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27-44 アキヒコ
「誰 を遣 るんどす?」
「えっ、何にや?」
とぼけてるおとんの声を聞き、俺は自分が父親似 やという確信 を深めた。
「暁彦 を生 け贄 にするつもりなんどすか」
「いやいや、そう結論 を急いだらあかん、お登与 。神事 というのはな、土壇場 になってみな、どう転 ぶかわからんもんなんや」
「そないなこと、お兄ちゃんに言われるまでもおへん。うちかて秋津 の当主 として、この七十有余年 、留守 を守ってきましたんや!」
「堪忍 してくれ、お登与 」
おとんは光の速さより速く謝 っていた。
おかんには謝 るしかないという事を熟知 しているような神速 のごめんなさいやった。
「お蔦 姉ちゃんの予知 で、暁彦 が祭主 をつとめるのが一番良い卦 やったんや。ヴァチカンの人らも、予言書 に暁彦 の名前が書いてあると言うてはる。これは運命 なんや。しょうがない」
「しょうがない……?」
ものすご怖 い感じに、可愛 い顔をしかめて、おかんが聞き返していた。
おとんは高速でこくこくと頷 いていた。
そやけど、おかんがそれで納得 するはずはなかった。
「しょうがないことおへん! お兄ちゃんはすぐそうやって、したり顔 どすな! 我 が子 が可愛 いないんどすか。平気なんどすか、暁彦 が龍神 の生 け贄 になっても!」
「平気ではない。平気ではない」
祭壇 で言い争う、三都 の巫覡 の王様一家を、皆 さんがポカーンと見てはったけど、今さらどうにもならんかった。
俺もぽかんと見てた。
「お蔦 姉ちゃん!!」
おかんは、キリッと激怒 の矛先 を、祭壇 の下にいた海道 蔦子 おばちゃまに向けた。
蔦子 さんは話が回ってくるのを予知 してたらしい。
さすがは稀代 の予知 能力者 や。
観念 したような、来たかという顔で蔦子 さんは項垂 れていた。
「堪忍 しとくれやす。分家 もそれはそれは必死で予知 はしましたんや。竜太郎 は危 うくそれで命を落としかけたんえ。それでもな、どないしても、その未来になるんどす、登与 ちゃん。ほんまの話、尽 くせる手は尽 くしたんえ?」
蔦子 さんは青ざめて、ものすごい早口でそう答えた。
蔦子 さんを乗せた雪狼 の啓太 が、ものすご後 ずさっていた。
「茂 ちゃん……」
じろっと、おかんはゆっくり大崎 先生を見た。
大崎 先生は祭壇 に座 ったまま、ビクッとしていた。
「茂 ちゃんも全部知っておいやしたんやなぁ? それでもウチに黙 ってたんどすか」
おかんにねっとりと言われ、大崎 先生は見た目にもわかるほどの脂汗 をかいていた。
「そそそうやけど、堪忍 や。言うに言われへんかったんやないか。それでのうても、お登与 ちゃん、旅に出とって雲隠 れやったんやし……」
「ウチのせいやて言うんどすか!」
そう言うおかんの声は雷鳴 のようやった。
「堪忍 してくれ」
おかんに怒鳴 られ、大崎 先生もかなり即答 でごめんなさいやった。
両手を合わせて拝 みさえしていた。
生き神様か、うちのおかんは。
「アキちゃん」
おかんはしばらく唇 を噛 みしめて考え、そのあと急に俺に話を振 ってきた。
俺はびっくりした。自分とこに話が来ると思てなかったんで。
「アキちゃん。嫌 やったらな、やりたないて、断 ったらよろしおすえ。あんたはまだ一人前 やあらへんのやさかい、家 のことはな、ウチに全部任 せておけばよろし」
おかんは深刻 やったけども、俺の知ってる、いつもの優 しい声やった。
俺は見慣 れたはずの、そのおかんの顔と、まじまじとしばらく見つめ合っていた。
俺のおかんて、こんな甘 い女やったろうか。
おかんは確 かにちょっと、俺には甘 い。
ずっと甘 やかされて育ったなあ、て、そういう実感 はあるつもりやったけど、俺はたぶん気がついてへんかった。
自分がどれだけおかんに過保護 にされ、現実 の世の中から隔 てられて生きてきたか。
神やら魔 やらが蠢 いていて、それがひとたび生 け贄 を求めたら、自分の命をかけなあかんという、俺にとっての現実 から、俺はずうっと、守られていた。
おかんはこのまま逃 げ切 れるもんやと、本気で思うていたんやろうか。
「お登与 、今は暁彦 が秋津 の当主 や。家督 は譲 った」
おとんが困 ったような顔をして、おかんを諭 した。
それに、おかんはキッと睨 み付 ける怖 い目で、おとんと睨 み合 った。
「ウチが秋津 の現 当主 どす」
「女子(おなご)では当主 になられへんのや」
おとんは、きっぱりとそう答えた。
なんでお前はそんな当たり前のことも忘 れてもうたんやと、微 かに叱 るような口調 やった。
おかんはムッとしたように、赤い唇 を引き結んだ。
俺の初めて見る、強情 そうな顔やった。
「もうそんな時代やおへんえ」
「時代とか、そういう問題やないんや。秋津 の当主 になるというのはな、水煙 の連 れ合 いになるということなんや。お前もそれくらいは分かってると思うてたわ」
あっさりと言う、おとんのその話に、おかんはますます柳眉 を釣 り上 げた。
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