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28-36 トオル

 (うなず)水煙(すいえん)(あわ)笑顔(えがお)(うなが)され、アキちゃんは怜司(れいじ)兄さんに()(つか)まれたまま、埠頭(ふとう)()っていたポートタワーを()いた。  津波(つなみ)(おそ)われて、ぐんにゃり曲がってもうてた赤い鉄塔(てっとう)が、アキちゃんが空中に()いた青白い線に合わせて、時間を()(もど)すように、しゃきっと元の姿(すがた)(もど)った。  アキちゃんは、声もなく(おどろ)き、水煙(すいえん)の顔を見た。  その表情(ひょうじょう)が、すごいオモチャを見せられた子供(こども)みたいで、おもろかったんか、水煙(すいえん)はふふふと声を()らして笑った。  笑うてると、水煙(すいえん)はお人形さんみたいに可愛(かわい)かったんや。  もう怪物(かいぶつ)みたいな顔やない、女と見まごう美貌(びぼう)やし、見つめ合うと()ずかしいような、長いまつ毛の清純(せいじゅん)()やった。  アキちゃんは()れたふうに、水煙(すいえん)から目を()らしてた。 「どこかにちゃんと(こし)()えて(えが)きたいわ」  アキちゃんは()ずかしそうにブツブツ言うた。  大作(たいさく)やもんな。線画(せんが)だけやというても、神戸(こうべ)全図(ぜんず)や。めっちゃ大変。  いくら筆の早いアキちゃんでも、明日(あした)の朝日が(のぼ)ってくるまでかかりそうやわ。 「俺の上でよければ、こっちに()(うつ)り。あんまり時間はないんや。月の出ている間だけ使える術法(じゅつほう)やからな」  うわあ。水煙(すいえん)様の上に乗るんか。うわあ。乗るんやあ……。  正直微妙(びみょう)、とか言うてる場合やないわな。これは仕事や。  三都(さんと)巫覡(ふげき)の王としての、アキちゃんの仕事の総仕上(そうしあ)げやった。  (なまず)()かせた。(ほね)やっつけた。  不死鳥(ふしちょう)飛ばした。(りゅう)にはお(のぼ)りいただいた。  あとは(こわ)れた神戸(こうべ)復旧(ふっきゅう)させて、元の通りでお返ししたら、一体(だれ)がアキちゃんに文句(もんく)のつけようがあるやろか。  これでもう、(まぎ)れものう、アキちゃんが王様や。  そやけど水煙(すいえん)は、そういうことを気にしてる(わけ)やなかった。  (こわ)れた街で(こま)るんは、そこに住んでる人間たちや。  日頃(ひごろ)何不自由(なにふじゆう)ない文明生活を送ってたのに、急に家もない、水もない、電気も食うもんもない、車も電車も止まってもうてて、火の手がどんどん(せま)ってくるて、そんな()らしで苦しむことになる。  それはな、(つら)いやろ。気の毒やから、見るに見かねるて。  水煙(すいえん)てな、そういう神様やったんって。  知ってたか、(みんな)? 俺な、(おどろ)いた。  お前……(おに)やったんとちゃうん? (おに)やったやん? 実は神様やの?  俺は思わず(たず)ねたい気持ちやったけど、さすがに空気読んでな、(だま)っといたわ。  水煙(すいえん)は、()いだように静まった神戸(こうべ)の海に、長い優美(ゆうび)蛇体(じゃたい)()かべて、そこにアキちゃんを(すわ)らせてやってた。  俺もいつまでもヒラヒラ飛んでるんは、しんどい。人形(ひとがた)(もど)って、アキちゃんの横に一緒(いっしょ)(すわ)っても、水煙(すいえん)兄さんは文句(もんく)言わんといてくれた。  俺と水煙(すいえん)は、アキちゃんが黒い夜景(やけい)の上に(えが)く、今は失われてしまった神戸(こうべ)街並(まちな)みの絵を、アキちゃんの両脇(りょうわき)から、(だま)って一緒(いっしょ)(なが)めた。  さらさらと(まよ)いのない(ふで)で、アキちゃんは()いた。  青い筆が(おど)るように走る。  そこから()きることなく()かれる青白い描線(びょうせん)は、海ホタルの産卵(さんらん)(あかり)のように、夜の海に()えて綺麗(きれい)に光ってて、ひとつ建物が()()がるたびに、(こわ)れた現実(げんじつ)の建物のほうも、しゃきっと起き上がるんや。  おもろいわあ。これ、遠目(とおめ)に見てると面白(おもしろ)いけど、現場(げんば)ではどないなってんのや。  そこに()る人、大丈夫(だいじょうぶ)なんか?  急に瓦礫(がれき)が立ち上がったりして、(かえ)って怪我(けが)したりせえへんのやろか。 「平気(へいき)や。あれは時間が()(もど)ってんのや。建物とか、そういう無機物(むきぶつ)だけやけどな。俺があんじょうやってるさかい、気にせず()けばええんや」  (くわ)しいことは言うの面倒(めんどう)くさいっていう、水煙(すいえん)のいつものざっくり解説(かいせつ)で、俺とアキちゃんは顔を見合わせて苦笑(くしょう)した。  まあ、ええか。これ、水煙(すいえん)術法(じゅつほう)なんやて。  すげえな、初めて見たな。  水煙(すいえん)は月の神の親類(しんるい)で、時を(つかさど)能力(のうりょく)()(あた)えられているらしい。  しかし、時間を迂闊(うかつ)操作(そうさ)したらあかんのやって。  なぜかと言えば、時空(じくう)がぐっちゃぐちゃになってまうからやし、アホの(とおる)に説明すんのが面倒(めんどう)くさい、なんやかんやがあるんやってさ。  それでも気張(きば)って、なんやかんやを上手(うま)処理(しょり)すれば、こうして、壊滅(かいめつ)した街を再建(さいけん)することもできるし、(こま)ってる人間たちを(すく)うてやることもできる。  そやけど、これは消える魔球(まきゅう)なみの大技(おおわざ)で、めったに()たへん宇宙戦艦(うちゅうせんかん)ヤマトの波動砲(はどうほう)みたいなもん。  いちいち時間を()(もど)してたら、世の中全然進まへんようになるからな。  今回は特に、アキちゃんのデビュー戦。一世一代(いっせいいちだい)の大仕事やから、水煙(すいえん)奮発(ふんぱつ)したんやって。  大奮発(だいふんぱつ)して、月からこの地上へ()()りて以来、一度も使うたことがない、伝家(でんか)宝刀(ほうとう)()いた。  これは一生に何度も使える(わざ)ではないねん。  水煙(すいえん)は、再生(さいせい)していく街を見守りながら、(ひま)そうにしている俺に、ぽつぽつと話していた。  アキちゃんは、自分の絵で街が(よみがえ)るのに、よっぽど魅了(みりょう)されてもうたんか、熱心に()いてて、聞いてんのやら、聞いてへんのやら。  たぶん、聞いてはおらんかったんやろうなあ。

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