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27-26 アキヒコ
そのせいやったんか。一体どこで追 い抜 いたんか、俺は信太 より先に目的地に着いた。
突然 、がぼっと出口を踏 み抜 いて、俺は六甲山 の山中に転がり出る羽目 になった。
もちろん水煙 は守った。勢 い余 ったエノキダケの人々も、何十人かおまけで付いて出てて来てもうて、大あわてで穴 に戻 っていったりもしていた。
やつらが慌 てる理由は、俺にもすぐわかった。
そこは緩 やかな美しい岩場で、岩の庭 と呼 ばれるに相応 しい景観 やったけども、その風景がまるで透 ける布 に映 し出 された幻灯 やったみたいに、岩の中にある何かが透 けて見えていた。
岩場になっている壁 の向こう側は、冥界 やった。
黒い、何かおどろおどろしい、沢山 の蛇 か蚯蚓 が寄 り集 まったような巨大 な塊 が、じっと神戸 の街を見下ろしていた。透 けるヴェールのような岩場の、向こう側から。
これが鯰 やないかと、俺は思った。
その直感を疑 う余地 はほとんど無かった。
あちこちから飛び集まってくる手下 の骨 たちが、岩場の麓 あたりにある、そいつの口らしきところに、狩 り集めてきた人間の命を差し出していた。
鯰 はそれを、ものすごい牙 のある洞穴 のような口で、むしゃむしゃと貪欲 に食らっていた。
手下の骨 どもの中には、ドジって一緒 に食らわれるのもいた。
地下にとどろくような悲鳴が、ひっきりなしに続いて聞こえた。
まるで地獄 に続く穴 が、岩壁 にぽっかり開いたようやった。
あんなもんが、俺の話を聞くやろか。
そもそもあれは話して通じるような相手か。
あれは神やと大崎 先生は言うが、俺にはとても、そうは見えへん。
あれこそまさに怪物 や。悪魔 というなら、あれがそうや。
あんなもんが潜 んでいる地面の上で、よくも俺らは平気で毎日、のんびり平和に暮 らしていたものやと思う。
それはずっと、神戸 の地下に眠 っていたんやという。
そんな怖 ろしい荒 ぶる神は、実はこの島の地下に、いくらでもおる。
俺らが普段 、意識 してへんだけのことでな。
呆然 と、俺はその神を見ていた。狩 り集められた人々の魂 が喰 らわれるのを。
俺に抱 きついていた水煙 が、もう紛 れもないような人の姿 で、俺の耳元に唇 を寄 せて教えた。
「鯰 やで、アキちゃん……」
言わずもがなのその話に、俺は黙 って頷 いた。声らしい声が出えへんかったからや。
水煙 は、俺には、あの怪物 の正体 がわからんと思ったんやろか。心配げな声やった。
それでも俺を頼 るふうに抱 きついている水煙 のなよやかな体を、俺は無意識 に抱 き返していた。そうして強く抱 きしめると、俺には自分が震 えているのがよう分かった。
「アキちゃん、恐 れることはない。鯰 はああ見えて、話のわかる神や」
そうやろうか。俺は頷 くこともできず、ただ、岩場に見える鯰 を見つめた。
それがバリバリと、もすごい音を立てて、人間の骨 を噛 み砕 いているのを聞きながら、俺は想像 していた。
あいつは俺のことも、ああやってバリバリ食うんやないやろか。話なんか、ちっとも聞きはせずに。
そう思うと、体の芯 から痺 れるような恐怖 が湧 いてきた。
それが指先まで痺 れるような麻痺 になって、俺を鈍 らせていた。
もうこれ以上、一歩たりとも、あいつに近づけへんような気がした。
とてもやないけど無理や。怖 い。怖 い。怖 い……。
水煙 はそんな俺の臆病心 も知っていたやろうか。ゆっくり宥 めるような口調やった。
「生 け贄 を捧 げて、また深く眠 るよう、祈 るんや。とにかく一心 に祈 れ。神というのは、因果 なもんや。人間に、一心 に祈 られると、それに縛 られる。強い祈念 で、あの神をねじ伏 せるんや」
神というのは、そういうもんやろか。祈 りというのは、神々にとっては、一種の呪詛 か。
神よと崇 め奉 る声に、あの化けモンが応 えるというなら、確 かにあいつは神かもしれへん。
想像 を絶 するような霊威 を持った強い神さんを、人の力で倒 すのは無理や。
必死で地面を押 さえたところで、それで地震 が止 むわけやないやろ。
しかし鯰 に祈 ることはできる。
深く深く眠 れと。
あと十年、もう百年、深く眠 って、地上に災 いをもたらさぬよう。今夜も深く眠 っていてくれと、人は祈 ることができる。
祈 ることしかできひんのやけど、それが唯一 最強の、人の子が持つ、神さんをやっつけるための霊力 やねん。
強い祈 りによって、荒 ぶる神を和 ませて、向こう百年飼 い慣 らす。そのための霊力 を持った専門家 が、覡 やら巫女 やら神官 やらいう連中で、俺もそういう一人 やねんけど、実はそんな霊力 は誰 にでもある。
ただ一心 に祈 ればええんや。そんなん誰 かて、できるやろ。
しかしまあ、そこはそれ、プロとアマとの違 いはあるわ。無かったらアキちゃん、三都 の巫覡 の王とか言うてられへんやん。
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