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27-15 アキヒコ

 確(たし)かに朧(おぼろ)はちょっと影(かげ)が薄(うす)かった。なんとなく元気もなかった。  無理はないけど。俺のせいかもしれへんけど。  でも俺を責(せ)めんといてくれよ。  おとんのせいやんか。おとんが全(すべ)て悪いんやで。  俺に文句(もんく)言われても困(こま)りますんで! 「戦闘員(せんとういん)は支度(したく)が整(ととの)ったようや。行こか。斥候(せっこう)の骨(ほね)がいたくらいや。外にはもう、うようよしとるやろ」  にやにや笑(わろ)うたような顔をして、大崎(おおさき)先生はホテルの外を透(す)かし見ているような目やった。 「ええか、坊(ぼん)。お前は未熟者(みじゅくもの)やさかいな、教えといてやるけども、これからお前がする仕事はな、正義(せいぎ)の味方(みかた)とちがうんやで。悪事(あくじ)ではない、そやけど、善行(ぜんこう)でもない。お前はな、畏(おそ)れ多(おお)くも天地(あめつち)の神々の、ごく自然のなさりように、差(さ)し出口(でぐち)を利(き)こうというんや。それを恥(はじ)と思いこそすれ、俺は偉(えら)いと思うたらあかん。よくよく自分の身を弁(わきま)えて、心から祈(いの)り、そして神々の慈悲(じひ)を乞(こ)うんや」  薄(うす)い笑(え)みのまま、大崎(おおさき)先生は秋津(あきつ)の巫覡(ふげき)の心得(こころえ)の速習コースみたいなことを俺に話した。  そやけどそれは、一応(いちおう)言うけど、俺が理解(りかい)できるとは思うてないような話しぶりで、確(たし)かに俺は、わかってへんかった。  神を倒(たお)すのやと思うてた。  鯰(なまず)という、人殺しの悪い神さんを、これから皆(みな)でやっつけんのやと。  そうして神戸(こうべ)を救えれば、俺らはヒーローや。  そういうもんやないかと、心のどこかでは思っていたやろう。 「慈悲(じひ)を?」 「そうや。鬼(おに)と出会うたら、泣いて斬(き)れ。それは神や。生きてる人間の分際(ぶんざい)で、神殺(かみごろ)しをやろうというんや。お前の身は呪(のろ)われるやろう。それによって救われる者も居(お)るかもしれんが、それはたまたまや。自分が偉(えろ)うなったと勘違(かんちが)いはするな」  淡々(たんたん)と言われ、俺は混乱(こんらん)して、口ごもっていた。  それは何?  謙虚(けんきょ)でいろということなんか。  俺はそんなに、偉(えら)そうにしてたか。  そんなつもりはなかったんやけど。  そう悩(なや)んで目の泳ぐ俺を見て、また大崎(おおさき)先生はにやりとしていた。 「行けば分かる」  出陣(しゅつじん)の合図(あいず)が、何かあったやろうか。俺にはわからへんかった。  強(し)いて言うなら、蔦子(つたこ)さんを乗せた白銀(はくぎん)の狼(おおかみ)が、天を突(つ)くような朗々(ろうろう)と高い声で、鋭(するど)い遠吠(とうぼ)えをした。  そして奴(やつ)は、雪と氷を纏(まと)い付(つ)かせたような毛皮を靡(なび)かせ、踊(おど)るような足取りで、その場から駆(か)けだした。  頬(ほほ)を凍(こお)らせるような、冷たい木枯(こが)らしが吹(ふ)き付(つ)けてきて、雪狼(ゆきおおかみ)の蹴(け)る一歩ごとから、白い雪煙(ゆきけむり)が舞(ま)った。  不思議な絵のような一瞬(いっしゅん)やった。  誰(だれ)も一歩もその場から動いてへんのに、景色(けしき)のほうが動いて見えた。  くらっと頭が酩酊(めいてい)したようになり、瓦礫(がれき)に埋(うず)もれていたヴィラ北野(きたの)のロビーが遠のいて、背後(はいご)にみるみる消(き)え失(う)せていく。  閉(と)じられるトンネルの向こう側にいるみたいに、そこに残される人やら式(しき)の姿(すがた)が、暗く遠くなっていき、どこか遠い別の場所へ隠(かく)されようとしていた。  それは朧(おぼろ)の力やったんやろう。まさに神隠(かみかく)しや。  ヴィラ北野(きたの)というホテルごと、それが元々そこにはなかったみたいに、別の位相(いそう)へと切り分けられていき、これから戦おうという奴(やつ)らだけが、何もないその場に残されていく。  俺は見つめた。  その取(と)り除(の)けられる人の群(む)れの中には、小夜子(さよこ)さんもいたし、竜太郎(りゅうたろう)もいた。  命をかけて戦うには、竜太郎(りゅうたろう)はまだ小さすぎたし、それにあいつの戦いは、もう一足先に終わっていたやろう。  じっとこちらを見ている姿(すがた)が遠のいて、小さく消(き)え失(う)せていく横で、なんでそこに残されたんか、不死鳥(ふしちょう)の寛太(かんた)が立ちつくしていた。  ぼうっと心ここにあらずの顔をした、呆(ぼ)けたようなその姿(すがた)を、俺はじっと見つめた。  そしてその横で、唖然(あぜん)と驚(おどろ)いている顔をした亨(とおる)が、俺からどんどん遠くなるのを、ただじっと、黙(だま)って見送った。  亨(とおる)はなにか、叫(さけ)んでたような気がする。  声は聞こえへんのやけど、たぶん、アキちゃんと、俺の名前を呼(よ)んでいた。  亨(とおる)はさぞかし、びっくりしたやろう。  自分も行く気で、俺の傍(そば)におったはずやのに、急に世界が違(ちが)ってもうて、俺はこっちに、あいつはあっちに。  俺は骨(ほね)の出る戦場に。亨(とおる)はホテルに。  安全で無難(ぶなん)な、中西さんもいるヴィラ北野(きたの)に。  そしてたとえ俺が死んでも、あいつはきっと安全やろう。  あっちに居(お)るかぎりは、俺を助けようとして、とばっちりで死ぬような事もない。  まだ遠ざかっていっている、小さな暗い点のように見える向こう側の世界から、俺は目を背(そむ)け、自分の手にある水煙(すいえん)の柄(え)を、ぎゅっと握(にぎ)り直(なお)した。  ええのかアキちゃん、亨(とおる)を置いていってと、水煙(すいえん)は俺を気遣(きづか)ったふうに訊(たず)ねてきたが、俺はそれには何も答えられへんかった。  俺が亨(とおる)を置いてけぼりにしたんやろうか。  何でそういうことになったんか、ほんま言うたら分からへん。自分がどないしてそれをやってのけたんか、実を言うたら分からんねん。  ただ俺は亨(とおる)に、ついてくるなと強く念(ねん)じた。ただそれだけや。

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