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27-56 アキヒコ
あの予知 は竜太郎 にとっては、水煙 の介添 えがあっても溺 れたような、難儀 な仕事や。
しかも一遍 溺 れ死んでるのに。
もう二度とするなって俺は言うたのに。
あいつは全然、俺の言うことをきいてへんかったんやな!
竜太郎 !!
失敗したらどないするつもりや。今度は俺かて助けにいかれへんのやで。ほんまに死んで、それっきりなんやで!
……そやけど、竜太郎 は成功した。そういうことやった。
なにしろ未来は変わったんやから。着てるものが違 う程度 の、ほんの些細 な違 いかもしれへんけど、でも、とにかく変わった。
これはまだ俺が、視 たことのないコースや。
どないなるか分からん、まっさらの未来やで。
「先輩 ……」
ヘタってて物も言わんかったはずの瑞希 が、急に俺を呼 んだ。
見ればもう、狗神 ではなく、人の姿 をしていた。俺のよく知ってる、いつも大学でよく会うたような、ありきたりの学生みたいな格好 や。
瑞希 はその、いかにも日常 そのものの姿 で、海を指さした。
それに促 されて見た先には、到底 、日常的 ではないもんが見えた。
海が立ち上がって見えた。
壁 のような大波が、ものすごい速さでこっちに押 し寄 せて来ていた。
なにあれ。津波 や。
俺はぼけっとそう思った。それ以上のことは、なにも考えられんかった。
これからどうすればいいのかも。考えられへん。
俺にはのたうつ龍 が見えた。押 し寄 せる大波と二重写 しで。
遠目 にも明らかな、巨大 な龍 やった。
東海(トムヘ)の王や。
龍 は独 りでやってくるのではなかった。
数知れないほどの、海の眷属 を引き連れていた。
人魚 のような、鰭 のあるもの。
深海からやってきたような、怪物 的なもの。
陸 でしか生きたことのない俺たちには、見当もつかんような有象無象 の神々や霊 、聖 でも邪 でもなく、その両方でもある者たちを、逆巻 く波 に紛 れさせ、従 えていた。
まさしく王と呼 ばれるに相応 しい、威風堂々 の風格 やった。あまりに巨大 や。
竜宮城 の王様って、あんな感じなんかなと、俺はぼんやり思った。
あまりにも現実 離 れしていた。
あんなもんがこの世に居 るとは。
俺にはとても抑 えきれへん。まさかこの世に、鯰 より強い神が居 るとは。
俺みたいな、ちっぽけな人間が、止めて止められるようなもんやあらへんわ。
それが覡 としての俺の直感 やったんやろうか。
俺は呆然 と無抵抗 やった。
あれは平伏 して待つしかないものやと思った。
逃 げて逃 げられるようなもんやない。戦って、勝てるようなもんではないんや。
祈 るしかない。
そうやった、俺はそのためにここに来たんや。
どうか皆 を殺さんといてください。俺だけにして。
俺は生 け贄 としてここに来ました。どうかそれに免 じて、他 の皆 は助けてやってくれ。
お願いします。
俺はとっさの無意識 で、心の中でそう祈 ってた。
襲 い来る波 に向かって、そう呼 びかけていた。
ただ呆然 と立ちつくすだけやったけど、心は平伏 していた。
龍 に? わからへん。
たぶん、この世界の天地 に。
「逃 げろ、皆 。俺に付き合うことはない。もう主 でも式(しき)でもない。どこへでも好きなところへ行け。俺についてくるな」
俺は水煙 を手放 した。なぜか無意識 に言葉が口を衝 いて出た。
そうするつもりでいたかどうか、記憶 にはない。
深く考えることもなく、気がついたらそう言うててん。
俺は自分の式神 を全部解放 したらしい。
皆 びっくりしていた。
水煙 も、朧 も、瑞希 も。ものすごショックを受けたようやった。
皆 、うんともすんとも言わんかった。
だた、ぷつりと切れた何かの絆 が、心のどこかで確 かに感じられた。
「亨 、お前もどっか行け。逃 げて生 き延 びろ。まだ間に合う」
逃 げて逃 げられんことはないやろ。
ただの人間と違 うて、こいつら妖怪 なんやから。
めちゃめちゃ急げば時速百キロくらいで走れるかもしれへんやん。
朧 なんか飛べるんやから。
俺は逃 げへん。俺が逃 げたら、助からんかもしれへん。神戸 は。
神戸 ?
ほんま言うたらそんなこと、俺にはどうでもよかった。
どうでもいいとすら思ってなかった。何も考えてへんかった。
見ると亨 が呆然 と俺を見ていた。
青白いけど、綺麗 な顔やった。
亨 の背後 に神戸 の街が見えた。
見えたって、肉眼 で見たんではなかったんかもしれへん。
いくらなんでも人間の目で、街を一望 するのは無理や。
でも、今、すごく遠いところにいるはずの、俺の知ってる人らの顔が、ひとりひとり見えたような気がした。
俺のおかんは無事 やろか。蔦子 さんは。竜太郎 は。
大崎 先生は。新開 師匠 は。小夜子 さんは。
中西 さんと神楽 さんは。
霊振会 の皆 は。
ヴィラ北野のフロントのお姉 さんは。朝飯屋 の店主は。
前にこの近所の公園で犬の散歩させてた女子高生は。
俺の知ってるあの人たちは。ちらっと顔を合わせただけの、あの人やこの人は。
今どこで何をしてるんやろう。生きてるやろうか。皆 、無事 なんか。
俺が死んで助かるもんなら、俺は一歩も逃 げられへんかった。
俺はおかんに生きといてほしかった。亨 も、水煙 も、他 の皆 も。
俺が死んで、何とかなるんやなったら、何とかしたいと思った。
助けたかったんや。守りたいと思った。
守らなあかん。
俺は三都の巫覡 の王で、秋津 の末代 、暁彦 やから。
神よ。
それは、たまたま俺が着ていた、秋津 の文様の斎服 に、たまたま宿 った、代々 の秋津 の巫覡 の想 いやったかもしれへん。
それとも俺自身の想 いか。どっちにしろ同じことや。
俺はその血筋 に連 なる者やった。
神よ。恐 み恐 み白 す。
祈 り方なんか俺は知らん。でも聞いてください。
この街には俺の大事 な人たちが居 るんや。俺に皆 を救わせて。
俺の命ひとつで取引しようなんて、図々 しいのは分かってる。
でも、そこを何とか。俺のわがままを、聞いてはもらえませんでしょうか。
何とぞひとつ、よろしゅうお頼 み申 します。
俺は祈 った。全身全霊 で。
波は俺を呑 んだ。あっという間 の出来事 やった。
そしてそれからどうなったか。
俺にはそれを語ることはできひん。
なぜかって。
俺は死んだからや。
死んだ。
本間暁彦 、享年 21歳 。
まだまだ夏の気配 の残る、神戸 の海でのことやった。
――第27話 おわり――
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