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27-55 アキヒコ
まだゼーハーしたままの湊川 怜司 が、俺 を見て言うた。
今やっとそれを考える余裕 ができたという風 やった。
「着替 えさせるか。あの服はそんなに大事なもんなんか? なんで服が違 うんや」
こちらは動揺 しまくりの声で、湊川 怜司 が言うた。
奴 は蔦子 さんの予知 能力 を高く買っていて、現実 がそれと少し違 う成 り行 きになったことに、びびったらしいわ。
「さあ……どうやろな。アキちゃん。お前にその斎服 を着せたのは誰 やった?」
水煙 はそんな小さいことは、いちいち憶 えてないらしかった。
人間は、式服 や斎服 やって、格好 を気にするが、神さんは実はそんなもん大 して意識 してへんということかもしれへんな。
斎服 やろうがTシャツやろうが、実は関係あらへんのや。
むしろ儀式 に臨 む人間側の気持ちの問題でしかない。
あるいはコスプレの問題や。
「大崎 先生や。神事 に臨 むのやったら、斎服 でないとあかんと言うて……」
「狐 が出したんや。四次元 ポケットから。たぶん、アキちゃんのおとんの着とった服やで」
亨 がまだまだ吐 きそうな声で口を挟 んだ。
亨 が分かってて言うたんかは謎 やけども、それはかなり重要な要素 やったらしい。
「先代 の……?」
水煙 は考 え込 むふうやった。
「なんでそんなもんを茂 ちゃんが持っとんのや」
朧 は不満げやった。
「わからん。先代 が形見 分 けにくれてやったんやろう。あいつは茂 を秋津 から出すとき、いくらかの物を分 けてやっていた。飛燕 もそうやし。もう使うこともない斎服 を、自分の形見 としてくれてやったんかもしれん。出征 するとき、あいつは死を覚悟 していた。もう戻 ることはないと理解 してたんやからな」
大崎 先生はそのおとんの斎服 を、自分で着ることはなかった。
大崎 先生は小柄 や。寸法 も違 うしな。
解 いて縫 い直 して着るというには、心残 りがあったんやろう。
そんなんしてもうたら、もう二度と、アキちゃん帰ってきいひんて認 めたみたいで、嫌 やった。
それで斎服 は狐 の四次元 ポケットに仕舞 われ、戦後の七十有余 年、少なくとも今回の事件 の起きる間 、ずっとそこにあった。
宴会 の夜に、酔 っぱらった大崎 茂 が、俺 におとんコスをさせようなどと思い付くまでは、ずっと。
そやから、それはずっと、この世には無いものやった。
「えぇぇ……」
その事実について推論 する水煙 の話に、湊川 怜司 はあんぐりしていた。
「服やで、ただの」
ただのおとんのシャツに気が狂 うくせに、湊川 はそんなことを言うていた。
「ただの服やない。先代 が儀式 の時に身に纏 っていたものや。その前にはこれは確 か、先々代 のものやった。それを暁彦 が譲 り受 けたんや。地紋 を見ろ。蜻蛉 の柄 やろ。先々代 の、そのまた父親が、西陣 の機屋 に織 らせたもんや。秋津 の留 め柄 やねん。この向 かい蜻蛉 は先先先代 の……えぇ、ややこしな、弓彦 が、好んで用 いた図柄 や」
なんのこっちゃ。
確 かに、俺 が着せられた斎服 は、二匹 の蜻蛉 が向かい合う模様 になっていた。
黒一色の絹 やけども、織 り地 の柄 がある。
織 る時に糸のかけ方を工夫 して、模様 が浮 き上がるようになってんのや。それを地紋 という。
沢山 の向き合った蜻蛉 が、びっしりと織 り出 してある。
その隙間 を、三角形をびっしり敷 き詰 めた細かい柄 が埋 めている。
この三角形の柄 は、鱗 という名のついた文様 や。
鱗 に蜻蛉 。
まさしく秋津 家の意匠 やな。
それを先々代の父親、つまり俺 から見て、ひい爺 さんにあたる当主 ・秋津 弓彦 が、西陣 の機織 りの店に依頼 してデザインさせ、うち以外の客には絶対 使わせたらあかんと、専属 契約 をさせた。
それが留 め柄 ということや。
昔の大名 や藩 は、自分とこオリジナルの文様 を持っていて、それを他の者には使用させへんような権限 を持ってた。
そういう特権 を、うちの先祖 も持ってたということやな。
そやからこの斎服 は紛 れもなく秋津 家の蔵 から出たもんや。
うちの血筋 の意味がこめられた文様 。無数の蜻蛉 や。
「服というのは霊 の依 り代 のひとつや。ましてお前の父親ほどの術士 が祭儀 の折 に繰 り返 し着たもんや。何かの守りにはなるやろう。それを着ていろ」
「でも、予知と違 うてええんか」
俺 は心配やったけど、水煙 はなぜか、くすくすと笑 うた。鍔 が微 かに鳴るようやった。
「違 いはしない。アキちゃん。お前がその服を着ている時流 をひとつだけ見た気がする。その時は、なにも深く考えなかったが……」
水煙 は何か、気味 がいいらしかった。そういう笑い方やった。
「竜太郎 や、アキちゃん。あいつが時流 に溺 れて死んだ時、掴 もうとしていた未来はこれや。でもあいつは失敗したはずや。あの時、溺 れたんやから、手は届 かなかった」
くすくすと、水煙 は笑った。
意味がわからず、俺も皆 もぽかんとしていた。
湊川 は不安げに俺の目を見た。そして、俺の手にいる水煙 を見つめた。
「どういうことや」
「予知 をしたんや。竜太郎 は。あの後、もういちど潜 ったということや。あいつは未来を変えたんや。蔦子 が最後の予知 をした後、一人 でな。今も潜 っているのかもしれへん。諦 めの悪い子や」
俺にはそれは、ぞっとするような話やった。
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