768 / 928

28-16 トオル

 もしも信太(しんた)が生きていて、そんな噂(うわさ)を耳にしたら、さぞかし満足げに笑(わろ)うたやろう。俺(おれ)の寛太(かんた)は不死鳥(ふしちょう)やったんやって。  ずうっとそう言うてたもんな。あいつは寛太(かんた)を信じてた。  誰(だれ)も、寛太(かんた)自身さえ、それを信じようとしなかった時にも、信太(しんた)だけは決して心を変えず、信じてたんやんか。  それでも、不死鳥(ふしちょう)がほんまの力を発揮(はっき)するには、人々の信仰(しんこう)がいる。  今時(いまどき)の世(よ)で、新たな信仰(しんこう)を興(おこ)すのは簡単(かんたん)やない。不死鳥(ふしちょう)を食わせていくほどの力となるとな。  消えず、いつまでも残り、次々と信じる者が現(あらわ)れて、度々(たびたび)思い起こされ、人々が祈(いの)る。  そういうもんは今や、インターネットや、友達(ともだち)の友達(ともだち)から聞いた噂(うわさ)の中にしかないんやない?  俺(おれ)はそう思ってるんや。別に確(たし)かめた訳(わけ)やないんやけどな。  怜司(れいじ)兄さんは、怒ってた。  信太(しんた)が死ぬのを見て、一滴(いってき)の涙(なみだ)も流さへんかった。  血も涙(なみだ)もない鬼(おに)やからな、しょうがないんや。流す涙(なみだ)を持ってへん。寛太(かんた)とは違(ちが)うんや。  それでも、信太(しんた)が何を望(のぞ)んでて、何のために死んだか、一番分かってくれてたのは、怜司(れいじ)兄さんやったんやないかなあ?  だって、神戸(こうべ)の空を駆(か)け抜(ぬ)けた赤い鳥も、噂(うわさ)が不死鳥(ふしちょう)やと囁(ささや)かなければ、ただの鳥の形した変わった雲で、人々の怪我(けが)が治ったり、蘇生(そせい)したりしたんも、たまたまの偶然(ぐうぜん)やってことで、その場(ば)限(かぎ)りのことや。遠(とお)からず皆(みな)に忘(わす)れ去(さ)られた事やったんかもしれへん。  何かの意図(いと)が、そこには関与(かんよ)してる。俺(おれ)はそう思うてる。  マスコミによる捏造(ねつぞう)、情報(じょうほう)操作(そうさ)や。  信太(しんた)、お前の不死鳥(ふしちょう)を、怜司(れいじ)兄さんがほんまモンにしてくれたで。嬉(うれ)しいやろ。  嬉(うれ)しいって、もう言われへんし、怜司(れいじ)兄さんにお礼(れい)のキスもでけへんのやな。もうなんにも、でけへんのや。  悲しい。それが死や。  死は古代の昔からずうっと、多くの恋人(こいびと)たちを分(わ)かつ呪(のろ)いやった。  俺(おれ)もこれまで、数えきれんぐらいの愛(いと)おしい顔また顔を、死の影(かげ)の向こう側(がわ)に見失ってきた。  その度(たび)に身を切られるような辛(つら)さが俺(おれ)を苦しめてきたんや。  死なれへん、俺(おれ)は、いつも後に遺(のこ)される身や。  思えば何故(なぜ)俺(おれ)は、死なんのやろか。  神やからや。  いいや、死んでまう神もいてる。俺(おれ)がそうなったとしても、良かったはずや。  死にゆく恋人(こいびと)の魂(たましい)を追いかけて、共に死んでも良かったはずや。  そうやのに、俺(おれ)は死なんのや。黄泉(よみ)がえる。  愛(いと)しいアキちゃんが死んでも、それを追っていかれへん。  俺(おれ)の不死(ふし)は、呪(のろ)いや。自分で自分を苦しめる、無用(むよう)の長物(ちょうぶつ)や。  アキちゃんが死んだ。それは俺(おれ)に下(くだ)された罰(ばつ)や。  俺(おれ)が最も愛する者を、海神(わだつみ)が奪(うば)っていった。  いとも簡単(かんたん)に、一瞬(いっしゅん)で波間(なみま)にひと呑(の)みやった。  そう……。そろそろ時を戻(もど)そう。あの日の神戸(こうべ)の港(みなと)へ。  津波(つなみ)の押(お)し寄(よ)せる中突堤(なかとってい)へ。  俺(おれ)とアキちゃんは一緒(いっしょ)に居(い)てた。  水煙(すいえん)と犬と、怜司(れいじ)兄さんも一緒(いっしょ)やった。  蔦子(つたこ)おばちゃまの予知(よち)の通りや。皆(みな)で突(つ)っ立(た)って、襲(おそ)い来る津波(つなみ)を、成(な)すすべもなく見守っていた。  蔦子(つたこ)さんが水晶玉(すいしょうだま)で見せてくれた光景(こうけい)とは、何かがちょっとずつ違(ちご)うてた。  着てるもんとか、立ってる位置とか、そんな程度(ていど)の些細(ささい)なことやけど、違(ちご)うてる。そこは俺(おれ)らの知らん時空(じくう)やった。  そやけど心配はないはずやった。  竜太郎(りゅうたろう)の新しい予知(よち)では、アキちゃんはこの先、京都に無事に帰り、俺(おれ)とまた出町柳(でまちやなぎ)のマンションで暮(く)らしている。  そこへ竜太郎(りゅうたろう)も遊びに来て、一緒(いっしょ)にカレー食うてる。  そんな平和で楽しい、何事(なにごと)もないオチを、竜太郎(りゅうたろう)は視(み)たんや。  もう何も心配いらへん。俺(おれ)らはもう、アキちゃんを救(すく)えたんや。  そうや。これは俺(おれ)らのハッピーエンドのコース。  一緒(いっしょ)に出町(でまち)に帰って、アキちゃんと固く抱(だ)き合(あ)いたい。  もう俺(おれ)もアキちゃんも、辛(つら)い目には遭(あ)わんでええんや。  そう祈(いの)りながら迎(むか)え撃(う)つ海神(わだつみ)は、いともあっけなく俺(おれ)の甘(あま)い夢(ゆめ)を砕(くだ)いていった。  アキちゃんは波(なみ)に呑(の)まれ、俺(おれ)らは弾(はじ)き飛(と)ばされた。  一緒(いっしょ)に水底(みなぞこ)に沈(しず)む定(さだ)めのはずが、水煙(すいえん)も犬も、怜司(れいじ)兄さんも俺(おれ)も、誰一人(だれひとり)として津波(つなみ)には呑(の)まれへんかったんや。  吹(ふ)っ飛(と)ばされた、アキちゃんの術(じゅつ)法に。  津波(つなみ)が俺(おれ)らに触(ふ)れようかという時に、何か大きな手でつまみ上げられ、放(ほう)り出(だ)されるみたいに、空中(くうちゅう)に吹(ふ)っ飛(と)んでいたんや。  どないしてそんな事が出来たんやろう。  どうせ火事場(かじば)の馬鹿力(ばかぢから)やろう。  土壇場(どたんば)になるといつも俺(おれ)のツレは、非常識(ひじょうしき)な新しい力に目覚(めざ)めてまうんや。  一人で波(なみ)に呑(の)まれる時、アキちゃんは海には背(せ)を向けていた。  そして俺(おれ)の方を、じいっと見ていた。  水煙(すいえん)でも犬でも、怜司(れいじ)兄さんでもない、ただ俺(おれ)だけを、アキちゃんは真顔(まがお)でじっと見ていた。  それは一瞬(いっしゅん)のことやったんかもしれへん。  海神(わだつみ)がアキちゃんを攫(さら)っていく、その一瞬(いっしゅん)は、俺(おれ)には恐(おそ)ろしく長く引(ひ)き伸(の)ばされた時間やった。

ともだちにシェアしよう!