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27-54 アキヒコ
「逃 がさなあかんのやないか。皆 、それを知ってるんやろか。皆 を逃 がさなあかん。俺は失敗するかもしれへん。その時ひとりでも多く助かるようにしてくれ」
今さらや。どこへ逃 げるっていうんや。失敗なんかできひんのやで。
朧 はそうぼやいたようやったけど、でも俺の頼 みを無視 はしいひんかった。
眼下 の街 に緊急 放送が入った。
それまで音楽を垂 れ流 していたラジオの音やった。
地震 が起きる前に霊振会 が勝手にあちこちとりつけていた、スピーカーから流れる音や。
その時はどさくさで、電池 が切れてるラジオとか、これラジオちゃうやんみたいな縫 いぐるみなんかからも、緊急放送 が流れていた。
放送 の途中 ですが、皆 さん、緊急事態 です。太平洋岸 に津波 警報 が発令されました。今すぐ高台 に避難 してください。今すぐ高台 に避難 してください。
津波 は三十分以内に到達 します。荷物 を取りに戻 るなどはせず、今すぐそのままで避難 してください。
お姉 さんの声やった。なんでお姉 さんの声が出るのかは謎 や。
たぶん湊川 怜司 はどういう声でも出せるんやろう。放送電波 やから。実際 どんな声でも出るみたいやった。
ありとあらゆる声色 で、全 てのチャンネルが、逃 げろと放送していた。
その時、街の噂 では、この放送ほんまかしら、逃 げるってどこへ逃 げるの、などという、市民の動揺 する声に、これほんまらしいですよ、とにかく坂 の上へ向かって逃 げなあきませんと、誰 だかわからん親しげな奴 が、その場に居合 わせ忠告 していたらしい。
湊川 怜司 には使 い魔 が居 るからな。
ほら、あれやん。黒いダスキンみたいなやつ。
あいつらも人間に化けられるんや。ほんの一時、誰 かわからんような、とりあえず人かなみたいなのでよければな。
この緊急事態 、通りすがりの誰 かのことを、そんな詳 しく見る奴 はいいひん。
信じたやつは逃 げたやろう。高いほうへ。
ほんまか嘘 かわからんような、噂 の言うことを信じて。
あるいは、停電 したはずのテレビが突然 点 いて話す、緊急 番組 や、壊 れたラジオの教えてくれる、逃 げなあかんでという話を信じて。
どんだけ信じる奴 がおるやら分からんで。俺は信用のない神やと、湊川 怜司 は言った。
まあ、確 かにな。テレビやラジオや街の噂 を、誰 がどれだけ信じるか、怪 しいものや。
そういうもんやろ、噂 というのは。
当たるも八卦 、当たらぬも八卦 や。
でも俺はすごく、気が楽 になった。
皆 きっと逃 げてくれるやろう。できるだけのことはやった。
あとはもう、心おきなく死ぬだけや。
南無三 。
なんて、そんな簡単 に悟 れるか!
俺たちは、蔦子 さんの水晶玉 で見たのと同じ、神戸港 の中埠頭 に軟着陸 した。
ほんま言うと少々、胴体着陸 した。
湊川 怜司 はまだ龍 の姿 に慣 れてないんやろう。若干 、不時着 の状態 やった。
ズザーってしたけど、とにかく全員無事 やった。
落っこちたショックか、もう飛ばんでええからか、湊川 はまた元の人間の姿 に戻 っていた。
疲 れたらしかった。
「あかん、これは疲 れる……」
肩 で息をしながら、湊川 はぼやいた。
「大丈夫 なんか、それで。肝心 の時に力が出るんか」
水煙 が呆 れたように鋭 い指摘 をしていた。
こっちはまだまだ太刀 のままや。パワー温存 の構 え。
使うなら他人の霊力 に限 るという、巧妙 かつ老練 な作戦やな。
さすが水煙 、年季 が違 うんや。
瑞希 はストレートに目を回していた。亨 は普通 に酔 っていた。気持ち悪そうやった。
「アキちゃん、船酔 いするくせに、龍 酔 いはせえへんのか……」
亨 はオエッてなりながら俺に文句 を言うた。
ごめん。しいひんみたい。
言いたないけど、あれかな。ウロコ系 に乗 り慣 れた家系 やからかな?
ごめん。言わへんかったらよかった。アキちゃん最低や。
「大丈夫 か亨 」
最低やけど一応 俺はとっさに亨 に駆 け寄 ってはいた。
「大丈夫 やない。ゲー吐 いてええなら吐 こうかなっていう程度 にはアレな状態 や……」
それはヤバイ。
目を回している瑞希 も心配やったけど、俺はとりあえず、亨 の背中 をさすった。
しんどそうやった。もともと、ロックガーデンの祭壇 に来るまでに、相当 苦労したようやったから、こいつも疲 れてたんかもしれへん。
大丈夫 やろか、亨 。このまま連れてってええんやろか。
そう心配して、そして気付いた。
俺ら、水晶玉 で見た蔦子 さんの予知 の映像 と、着ている服が違 うてる。
そういえば俺の着てるもんも違 う。
水晶玉 の中の俺は、練習用の道着 を着ていたような気がする。
今、着てるような、真っ黒けの平安コスプレやのうて。
「俺、この格好 でええんやろうか……」
ふと不安になって、それを口にすると、皆 そのことに気づいたらしかった。
「少々違 う未来のようやな」
落 ち着 き払 った声で、水煙 が答えた。
「ほんまや。蔦子 さんの予知 と違 う」
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