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27-12 アキヒコ

 (あき)れたように、(だれ)かが(しゃべ)った。  ビリッと(しび)れるような、威勢(いせい)のいい声やった。  それが(だれ)か、俺は一瞬(いっしゅん)(なや)んだけども、(なや)むまでもない話やった。  雷電(らいでん)や。雷電(らいでん)が、(しゃべ)ったんや。  そらそうやろな。水煙(すいえん)(しゃべ)り、飛燕(ひえん)(しゃべ)るんやから、雷電(らいでん)かて(しゃべ)る。  そういう(けん)なんや。(たましい)が宿り、心がある。ただの鉄くずやないんや。  師範(しはん)の右手に(にぎ)られていた(けん)が、一瞬(いっしゅん)稲光(いなびかり)のような閃光(せんこう)とともに、変転した。人型に。  それはそれは気まずいような、()()()けた色合いの、すらりと細い裸体(らたい)やった。少年の。  (けん)てヌードが基本(きほん)なん? なんで(はだか)なん?  水煙(すいえん)も、雷電(らいでん)も。  一応(いちおう)言うなら飛燕(ひえん)もか。まあどうでもええか飛燕(ひえん)は。  水煙(すいえん)青鬼(あおおに)さんやったら、雷電(らいでん)赤鬼(あかおに)さん。  その赤い(はだ)した、まるで華奢(きゃしゃ)なような長く細い(うで)で、雷電(らいでん)(から)みつくように師範(しはん)()きついていた。  体重がないみたいに、(ちゅう)()いてる。  ()れるとビリビリ(しび)れそうな、帯電(たいでん)した空気をまとって、にやにや笑っている顔は意地悪そうでな。今さら言うまでもないかもしれへんけど、美貌(びぼう)やった。  俺はなるべく雷電(らいでん)の顔は見ないようにした。  だって、この土壇場(どたんば)で何やかんやあるとヤバいから! 「(ひさ)しぶりやなあ、浩一(こういち)。なんやねんこの(ひげ)は。見苦しい」  師範(しはん)(かみ)(つか)み、もう片方(かたほう)の手の平で、雷電(らいでん)(ひげ)(たくわ)えた師範(しはん)(ほお)から下顎(したあご)をさわりと()でた。  その指は、(やさ)しく(あま)いような仕草(しぐさ)やったのに、それでも(するど)(やいば)やったようで、師範(しはん)の顔を(おお)っていた(ひげ)()られ、その下にあった顔が(あら)わになった。  師範(しはん)て案外、色白い。そういいうのが第一印象やったかな。  こんな顔やったんや師範(しはん)。  子供(こども)のころからずっと、師範(しはん)(ひげ)のおっさんて、そういう印象(いんしょう)しかなくてな、どんな顔やか、実はよう見てへんかったんかもしれへんわ。  知らんかった。師範(しはん)てけっこう、男前やったんや。  いかにも和風の、切れ長の一重瞼(ひとえまぶた)で、色白きりりの、剣豪(けんごう)青年みたいやねん。  いや、青年というにはちょっと、トシ食いすぎか。  でもきっと、(わか)(ころ)にはほんまに、格好良(かっこよ)かったんやないか。  まさか高校生の(ころ)から髭面(ひげづら)ってことはないやろ、そんなん校則(こうそく)禁止(きんし)やねんから。  小夜子(さよこ)さんが剣道(けんどう)の大会で見初(みそ)めた(ころ)師範(しはん)て、きっと、乙女(おとめ)一目惚(ひとめぼ)れするような、格好(かっこ)ええ男やったんやで。  そして師範(しはん)はそれからほとんど、変わってへん。  青年というには()けたかな、という程度(ていど)。  実年齢(じつねんれい)から見ると、異様(いよう)(わか)い。  とても小夜子(さよこ)さんの旦那(だんな)とは思えへん。  師範(しはん)のほうが一応(いちおう)、年上のはずやけど、ヘタすると(わか)いおかんと、その息子(むすこ)みたいに見える。  そうやねん。ありがちな話やけどな、霊振会(れいしんかい)では。  通力(つうりき)の強い(もん)は、加齢(かれい)(おそ)い場合がある。  新開(しんかい)師匠(ししょう)もそういう一人(ひとり)やった。  俺のおかんがめちゃめちゃ(わか)いのと一緒(いっしょ)や。  長年血筋(ちすじ)()()もった通力(つうりき)が、師範(しはん)の肉体を常人(じょうじん)からかけ(はな)れたモンにしてもうてたわけ。  そして師範(しはん)は、それを(かく)したかった。(おく)さんには。  自分が只人(ただびと)ではないことは、(かく)しておきたかったんや。  でももうそれも、限界(げんかい)なんとちがうの。だってやっぱ、どう見ても変やもん。  向き合って(かす)かに呆然(ぼうぜん)としてる、小夜子(さよこ)さんの姿(すがた)と、雷電(らいでん)()いて立つ師範(しはん)姿(すがた)見比(みくら)べると、その二人(ふたり)の間は、深くて遠い(へだ)たりがある。 「浩一(こういち)さん……?」  あなた(だれ)、みたいなニュアンスを(ふく)んだ声で、小夜子(さよこ)さんは小さく()いた。  それが常人(じょうじん)反応(はんのう)か。  俺も(おどろ)きはしたけども、師範(しはん)は俺が思ってるより、強い通力(つうりき)があるんやなあて、思った程度(ていど)やったわ。  なんで(わか)いのドン引きや、とかは思わんかった。  だって、そんなんもう、見慣(みな)れてもうてんのやもん。  外見(がいけん)とトシが()()わんような(やつ)ばっかりなんやで、俺の(まわ)りには。 「小夜子(さよこ)(もど)ったら、説明する」 「今さら何を説明するんや、浩一(こういち)。これは話して分かるような女やないやろ。西洋かぶれしてもうて、手前(てめえ)の家の神棚(かみだな)も、いっぺんも(おが)んだことがない。異教(いきょう)の女やないか」  (あま)()びるように言うて、雷電(らいでん)()きついた師範(しはん)(あご)にできてた、(かす)かな()(きず)からベロリと、遠慮(えんりょ)もなく(にじ)んだ血を()めた。  赤い(した)やった。()える火のような。 「お前もおとんの言うこときいて、名だたる巫女(みこ)縁組(えんぐ)みすればよかったんや。そしたら今頃(いまごろ)跡取(あとと)りもおったやろうし、俺かて何年も日照(ひで)りに(あえ)ぎはせえへんかった」  切なげに、雷電(らいでん)師範(しはん)の耳の後ろあたりに顔を()めてキスをした。  じゃれつく(ねこ)のように。あるいは、まるで、古い古い恋人(こいびと)のように。 「何年も変転(へんてん)せえへんかったら、俺はやりかた(わす)れてまうわ。お前は俺に、ずうっと(けん)のままで()れというんか。神棚(かみだな)(まつ)って鬼斬(おにき)って、それで(しま)いか、浩一(こういち)。つれないなあ、お前は……」  それで(しま)いでない時が、あったかのような口ぶりやった。

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