて戻 り、小夜子 さんとの、ごく普通 の暮 らしの続きに、戻 るつもりでいた。
そうせなあかんと思ってた。
そうでないと、小夜子 さんは可哀想 や。
変な旦那 と結婚 してもうたせいで、不幸になってまう。
それは何としても避 けなあかん。
だって師範 は小夜子 さんを愛してんのやもん。
当たり前のありがちな話やけども、俺らの世界では根性 のいる話やで。普通 に結婚 して、普通 に奥 さん愛していくというのは。
奥 さんだけを、愛していくというのはな。
「景気 の悪い顔すんな、縁起 でもない」
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