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27-47 アキヒコ
おかんの大きい目に、大粒 の涙 が浮 いてて、それがぽろぽと堰 を切ったように流れ、白い頬 を濡 らした。
大崎 先生や蔦子 さんは、それから目を背 けていた。
他 の人らもそうやったやろう。
泣いているおかんを、じっと見つめているのは、俺と、おとんだけやった。
「嫌 や。龍 に食われるために生まれたんやおへんえ。この子は画家 さんになるんや。なりたいもんになって、幸せに生きていくんやから。暁彦 ……!」
縋 り付 く目でおかんは俺を見て、息を喘 がせた。
「嫌 やとお言い。あんたも、ちゃんとはっきり、嫌 やとお言いやす。皆 に義理立 てすることはないんえ。あんたの人生なんやから。あんたのしたいように、したらええのよ」
したいように、すればええよと言いつつ、決まった答えを促 すような、おかんの口調に、俺もしばらく言葉に詰 まった。
おかんはたぶん、俺のことを大事に思ってくれてんのやろ。
可愛 い我 が子 や。死なんといてくれって、そう願ってくれてんのやろ。
その、おかんを裏切 るような返事は、しばらく喉 につっかえて、そう簡単 には出て来てくれへんかった。
でも、いつかは、言わんとあかん。
後で思えば、俺はこの時、そう長い時間は黙 り込 んではおらんかったわ。
「おかん、俺は斎主 をやりたい。自分で決めたんや。これは俺の仕事なんや。行ってくるわ。まだ死ぬとは決まってへん。泣 くんは、俺がほんまに死んだ時にして」
俺がそう言うと、おかんは泣き顔のまま、すごくびっくりしたようやった。
ぽろぽろと光る涙 が、ふたつみっつ、宝石 みたいにこぼれ落ちていった。
「アキちゃん……」
泣 き崩 れる声で、そう呼 んで、おかんは両手で顔を覆 い、なぜかおとんの胸 に崩 れ落 ちていた。
なんで俺やないんやろ?
まあいい。まあ、それはいい。それはいいとして、……や。
そんな疑問 を頭にぐるぐるさせつつ、俺はとうとう、最後の戦いへと赴 く時を迎 えようとしていた。
霊振会 の皆 さんも、よく秋津 家の身内だけの家族劇場 に付き合 うてくれはった。
しかしもう、時間切れや。これ以上ゆっくり親子の別れを惜 しんでる場合やない。
ほんま言うたら、俺はちょっと、自分はほんまに死ぬんかなって不思議 に思ってた。絶対 死ぬという実感 はなかった。
それこそ未経験者 ならではか。
龍 とサシで渡 り合 うたら、絶対 に死ぬようなもんなんか、案外なんとかなんのとちゃうかっていう、楽天的 すぎる感覚が、俺の心のどこかにあった。
もうここまで来たら、なるようになれっていう、居直 りもあった。
生きるか死ぬかやない。やるか、やらんかや。
俺は、自分がやるって、この仕事を引き受けたんや。
生きようが死のうが、やることをやるだけや。突 き進 め。
なんや、そういう境地 になってな。もう、悩 むの飽 きてん。疲 れたわ。
それまでに、色々ぎょうさん苦悩 しすぎた。もう今さら悩 むことが特にない。
あとはもう、ただ行くだけや。レッツ・ゴーやでアキちゃん。
「俺も連れてってもらうで、アキちゃん」
そうやった。俺は一番怖 い真打 ちの蛇 のことを、おかんに血迷 うあまり、うっかり失念 していた。
亨 はもちろん、ずっとそこに居 った。
煤 で汚 れたナマズ髭 も、生憎 そのまんまやった。
その顔のままで、亨 はものすご決意を秘 めたシリアスな表情 をして、俺んとこに来た。
その顔から目を背 けて立ち、俺はぶるぶる震 えた。
たぶん武者震 いやった。俺も怖 ないわけやないんや。
怖 いのは怖 いんや。ただそれに慣 れただけ。
そやかて基本 、震 えが止まらへん。
「顔拭 け、亨 。変な模様 ついてるで」
ナマズ髭 のマヌケ面 をなるべく見いひんようにして、俺は亨 に頼 んだ。
えっ、なに? とか言うて、亨 は顔をゴシゴシしていたが、そんなもんで落ちる煤 やなかった。ただ真っ黒になるだけや。
しょうがないんで、俺は自分の着ていた斎服 の袖 で、亨 の顔をゴシゴシ拭 いてやった。
最後の時に見る亨 の顔が、ナマズ髭 のまんまやったら、あんまりやろ。俺、吹 いてまうわ。
そしてそれが自分の人生の最期 やったら、あまりにも虚 しいわ。
美しい顔でいろ、亨 。
ゴシゴシしてやって、黒絹 の袖 の中からまた現 れた亨 の白い顔は、珠 のようやった。
美しい蛇 や。
その白い頬 にまた触 れると、俺の心もぐらぐら揺 らいだ。
ずっと亨 と一緒 に居 りたい。ずっと一緒 に。
「アキちゃん、なんやかんや済 んで帰ってきたらなあ、俺をホテルに置いてけぼりにしようとした罪 は、全身全霊 で償 ってもらうからな」
じっとりと恨 んだ目で言う亨 の話は、今はそれを咎 めへんという意味やった。
優 しい蛇 やなあ、お前は。
今ここで半殺 しにしたいところなんやろうけどなあ。許 してくれるんか。
さすがは水地 亨 大明神 の大御心 や。
「堪忍 してくれ、亨 」
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