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27-40 アキヒコ

 何度もそれを()(かえ)し、寛太(かんた)はやがて、嗚咽(おえつ)した。  しても無駄(むだ)やと、(さと)ったらしい。  何度、(くちびる)を合わせたところで、それで死に行く(とら)を、()()められる(わけ)やなかった。 「なあ寛太(かんた)、さっき俺のこと、信太(しんた)って()んだやろ……。それも、ええなぁ……なんか、ええわあ。俺もとうとう、お前の兄貴(あにき)を卒業できるんかな……?」  (とら)は細かくひび()れながら、それでもにこにこ笑って見えた。ほんまに(うれ)しそうやった。 「俺を(さが)せ、寛太(かんた)……俺にも(たましい)があるなら、死んでもずっと、お前のことが好きや。俺をまた、(よみがえ)らせてくれ。俺の神戸(こうべ)を……俺の不死鳥(ふしちょう)。お前とまたこの街で……もう一遍(いっぺん)、出会いたいなぁ……寛太(かんた)。思えば、お前に言うてへんこと……一杯(いっぱい)一杯(いっぱい)、あったわ」  屈託(くったく)のない、子供(こども)みたいな()みのまま、信太(しんた)寛太(かんた)(うで)(にぎ)りしめていた。 「ごめんな、寛太(かんた)。俺らには、ちょっと、時間が、足りへんかったな。ほんま言うたら、(こわ)かったんや。お前が俺を、ほんまに好きか……ずっと(こわ)くて。俺はほんまに、弱い弱いタイガーやったなぁ」  寛太(かんた)、と、()びかけている信太(しんた)の声は、ほんまに(かす)れて弱々しかった。 「俺のこと、()きやったか?」  消え入りそうな、声で(たず)ねる相方に、寛太(かんた)は泣いた。 「なに……言うてんの……ずっと、ずっと()きやった。生まれた時からずっと、お前のことが、めちゃめちゃ()きやったのに……なんでや、なんでや畜生(ちくしょう)っ! (いや)やっ! こんなん(いや)や……(いや)やああああああっっ!!」  絶叫(ぜっきょう)する寛太(かんた)の声は、長く()を引く怪鳥(かいちょう)の声にふさわしく、耳をつんざくような(するど)い悲鳴やった。  天を(あお)いで(なげ)寛太(かんた)の手の中に、もう信太(しんた)の手はなく、白く(くず)れた漆喰壁(しっくいかべ)の、細かい(すな)のようなのが、六甲颪(ろっこうおろし)()かれてあえなく飛び散っていくだけやった。  わなわな(ふる)えた赤い(つばさ)の、悪鬼(あっき)のような目をした男が、その砂を(にぎ)りしめ、ゆらりと立って俺を見ていた。  ()れたような、(みだ)れた赤い(かみ)。暗く光る、爛々(らんらん)とした目。  寛太(かんた)や。  けど、これは(だれ)やと思うくらい、俺の知らへん神やった。 「なんでや先生……」  慟哭(どうこく)(しわが)れた声で、そいつが俺に()いた。 「なんでお前らのために信太(しんた)が死ななあかんのや。返してくれ。俺のもんやった。俺のもんやないか……。元に(もど)して。元通りにして……俺に返してくれ、先生ッ!!」  (おに)や。  俺を見据(みす)える、寛太(かんた)の目は、暗い血のような赤に()まり、深い暗黒を宿(やど)してた。  寛太(かんた)の立ってるところから、真っ白やった祭壇(さいだん)(ゆか)が、めらめらと()え、見る間に黒く焼け落ちていき、その()えさかる(ほのお)の上を、寛太(かんた)はこともなく、それでも(かす)かによろめきながら、俺のほうへ近づいてきた。  熱い。熱を感じる。  それよりも強く、自分の身を焼く(うら)みの思念(しねん)を、俺は感じた。 「(ほか)(だれ)でもよかったんやろ。なんで信太(しんた)なんや。なんの(うら)みがあって、信太(しんた)を選んだんや、お前は……」  ()える手で、俺の首を()めようとする赤毛の男は、もう人間の顔はしてへんかった。  ()れ、アキちゃんと、水煙(すいえん)が俺に()びかけた。  まだや、(こら)えろと、おとんが俺を(さと)した。  俺は(こら)えた。水煙(すいえん)(つか)(にぎ)りしめて。  水煙(すいえん)(つば)が鳴る、かたかたという(かす)かな音が、聞こえていた。  寛太(かんた)(たし)かに、もう、(おに)になっていたんやろ。  それは、しゃあない。こいつはほんまに、信太(しんた)が好きやったんやろ。  俺かて、そうなる。もしも(だれ)かが(とおる)を俺の見ている前で、(なまず)()(にえ)にして殺したら、俺かて、とても、正気ではいられへん。  (だれ)かて(おに)にはなれる。  (おに)やというて、いちいち()って()ててたら、この世には(だれ)もおらんようになってまうわ。 「お前が死ぬんやったらあかんかったんか……」  (ささや)きかけるような熱い息で、寛太(かんた)はまた、俺に(たず)ねた。  間近(まぢか)に見える悪鬼(あっき)のような寛太(かんた)の目と、俺は(だま)って見つめ合った。 「なあ先生。人でも式(しき)でも、なんぼでもおるやないか。あの化けモンに、食いたいだけ食わしたったらよかったんや。そうやろ。俺の信太(しんた)はな、一人(ひとり)しかおらん。一人(ひとり)しかおらんかったんやぞ……!」  寛太(かんた)深紅(しんく)(ひとみ)(おく)に、俺への憎悪(ぞうお)()えていた。  俺にだけやない。この神事(しんじ)にまつわる何もかもを。信太(しんた)を食らった(なまず)という神を。それを(しず)めなあかん理由やった、神戸(こうべ)という街に住む人間の(すべ)てを、寛太(かんた)(うら)んでいるようやった。  (たし)かに、そうや。お前にとって信太(しんた)は、()()えのない相手やったやろ。  そんなことは俺も、分かっていたはずやったんやけど。  ほんま言うたら俺は、分かってへんかったんかもな。  お前がどんだけ(つら)かったか、分かってへんかった。  (みな)、自分の(つら)い苦しいは、よう分かっているけど、他人のことには無頓着(むとんちゃく)や。自分が可愛(かわい)い。

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