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28-38 トオル
あっそうなんや。兄弟? それならええか。
親やないし兄弟やったらええか、って、そういうこと言うてはるんやんな?
そういう問題か? それめっちゃ家族やろ。
非常識 な人がまた登場したで、さすがは秋津 さんや。
「水煙 を泣かせたら承知 せえへんて言い置いたばっかりやのに、舌 の根 も乾 かんうちのこのザマや」
光る糸みたいなもんでアキちゃんの左手と繋 がっている角髪 の男は、めっちゃ偉 そうに空中からアキちゃんを罵 った。
「泣いてへん」
水煙 がツッコミいれてた。
そうやで、泣いてへんで別に。消えそうなだけ。
そこが問題なんやないか。あとちょっとしか青い砂 が残ってない。
止めて良かった。アキちゃんがあのまま描 き続 けていたら、夜明けとともに水煙 は消え、元どおりに再生 された神戸 の街に新しい朝が来る。めでたしめでたし、っていうオチになっとったわ。
それはあかん。ちょい待ちや!
初代様 もそういう事で、お越 しになったんですよね?
「ご先祖 様や」
さらに上の空中から、おとんのびっくりした声が降 ってきた。
この人も秋津 暁彦 さんや。ややこしいなあ。おとんでええか。
おとんは朧 の龍 に握 りしめられたまま、めっちゃスリスリされていた。
マタタビに戯 れる猫 みたいに、でかい黒い龍 が、煙 るような睫毛 の濃 い目 をうっとりと伏 せて、おとんに鼻先を擦 り寄 せてんねん。
何やっとんねん、怜司 兄さん。
見なきゃよかった。アホそのものや。
水煙 がムカついたんも道理 や。あれがアキちゃんやったら、俺かてゲーやわ。
「よもやご先祖 様に相見 えるとはな。まさか、ここはあの世なんか?」
おとんは、俺死んでる疑惑 に顔をしかめていた。
あんたは死んでるけどもや、ここはあの世やなく、この世や。
それに確信 が持てなくなったんか。
「水煙 が逝 ってもうてもええんか。そんな蛇 やら龍 やらにうつつを抜 かして。貴様 ら、不甲斐 ない。それでも俺の末裔 か」
水煙 命 のお前らの血は、どこへ行ったんやって、初代様 が一喝 すると、おとんとアキちゃんは気付いた。水煙 が透 けてることに。
そして、おとんは、めっちゃ慌 てていた。
もちろんアキちゃんもやけど、おとん、よっぽど気抜 けてたんやろうな。
疲 れたよな。年齢的 には爺 やもんな。見た目はピッチピチでも、積年 の疲 れが、ホッとしたとこに押 し寄 せてたよな。
まさかその隙 に、水煙 が消えてまうとは、予想だにしてなかったようや。
おとん、鈍 いな。水煙 様のお心については、めっちゃ鈍 い。
海底でも、まさか水煙 に斬 られるとは、思いもよらんかったんやもんな。
そんなんやから、息子 に出 し抜 かれるんや。
アキちゃんは水煙 命 や。絵描 くことの次に水煙 が大事。
え? 亨 ちゃんは? って?
ありがとう、そう言うてくれて。
俺は絵描 くことよりも何よりも宇宙一大事な亨 ちゃんで別格 や。
そういうことにしとけ。
とにかくアキちゃんは、水煙 が大事。
てめえが絵描 くのに夢中 になっている間に、水煙 が消えかけてたことに、アキちゃんめっちゃショック受けてもうて、ぽとりと絵筆 を取り落としたほどやった。
自分の腹 の上をころころ転がっていく絵筆 を、水煙 は拾 って、残り僅 かな青い砂 を、暁 の陽 にかざした。
「まだあるやないか。アキちゃん。もう一息 、絵を仕上げたらどうや」
神戸 の街はもう、ほとんど復興 済 みやった。
まだ幾 つかは、壊 れたままの建物があったものの、ポートタワーも、南京町 の長安門 も、海洋博物館も、アキちゃんと行った東急ハンズ神戸 店も、北野 の異人館 も、もちろん藤堂 さんの愛するホテル・ヴィラ北野 もや、元どおりになっていた。
それもちょっと所々、アキちゃんの画風 で、素敵 になってる。ええ絵や。
絵になる街なんや神戸 は。夜明けの海に映 えて、美しい。
「嫌 や」
訳 を悟 ったらしいアキちゃんは、水煙 が差し出す絵筆 が怖 いみたいに、ブルブル首を振 って拒 んだ。
それに水煙 はムッと顔をしかめて、上空 にいるおとんに目を向けた。
「ほんならお前が描 いてくれ、暁彦 」
「嫌 やな、俺も。息子 の絵に横から筆入れる趣味 はあれへん」
ぷい、とそっぽ向いて、自分を握 ってる朧 のでかい指に頬杖 ついてるおとんは、アキちゃんに負 けず劣 らず、ワガママそうやった。
「アキ……」
絵筆を持ったまま、角髪 を見やった水煙 は、言いかけたものの、言うのをやめた。
「いや、お前はあかんな。えらいことになる」
なんでや、初代様 、絵がド下手 くそなんか?
それとも描 いたらあかん俺様 帝国 か、ゴジラでも描 いてまうんか。
「なんでや、水煙 」
角髪 が哀切 に聞いた。
なんで俺には筆貸 してくれへんのや。
そういう事ちゃうで。
水煙 、お前はなぜ、死のうとしてるんや。
なぜ今、己 の身を犠牲 にしてまで、神戸 を救い、秋津 の家から去ろうとしてるんやって、初代様 は聞いたんやで。
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