751 / 928

27-55 アキヒコ

 まだゼーハーしたままの湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)が、(おれ)を見て言うた。  今やっとそれを考える余裕(よゆう)ができたという(ふう)やった。 「着替(きが)えさせるか。あの服はそんなに大事なもんなんか? なんで服が(ちが)うんや」  こちらは動揺(どうよう)しまくりの声で、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)が言うた。  (やつ)蔦子(つたこ)さんの予知(よち)能力(のうりょく)を高く買っていて、現実(げんじつ)がそれと少し(ちが)()()きになったことに、びびったらしいわ。 「さあ……どうやろな。アキちゃん。お前にその斎服(さいふく)を着せたのは(だれ)やった?」  水煙(すいえん)はそんな小さいことは、いちいち(おぼ)えてないらしかった。  人間は、式服(しきふく)斎服(さいふく)やって、格好(かっこう)を気にするが、神さんは実はそんなもん(たい)して意識(いしき)してへんということかもしれへんな。  斎服(さいふく)やろうがTシャツやろうが、実は関係あらへんのや。  むしろ儀式(ぎしき)(のぞ)む人間側の気持ちの問題でしかない。  あるいはコスプレの問題や。 「大崎(おおさき)先生や。神事(しんじ)(のぞ)むのやったら、斎服(さいふく)でないとあかんと言うて……」 「(きつね)が出したんや。四次元(よじげん)ポケットから。たぶん、アキちゃんのおとんの着とった服やで」  (とおる)がまだまだ()きそうな声で口を(はさ)んだ。  (とおる)が分かってて言うたんかは(なぞ)やけども、それはかなり重要な要素(ようそ)やったらしい。 「先代(せんだい)の……?」  水煙(すいえん)(かんが)()むふうやった。 「なんでそんなもんを(しげる)ちゃんが持っとんのや」  (おぼろ)は不満げやった。 「わからん。先代(せんだい)形見(かたみ)()けにくれてやったんやろう。あいつは(しげる)秋津(あきつ)から出すとき、いくらかの物を()けてやっていた。飛燕(ひえん)もそうやし。もう使うこともない斎服(さいふく)を、自分の形見(かたみ)としてくれてやったんかもしれん。出征(しゅっせい)するとき、あいつは死を覚悟(かくご)していた。もう(もど)ることはないと理解(りかい)してたんやからな」  大崎(おおさき)先生はそのおとんの斎服(さいふく)を、自分で着ることはなかった。  大崎(おおさき)先生は小柄(こがら)や。寸法(すんぽう)(ちが)うしな。  ()いて()(なお)して着るというには、心残(こころのこ)りがあったんやろう。  そんなんしてもうたら、もう二度と、アキちゃん帰ってきいひんて(みと)めたみたいで、(いや)やった。  それで斎服(さいふく)(きつね)四次元(よじげん)ポケットに仕舞(しま)われ、戦後の七十有余(ゆうよ)年、少なくとも今回の事件(じけん)の起きる(あいだ)、ずっとそこにあった。  宴会(えんかい)の夜に、()っぱらった大崎(おおさき)(しげる)が、(おれ)におとんコスをさせようなどと思い付くまでは、ずっと。  そやから、それはずっと、この世には無いものやった。 「えぇぇ……」  その事実について推論(すいろん)する水煙(すいえん)の話に、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)はあんぐりしていた。 「服やで、ただの」  ただのおとんのシャツに気が(くる)うくせに、湊川(みなとがわ)はそんなことを言うていた。 「ただの服やない。先代(せんだい)儀式(ぎしき)の時に身に(まと)っていたものや。その前にはこれは(たし)か、先々代(せんせんだい)のものやった。それを暁彦(あきひこ)(ゆず)()けたんや。地紋(じもん)を見ろ。蜻蛉(とんぼ)(がら)やろ。先々代(せんせんだい)の、そのまた父親が、西陣(にしじん)機屋(はたや)()らせたもんや。秋津(あきつ)()(がら)やねん。この()かい蜻蛉(とんぼ)先先先代(せんせんせんだい)の……えぇ、ややこしな、弓彦(ゆみひこ)が、好んで(もち)いた図柄(ずがら)や」  なんのこっちゃ。  (たし)かに、(おれ)が着せられた斎服(さいふく)は、二(ひき)蜻蛉(とんぼ)が向かい合う模様(もよう)になっていた。  黒一色の(きぬ)やけども、()()(がら)がある。  ()る時に糸のかけ方を工夫(くふう)して、模様(もよう)()き上がるようになってんのや。それを地紋(じもん)という。  沢山(たくさん)の向き合った蜻蛉(とんぼ)が、びっしりと()()してある。  その隙間(すきま)を、三角形をびっしり()()めた細かい(がら)()めている。  この三角形の(がら)は、(うろこ)という名のついた文様(もよう)や。  (うろこ)蜻蛉(とんぼ)。  まさしく秋津(あきつ)家の意匠(いしょう)やな。  それを先々代の父親、つまり(おれ)から見て、ひい(じい)さんにあたる当主(とうしゅ)秋津(あきつ)弓彦(ゆみひこ)が、西陣(にしじん)機織(はたお)りの店に依頼(いらい)してデザインさせ、うち以外の客には絶対(ぜったい)使わせたらあかんと、専属(せんぞく)契約(けいやく)をさせた。  それが()(がら)ということや。  昔の大名(だいみょう)(はん)は、自分とこオリジナルの文様(もんよう)を持っていて、それを他の者には使用させへんような権限(けんげん)を持ってた。  そういう特権(とっけん)を、うちの先祖(せんぞ)も持ってたということやな。  そやからこの斎服(さいふく)(まぎ)れもなく秋津(あきつ)家の(くら)から出たもんや。  うちの血筋(ちすじ)の意味がこめられた文様(もんよう)。無数の蜻蛉(とんぼ)や。 「服というのは(れい)()(しろ)のひとつや。ましてお前の父親ほどの術士(じゅつし)祭儀(さいぎ)(おり)()(かえ)し着たもんや。何かの守りにはなるやろう。それを着ていろ」 「でも、予知と(ちご)うてええんか」  (おれ)は心配やったけど、水煙(すいえん)はなぜか、くすくすと()うた。(つば)(かす)かに鳴るようやった。 「(ちが)いはしない。アキちゃん。お前がその服を着ている時流(じりゅう)をひとつだけ見た気がする。その時は、なにも深く考えなかったが……」  水煙(すいえん)は何か、気味(きみ)がいいらしかった。そういう笑い方やった。 「竜太郎(りゅうたろう)や、アキちゃん。あいつが時流(じりゅう)(おぼ)れて死んだ時、(つか)もうとしていた未来はこれや。でもあいつは失敗したはずや。あの時、(おぼ)れたんやから、手は(とど)かなかった」  くすくすと、水煙(すいえん)は笑った。  意味がわからず、俺も(みな)もぽかんとしていた。  湊川(みなとがわ)は不安げに俺の目を見た。そして、俺の手にいる水煙(すいえん)を見つめた。 「どういうことや」 「予知(よち)をしたんや。竜太郎(りゅうたろう)は。あの後、もういちど(もぐ)ったということや。あいつは未来を変えたんや。蔦子(つたこ)が最後の予知(よち)をした後、一人(ひとり)でな。今も(もぐ)っているのかもしれへん。(あきら)めの悪い子や」  俺にはそれは、ぞっとするような話やった。

ともだちにシェアしよう!