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27-22 アキヒコ
早く鯰 の所へ行って、頼 まなあかん。
もう殺さんといてくれ。何とぞ宜 しゅう、お頼 み申しますって、拝 み倒 して分かってもらわなあかん。
それが俺の仕事やいうんやったら、その務 めを果 たさなあかん。
そう思うだけのもんが、ぐらっと来たあとの神戸 にはあった。
崩 れた瓦礫 を泣きながら掘 っている女の子がいた。
お父さん、お父さんと、女の子は祈 るように瓦礫 に呼 びかけていた。
その涙 もない顔は真剣 で、手は血まみれやった。
そのすぐ傍 には同じように、血まみれの手をした母親が、座 り込 んで泣いてたけども、誰 も二人 を助けへんかった。
どの家も崩 れてもうて、みんな自分の家族を掘 り出 すので精 一杯 やったからやろう。
泣きもしてへん女の子が、おとん生きてると信じてるのは分かったが、掘 り起 こされてる父親が、もう死者の列に加わっていることも、俺の目には明らかやった。
どうってことない、禿 げて太ったオッサンが、瓦礫 の上にちょっと浮 いて、骨 にがっつり肩 を組まれて立ち、ぼんやり悲しそうに娘 を見ていた。
日頃 なら、娘 に口もきいてもらわれへんような、脂 ぎったさっぱり冴 えへんオッサンやった。
そのオッサンが、娘 がお父さん、と呼 ぶたびに、無言のまま、うんうんと頷 いていた。すごく悲しそうに、頷 くばかりやった。
それをどうしてやることも俺にはできへんかった。
もう死んでもうたもんは、冥界 の神さんのもんや。ただ黙 って泣くしかなかった。
抜 け落 ちた魂 が、骨 に連れ去られて飛び去るのを、ただ黙 って見るほかはないんや。
いかに優 れた覡 であっても、ただの人である限 りはな。
見ているしかない。
俺らは先を急がなあかんのやから。
儀式 があんのやし。鯰 を鎮 めなあかん。
そやけど、どうにも見かねて、俺は骨 に連れ去られようとしている女を助けてもうた。
瓦礫 に押 しつぶされて、体の半分は見えへんかったけど、確 かにまだ息はしていた。
彼女 を連れて行こうとしている骨 は、腕 に骨 の赤 ん坊 を抱 っこしていて、もうふたり、ほとんど同じ背格好 の子供 の骨 を連れていた。
お母 さん、早く行こうよと、骨 の子供 が手を引くと、瓦礫 に挟 まれて動けへんはずの、母親らしいその女の体が、ずるずる引きずり出されてきてな、見るとその手が骨 やねん。
今まさに、逝 こうとしている瞬間 を目にして、俺はたぶん焦 ったんやろ。
助けなあかんと思って、皆 がやめろというのも耳に入らず、とっさに駆 けてってもうたんやろ。
自覚 は今イチ無いけども、俺には位相 を渡 る力があってな、その気になればあっちからこっちへ行き来できたんや。
その時も必死やったし、行けたんやろうなあ、あっちのほうへ。
生きてるもんの世界から、死んでるもんの世界の方へ。
俺は慌 てて駆 け込 んでいき、女の手を引く骨 を引きはがした。
やめろと言うてんのに、骨 は怒 って、俺に襲 いかかってきたんで、斬 るしかなかった。俺もそっち側 の仲間になりたくなければな。
そやけど、嫌 なモンやった。いくら正当防衛 でも、子供 や赤 ん坊 の形をしたもんを斬 るのは。
それでも俺が助けへんかったら、その女の人は連れていかれてたやろ。亡者 たちのいるほうへ。
助かってよかったわ。
俺はそう思ってたかもしれへん。何も考えてへん頭でも。
女の人が目を開いたときには嬉 しい気がした。
でもその人は俺を見て、鬼 の形相 やった。
おかしいな、普通 に生きてる、普通 の人間のはずやのに。なんでこんなとこに、鬼 が居 るんや。
その女は朦朧 としたままの口ぶりで、譫言 みたいに俺を罵 った。
「この……人でなし! よくもウチの子を、殺したな……ゆるさへんから……お前のことは一生、ゆるさへんからな! ゆるさへん……ゆるさへんで!」
呪 いをこめたひと睨 みやった。俺は心底震 え上 がったよ。
それでブルッてもうてたんかな。俺は気付かへんかった。
いきり立った体術 を使う骨 が、俺の背中 を狙 ってたことなんて。
危 ないとこやった。
水煙 は俺を呼 んだらしいが、俺は気付かへんかった。
新開 師匠 が俺を助けにきてくれて、俺がそれに気付いたのは、師匠 に斬 られた骨 が霧散 する、不吉 な暗い灰 を、背中 一面 に浴びた瞬間 やった。
灰 には嫌 な臭 いがした。
死の臭 いやった。
焼 け跡 と、腐敗 の臭 いや。
俺はそれに、顔をしかめた。吐 きそうやった。
でも、それは、冥界 の臭 いのせいだけやなかったかもしれへん。
「先へ行け、本間 。細かいことに関 わり合 うてたら、お前はどこへも行かれへん」
まだ呆然 としている俺に、師匠 はいつもの怒鳴 り声 で、檄 をとばした。
そやけどその顔は、俺の知らん人やった。俺が知るより、ずうっと若 い。
手に携 えた太刀 は、腕 に絡 みつくような赤銅色 の霊威 を発して帯電 していた。
俺にはそこにはいないはずの、薄笑 いする赤い肌 の神が見えるようやった。
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