714 / 928

27-18 アキヒコ

 からかうような、大崎(おおさき)先生の口ぶりに、俺は(はら)が立たへんかった。  なんとなく、呆然(ぼうぜん)として、(だま)ってそれに(うなず)いた。  大崎(おおさき)先生が笑う声が、したような気がする。 「なんや、(ほね)の数見てビビってもうたんか。しゃあないなあ、水煙(すいえん)、お前が連れてったれ」  大崎(おおさき)先生が太刀(たち)(かま)える、(つば)の鳴る音がした。  それはひとつではなく、あちらこちらで同じ音がしていた。  俺の背後(はいご)雷電(らいでん)が、低く(うな)るような鳴動(めいどう)をしていた。  そこに新開(しんかい)先生がおったんやろう。てんでガラ()きの俺の背中(せなか)を、師範(しはん)が守ってくれてたわけや。  アキちゃんと、水煙(すいえん)(ひそ)やかに俺に語りかけてきた。  ビビらんでええねん。あれ全部をやっつけろという話ではない。それはお前の仕事やないし、もともと人間業(にんげんわざ)ではないんや。  (なまず)は人を食う神や。それはどうにも()けられへん。  お前は(なまず)の元までいって、神と話をせなあかん。  そのための道を作るための()()いや。お前の前に立ちふさがる(ほね)だけを、()ればええんや。  俺はそれに(うなず)いたやろか。自分のリアクションを(おぼ)えてへん。  脳天(のうてん)まで完璧(かんぺき)にテンパってもうてたんやな。  いやあ、もう、ほんまにどんだけ青かったんやって話やで。  そやけど事実やし言わなしゃあない。  俺はたぶん、(かす)かにぶるぶる(ふる)えながら、神剣(しんけん)水煙(すいえん)()っかかるようにして()()っている青二才(あおにさい)やった。  きっと(みんな)が心配げにそれを見ていた。  俺の無様(ぶざま)を。  あるいは、かつて三都の巫覡(ふげき)の王と(うた)われた、秋津(あきつ)家の凋落(ちょうらく)を。 「大丈夫(だいじょうぶ)やで先輩(せんぱい)、俺が守る」  気づくと(しゃべ)る黒い犬が、俺の足元にいた。  それは勿論(もちろん)瑞希(みずき)やったやろう。  俺の(こし)まで(とど)くような、でかい犬やった。  夜中に俺の血肉(ちにく)を食らって、こいつも成長していたらしい。  なんで(とおる)を置き去りにして、瑞希(みずき)は連れてきたんか、俺にはようわからへん。  いや、正直に白状(はくじょう)すると、俺はたぶん、こいつのことなんか(わす)れてもうてた。  何かにつけ一杯(いっぱい)一杯(いっぱい)で、この時、でかくて黒い猟犬(りょうけん)が、温かい鼻先を俺の(あし)()()せてくるまで、瑞希(みずき)もおるわということを、(わす)れてた。  堪忍(かんにん)してくれと、俺は瑞希(みずき)(やわ)らかい毛並(けな)みを()でた。  指先に()れるその感覚が、俺を少し正気に(もど)した。  そうや俺は、ひとりで戦うわけやない。霊振会(れいしんかい)巫覡(ふげき)がわんさと()るし、その式神(しきがみ)たちだって()る。  俺にも()るやん、式神(しきがみ)くらい。  信太(しんた)が俺の半歩先に立った。  目の()めるような黄色い宮廷服(きゅうていふく)やった。  あくまで(まぶ)しい男や。でもその(かがや)くような黄色は、(やみ)障気(しょうき)のたちこめる風景の中で、神聖(しんせい)な光を(はな)って見えた。  信太(しんた)はもともと絵やったらしいが、ただの絵やない。魔除(まよ)けの絵やった。  不吉(ふきつ)の方角、いわゆる鬼門(きもん)とかいうのから進入してくる(おに)やら邪気(じゃき)をやっつけるための、防衛(ぼうえい)呪術(じゅじゅつ)として(えが)かれた(とら)の絵でな、宮廷(きゅうてい)の守り神やったんや。  つまり信太(しんた)は生まれた時から、皇帝(こうてい)陛下(へいか)のボディガードで、(あるじ)邪気(じゃき)から守るためにいた。 「先生、斥候(せっこう)やりましょか。道を作れと、ご命令を」 「お前が死んだら儀式(ぎしき)はどないなるんや」  ()()もうという信太(しんた)に、俺は案外(あんがい)打算的(ださんてき)なことを言うていた。  言われた信太(しんた)は、にやっと笑った。悪戯(いたずら)()みたいな()みで。 「そら(こま)るけど、俺が死ぬわけないですよ。あれっぽっちの(ほね)ではな。(こわ)いのは、(なまず)(りゅう)だけや。その、おっかねえのに、急いで会いにいかなあかん」  ご命令をと、信太(しんた)(うやうや)しく俺にお辞儀(じぎ)をしてみせた。  (むね)のあたりで両手を(にぎ)り、(おが)むように(こし)を折る、中国風の作法(さほう)やで。  俺はそれに、うんとかすんとか言うたやろうか。とにかく信太(しんた)は行く気満々らしかった。 「お前も来い、瑞希(みずき)ちゃん」 「えっ、なんで俺?」  信太(しんた)が命じると、犬がぎょっとしたふうに言うた。 「なんでって、俺ひとりやと活躍(かつやく)しすぎやもん」 「そんなん気にせえへんから、気にせず行ってきてください」 「いやいや、そんなん言わんと、瑞希(みずき)ちゃんも一緒(いっしょ)に行こう。(ほね)やで、ワンワンの大好きな(ほね)。いっぱいあるで」 「いやいや、俺は(ほね)なんか食わへんのです」  瑞希(みずき)は俺と一緒(いっしょ)にいたかったらしいわ。それでうだうだ言うとったんやけど、いつまでもうだうだは言うてられへんかった。  ズバーン、みたいに水煙(すいえん)怒鳴(どな)った。 「はよ行かんか、(けだもの)どもが、イラッとするわ! さっさと行って掃除(そうじ)しろ!」  焼けた(うろこ)が鳴るような、金属(きんぞく)的な怒鳴(どな)(ごえ)やった。  俺はそれでちょっと目が()めた。水煙(すいえん)が、化けもんやということを、たぶん始めて認識(にんしき)した。  ケツ(たた)かれた犬のように、びっくりした声で鳴き、俺の足元にまとわりついていたでかい猟犬(りょうけん)()けだした。  それより速い俊足(しゅんそく)で、信太(しんた)薄暗(うすぐら)障気(しょうき)の中へ、苦しむふうも全く見せず、笑った顔で突撃(とつげき)していった。

ともだちにシェアしよう!