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28-28 トオル
「お前を生贄 にして、暁彦 を救 うわ。異論 はないやろな。お前が誠 の愛 で、息子 を愛してるというなら、惜 しむ命はないはずや」
そうやな。俺は別に、死ぬのが怖 い訳 やない。
死んで、自分がおらんようになるのが、怖 いだけなんや。
あいつとずっと生きられたかもしれへん、なんでもないような朝と夜が、優 しいキスのひとつひとつが消えて、もう二度と、見つめ合うこともでけへん。
それが怖 いんや。
怖 い。
お前のおらんこの世が、怖 いだけ……。
俺の消 え失 せた世界が、怖 い訳 では、もうないねん。俺がおらんようになっても、アキちゃんが幸せに生きていってくれたら、それでいい。それで、ええんや。
そういうふうに、俺がもっと早く、決心できてたら、アキちゃんはもっと楽に、ハッピーエンドに辿 り着 いたやろう。
竜太郎 が見てくれた、命がけで掴 んできてくれた未来とは、なんかちょっとちゃうみたいやけど……しゃあない。どうせ未来は、あやふやなもんや。
これが俺らのオチやったんかなあ、アキちゃん。
さようならかなあ、アキちゃん。
俺は泣きたい気持ちで、龍 にとっ捕 まっているアキちゃんのほうを見つめた。
座 ってたはずのアキちゃんが、球 の内側の壁 に張 り付 いて、何か言うてた。
壁 をガンガン叩 いて、こっちには聞こえへん声で、叫 んでる。
え? なに? に・げ・ろ?
逃 げろ、って?
あかんやんアキちゃん。アホやなあ、お前は毎度毎度ほんまに。
ここ、愛してる、って言うとこやん。
あ・い・し・て・る、やで。言うてみて。
あかんかあ。言うわけないな、そんな気の利 いたこと。言うわけないんや。
俺は目を閉 じて、覚悟 を決めた。
俺と向き合う秋津 暁彦 の骨 が、蜻蛉 の紋 の入った脇差 しを抜 き放 っていた。
ぎらりと光る刀身 が、まるで水銀 みたいな、毒々 しい血に飢 えた刃物 やった。
「やめろ暁彦 !! なんのつもりや!」
俺、水煙 がそこまで叫 ぶの初めて聞いちゃった。
しかも俺のためにやで?
やめろ惚 れてまうやろ。冗談 やけどな。
水煙 は元々、戦う神や。太刀 やしな、武闘 派 や。
今までは誰 か、自分を振 るう剣士 がおらんと、その力を発揮 でけへんかったやろけど、この時の水煙 は龍神 の姿 やったし、自力で戦える。
そやけど、お前はなんで俺なんかのために、大事な暁彦 様を斬 ろうとしたんやろうな。
目を開けると、脇差 を構 えた秋津 暁彦 が、俺の喉元 を狙 っていた。
俺にはそれは、予想できた出来事 やった。
おとんは俺を殺しにきたんや。何でかそれは、俺には分かってた。
分からへんのは水煙 兄さんの方や。
俺の喉 を掻 き切 ろうとするおとんを、水煙 は斬 ろうとした。
たぶん、分からへんけど、鬼 やったんやろな、おとん。
アキちゃんを救 いたい一心 で、蛇 でも何でもぶっ殺したると思って、ここまでやってきたんやから。
そやけど水煙 も、迷 いはあったんかな。
ほんまの本気やったら、討 ち漏 らしたりはせえへんかったやろう。
一瞬 やったし何が何やら。
おとんは俺の喉 を掻 っ切 り、水煙 は、秋津 暁彦 と、それを庇 おうとした朧 を斬 った。
たぶん朧 のほうが深手 やったやろう。
怜司 兄さんがもっと素早 い身のこなしのできる武芸 の達人 やったら、危 なかったな。たぶん真っ二つやった。
そやけど水煙 は迷 ったし、怜司 兄さんは遅 かった。
そして、おとんも朧 を庇 ったもんやから、お互いを庇 い合うような形になってもうて、二人 合わせて斬 られる羽目 に。
最悪の、展開 や。
ふたりは骨 やし、斬 られたところで、血を流すんは俺だけやったんやけどな。
それでも、ものすごい量の血が、俺の喉 から溢 れ出 て、海水を真 っ赤 に染 めた。
その血を浴びた海底の骨 たちは、幻 のように、仮初 めの受肉 をした。
俺がいつか見た、いつか愛した顔また顔が、生きていた時と同じ表情 をまとって、俺に祈 り、俺を見ていた。
お前もとうとう、死ぬときが来たかって、みんな思うたかな。
俺も思うた。もうこれで、終わりやなあ、って。
それはそれで、しゃあないなあ、って。
龍王 は、数千年ぶりの高い神格 を得 た俺を気に入って、玉(ぎょく)にしてくれるやろうか。アキちゃんの代わりに……。
「朧 !」
おとんが叫 んで、ぐらりと倒 れた怜司 兄さんを抱 きとめた。
俺の血を浴びたせいやろか。秋津 暁彦 の顔にも肉はついてた。
アキちゃんそっくり。ええ男やなあ。俺のやないけど。
「クソ! しっかりしろ!!」
クソはないやろ、おとん。
見るからにやばい深手 の朧 を抱 きしめて、おとんは叫 んだ。
彼岸 に逝 く者を呼 び戻 そうとする叫 びやった。
済 まんな、兄さん、俺の黄泉路 の道連 れか。
そんなの要 らんかったのに、済 まんことやった。
おとんもめちゃめちゃ斬 られてた。
薙 ぐように横ざまに斬 られた傷口 が、胴体 の半分ぐらいまで、グッサリいってもうてる。
水煙 の切れ味 の凄 さやな。
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