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27-34 アキヒコ

 言うなおとん。(たの)むから言わんといてくれ。  今めちゃめちゃ緊迫(きんぱく)のシーンで、(とら)なんか生きるか死ぬかの瀬戸(せと)(ぎわ)や。真剣(しんけん)に行ってくれ。  めちゃめちゃ真剣(しんけん)(たの)む。信太(しんた)可哀想(かわいそう)すぎるやないか。  俺はもう泣きそう。  この儀式(ぎしき)供物(くもつ)として、祭壇(さいだん)にいる真っ黄色の(とら)は、なんとも言えん顔つきで、おとんとフュージョンした俺を()(かえ)っていた。 「暁彦(あきひこ)様で?」  敵意(てきい)とまでは言わんけど、(とら)はおとんを警戒(けいかい)していた。  そら、まあ、しゃあないな。 「そうや。長く蔦子(つたこ)姉ちゃんに(つか)えてくれたそうやな。今回のことは、お前に(れい)を言わんとあかん。人ならぬ(もん)とはいえ、たった一つしかない命や。死ななあかんのは(こわ)いやろ。よう覚悟(かくご)してくれた」  ()()(はら)った大人(おとな)っぽい声で、俺が言うた。  いや、おとんが言うた。  信太(しんた)はそれに、見た目にはっきりわかるほど、顔をしかめた。  心中(しんちゅう)かなり複雑(ふくざつ)そうな表情(ひょうじょう)やった。 「神戸(こうべ)のためや……。俺が死ぬのは、本家(ほんけ)のためでも、暁彦(あきひこ)様、あんたのためでもない。(れい)を言われる筋合(すじあ)いやないです」 「それでかまへん。始めよか」  えっ、もう始めんの?  俺は内心そう思ったが、もう(おそ)すぎるくらいやった。  何をもたもたやってんのやと、おとんには思えていたんやろ。  のろのろやろうが、さっさとやろうが、(とら)が死ぬのは決まってる。そんなら早うせな、()ばし()ばしにしてる間に、助かるはずの人間が、どんどん死んでいってんのやしな。 「掛巻(かけまく)も最(いと)も(かしこ)き天地(あめつち)の御神(おんかみ)──」  (さや)はないはずの水煙(すいえん)刀身(とうしん)を、()(はな)つようにして、おとんが()(いただ)くと、白銀(はくぎん)刀身(とうしん)()れたように(かがや)くのが見えた。  自分の(のど)から流れ出る、まったく聞き覚えのない、それでいて、なぜかよく知っているような気のする言葉の(つら)なりを、俺はぼんやりとして聞いた。  祝詞(のりと)や。うわぁ、なんでか俺が祝詞(のりと)を。  おとんが俺に()()いて、(あやつ)っているからこそできた神業(かみわざ)やけども。  うちの家には様々(さまざま)な、祝詞(のりと)呪文(じゅもん)のたぐいが伝わっている。  先代当主(とうしゅ)(つと)めたおとんは、もちろん幼少(ようしょう)(ころ)からそれを学び、秋津(あきつ)(たくわ)えられたあらゆる知識(ちしき)精通(せいつう)してんのや。俺と(ちご)うてな。  それは本来、門外不出(もんがいふしゅつ)秘密(ひみつ)呪文(じゅもん)みたいなもんなのや。  おとんは大声で祝詞(のりと)(とな)えたわけやない。(ささや)くような声やった。  それでも天地(あめつち)の神は聞いている。言霊(ことだま)に乗せて(いの)られる言葉の数々を。  言霊(ことだま)というのが、どういうもんか、俺は自分の口がそれを使うのを見て、初めて理解(りかい)した。  霊力(れいりょく)をこめて語られた言葉や。  ただペラペラと、決まった文句(もんく)(とな)えれば、それでいいというもんやない。  これは呪術(じゅじゅつ)で、おとんは言葉に乗せて呪法(じゅほう)使(つこ)うてるんや。  言葉自体は、古い古い時代のもんで、今を生きてる俺らが聞いても、ぶっちゃけ意味なんかわからへん。ほとんど外国語みたいなもん。  そやけど(なまず)様は古い神さんや。  ずうっと昔から、近畿(きんき)のこのあたりに()み付いていて、地下深くで(ねむ)っている。ときどき出てくる。そんな神さんやからな、現代(げんだい)語なんて、わからへんのや。  古い古い言葉で話しかけてやっと、なんとなく意味分かるという、そういうことなんやで。  (みな)も、フランス人に話しかけるときには、フランス語やないと通じへんな、と思うやろ。それと一緒(いっしょ)。  神様と話す時には、その神さんの聞いてくれる言葉で話さなしゃあない。というのが作法(さほう)。とりあえず礼儀(れいぎ)。  いきなり今の京都弁(きょうとべん)で、あのう、ちょっとすんませんけどなんて話しかけるのは失礼なんやで。  俺はそうするしかないから、そないするけど。ほんまはあかんのやで?  全然気にしはらへん神さんも多いんやけど、通じてへん時もあるしな?  ましてや(なまず)は人と積極的(せっきょくてき)交流(こうりゅう)したがる神やない。  おとんの祝詞(のりと)も、始めはさほど、聞いてるようには見えへんかった。  チラリとこちらに目をくれはするものの、聞いてるようには見えへん。  そやけど、おとんは根気(こんき)(づよ)(なまず)口説(くど)いた。

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