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27-37 アキヒコ

 (なまず)確実(かくじつ)に、(いの)りに(あやつ)られていた。  もう(ほね)たちの()り集めてきた人々の命を食おうとは、思うてもみないようやった。  おとんの()()祝詞(のりと)(しめ)す、(とら)食って満腹(まんぷく)のコースに、すっかり魅了(みりょう)されてもうたらしい。  美味(うま)そうやなあと、ますます(したた)(よだれ)()らし、ずらりと鋭利(えいり)(きば)無数(むすう)渦巻(うずま)いて生えた大口(おおぐち)を開いて、(なまず)信太(しんた)真上(まうえ)へ身を乗り出していた。  信太(しんた)はもう、それを見上げはしいひんかった。  ただじっと、目を()じて立ち、かすかに項垂(うなだ)れているだけやった。  (こわ)いんやろう。(だれ)かて(こわ)い。  俺もおとんに(あやつ)られてへんかったら、とても正視(せいし)はできひんかった。信太(しんた)があれに、食われようとするのを。  そやけど、おとんはじっと、それを見つめた。  そして俺に、お前は目を()らしたらあかんと、やんわり(しか)る口調やった。  (みんな)(こわ)ければ、目を(そむ)けてもええやろ。  (たし)かに凄惨(せいさん)光景(こうけい)や。  そやけどお前はあの(とら)(あるじ)やろ。  あいつが死ぬのを、見届(みとど)けてやらなあかん。  そして(おぼ)えといてやらなあかん。  (みな)が気づきもしいひん、いずれ(わす)れてしまう、(だれ)のおかげで、この街が助かったか、永遠(えいえん)に生きるというんやったら、お前は永遠(えいえん)に、それを(おぼ)えといてやらなあかん。  それぐらいしかないやろ。お前や俺に、してやれることは。  そやから、まっすぐ見つめなあかん。お前にしか見えへん、現実(げんじつ)を。  そう話す、おとんの話は、親が子供(こども)に教えこむ話というより、まるで同い年の友達(ともだち)が、思いの(たけ)を俺に語るようやった。  お前はそうは、思わへんかと、おとんは俺に()いた。  俺はそれに、なんも答えられへんかったけど、目の前の光景(こうけい)から、目を()らしはしいひんかった。  (なまず)は手とも足ともつかん、無数(むすう)(へび)のような何かで、いかにも大事そうに、信太(しんた)(つか)んだ。  これはなんという美味(うま)そうな(とら)やと、(いつく)しむような仕草(しぐさ)やった。  (なまず)(いの)る、大勢(おおぜい)巫覡(ふげき)言霊(ことだま)が、()()せるように渦巻(うずま)いていた。  儀式(ぎしき)は成功するやろう。  失敗する余地(よち)なんかあらへんくらい、おとんの祝詞(のりと)完璧(かんぺき)やった。  (ゆる)してくれとは、俺は信太(しんた)には(いの)らんかった。  (いた)くて苦しいかもしれへん。俺を(うら)め。  お前をこんな目に()わせたんは俺や。  俺をずっと、(うら)んでくれてかまへん。  俺はずっと、お前のことを(おぼ)えとく。  お前が神戸(こうべ)を、俺が守護(しゅご)する三都(さんと)を救う、()(にえ)になってくれたことを、(わす)れへん。  (だれ)(わす)れても、たとえ俺が死んでも、お前の苦しみのことは、俺の(たましい)(きざ)んでおくから。  そう(いの)る俺を、信太(しんた)はほんの、一瞬(いっしゅん)だけ見た。  その食い入るような黄金の目と、見つめ合えたのは一瞬(いっしゅん)やった。  (なまず)はとうとう、信太(しんた)を食うことにした。  一口でぱくりと。一気にごくんと。()もうと思えばできるやろうに、なんでか(やつ)は、味わって食った。  たぶん美味(うま)かったんやろ、本当に。  足から()まれて、信太(しんた)は悲鳴をあげた。でもそれは、もう人の声やのうて、(とら)咆哮(ほうこう)する声やった。  あんまり(つろ)うて、人型(ひとがた)でいられんかったんやろう。見る間に変化(へんげ)して、元の正体(しょうたい)である、巨大(きょだい)(とら)姿(すがた)になっていた。  それでも信太(しんた)は、()げはしいひんかった。とらえた(ねずみ)を少しずつ食うような、残酷(ざんこく)怪物(かいぶつ)に、おとなしく食われていた。  俺はもう悲鳴どころか声ひとつ出えへん気分やった。祝詞(のりと)どころやない。  俺が一人(ひとり)で事にあたっていたら、ここであっさり儀式(ぎしき)は失敗しとったんかもしれへん。  しかし、さすがはおとんと、言わなしゃあない。  おとんは少しも()るがず俺を(あやつ)り、儀式(ぎしき)を続けさせた。  それでも、おとんが泣いてるような気がして、俺には不思議(ふしぎ)やった。  おとんにとって、信太(しんた)はちょっと、気にくわん(やつ)やったんやないか。  (おぼろ)をとられて、()(もち)のひとつやふたつ、あったんやないか。  場合によっては、死ねばええわ、ざまあみろと、思いはしいひんかったんか。  ()(にえ)にされて、苦しむ式(しき)を見て、おとんは泣いてた。  こんなことは俺は子供(こども)のころから何度も数知(かずし)れずやった。  あの(とら)は俺のことを、(おに)やと言うたやろ。  ほんまにそうや。あいつの言うとおりや。  お前には、こんなことはさせとうないという、お登与(とよ)の気持ちもよう分かる。  そやけど、暁彦(あきひこ)、この仕事はお前にしか、できひんのや。  お前は俺を()える、比類(ひるい)ない(げき)になれるやろ。  ()げてもええとは、俺はよう言わん。  こんな(おそ)ろしい神が、三都(さんと)にはうようよいてんのに、守護(しゅご)する(もん)(だれ)もおらず、なんの力もない(たみ)が、(つつが)なく幸せに生きていけるわけがあるやろか。  あの(とら)のように、お前も覚悟(かくご)するしかないんや。  お前はこの都(みやこ)の安寧(あんねい)のために(ささ)げられた、()(にえ)なんや。  秋津(あきつ)家督(かとく)()ぐとは、そういうことや、暁彦(あきひこ)。  (うら)むんやったら俺を(うら)め。  お前をどこにも()がさへん。お前はこの三都(さんと)を守る、人柱(ひとばしら)になるんや。

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