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28-37 トオル
「亨 、お前、泳げるんやろうな?」
ぼうっとした表情で、再び輝 き始めた神戸の夜景 を見つめ、水煙 は大きな青い目に、阪神高速 湾岸線 の煌 めくイルミネーションを映 していた。
そうしてると、水煙 の目の中に、星空があるみたいやった。
綺麗 やなあ、お前。綺麗 な神さんや。
きっと秋津 の一族に大切に守られて、大事に秘密 にされてきた神で、そやからめっちゃセレブ級 やのに、神社も神殿 もないんや。
確かに、蔵 に閉じ込 めて、隠 しておきたいような奴 や。
こんなんフラフラ出歩かせといたら、あっという間に誰 かに攫 われたり、血で血を洗 う奪 い合いになりかねんわ。
「泳げるけど、なんで?」
朝まであと、どれくらいやろかと、俺は空を見ていた。明 けの明星 が、もうすぐ昇 ってくるやろう。
「岸 まで遠いんで、心配になったんや。アキちゃんも泳げるはずや。高校の遠泳大会 で、泳ぎすぎて、化けモン呼 ばわりされたらしい」
「何でお前そんなこと知ってんのや」
俺は苦笑 して、水煙 の腹 なんか腰 なんか分からん、キラキラした鱗 のある身体 に座 り、神戸の海の水をばしゃばしゃ蹴 っていた。
「ずっと見てたんや。この子を。嵐山 の家の天井裏 からなあ。まあ……ワガママな子やけど、ええ子やで。立派 に一人前 になってくれて、俺もホッとした」
「年寄 り臭 え発言 やなあ」
茶化 したつもりで、俺は水煙 に言うたけど、水煙 は淡 い笑みで、頷 いていた。
「そうやなあ、亨 。別れの時が来たようや」
水煙 が、暁 の光に燃える空を背 にして、俺を見ていた。
その顔が白く透 き通 っているのを、俺は真顔 で見つめた。
「俺にも彼岸 の神になるべき時が来たんや。後はよろしゅう、お頼 み申 すで。水地 亨 大明神 」
冗談 めかせて俺に頼 み込 む、水煙 の顔は笑っていて、もう何も思い残すことがないという、去 る者の顔をしていた。
俺ははっとして、アキちゃんが握 ってる絵筆 に目をやった。
最初、真っ青やった筆 の軸 が、落ちる砂 の尽 きる砂時計 のような透明 の筒 になっていて、アキちゃんの握 っている筆先 近くに、あとわずかの青い砂 が残っているだけになっている。
アキちゃんは絵に夢中 で、筆先 から現れる己 の絵しか見ていない。それさえ見てへんのかもしれへん。
遠くに見はるかす、神戸の景色 が朝もやの中に立ち現れるのを、じっと見つめ、一心 に描 いているだけやった。
「あかん! 描 くのをやめろ!!」
俺はとっさに、アキちゃんの筆 を持つ手をがつっと掴 んだ。
俺にはピンと来たんや。詳 しい仕組 みは分からんなりに、ピンとは来るんや、第六感 や。
この筆の青い砂 を使い切ってもうたら、ヤバい! 絶対ヤバい!!
皆 もそう思うやろ⁉︎︎ これは使い切ったらあかんやつや!
あかんて言うてんのに、アホちゃう? 俺のツレ!
俺が手まで掴 んでんのに、もう一筆 描 きよったんや!
あとひと刷 きでビル一個完成する、描 きあげたい、頼 むわ邪魔 せんとってくれえ、言うて、描 いてまいよったんや!
我慢 をしろ我慢 を!
何でお前は我慢 がでけへんのや。
あかん言うてんのに絵ばっか描 きくさって、それで水煙 がどないなるか、気づいてもおらんかったやないか!!
と俺が言おうとした、その第一声より早く、ぎゃああってアキちゃんが叫 んだ。
えっ。どうしたん。アキちゃん。
アキちゃん、手が熱いの? 俺が掴 んだ右手やのうて、左手のほう。
アキちゃんが何かを振り払 うような仕草 で痛 がっている左手の甲 に、ぺかーって、光る絵みたいなもんが浮 かび上 がっていた。
丸い絵と字の中間みたいな文様 でな、呪法陣 ていうねんてな。アキちゃんのご先祖の、これまた同じ顔で、同じ暁彦 いう名前の、角髪 結 うた男がな、描 いたんやって。
水煙 がな、アキちゃんのせいで不幸になるときに発動 して、初代様 を召喚 する仕組 みになってんのやって。
すげえなあ。俺、リアル角髪 初めて見たわ。
『火の鳥・黎明 編 』とか、『日出処 の天子 』に出てくるやつや。
埴輪 が結 うてるやつや。古代の偉 い人の髪型 やで。
けっこうイケてるやないか、初代様 !
俺はアキちゃんの手からドローンて現れた魔人 みたいな角髪 の男にあんぐりしていた。
アキちゃんが、分裂 したあ。手から、もう一人出てきたああ。
お前ちょっと人間やめすぎやろ。こんなん見たことも聞いたこともないで。一万年生きててもやで。
「暁彦 」
びっくりした声で、水煙 が角髪 に言うた。
角髪 はふわふわ浮 いてて、実体があるのかないのか。重さを感じさせへん姿 やった。
「成仏 しろて言うたはずや。何でお前は親の言うことが聞けへんのや」
水煙 がオカンかオトンみたいな口調で言うた。
それに、ふふん、て角髪 は笑 うた。
「お前は親やない。強 いて言うなら兄弟や。俺も月読 の子やからな」
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