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28-39 トオル
「ただ去りたいだけなら、俺と添 うてくれてもええはずや。なんでや。あれとか、これなら、ええっていうのに、なんで俺が嫌 や?」
あれは、おとんで、これはアキちゃんやで。
そうやな。水煙 。なんで初代様 あかんの。
ほぼ同じ仕様 の商品ですよ? ただちょっとバージョンが違 うだけで、髪型 は確かに違 うけど、髪 なんか切れます。
お前の角髪 が嫌 なんやって言えば、初代様 たぶん一瞬 で髪 切れます。
そんな事くらいでええならな、何でもするていう目で、こいつは水煙 を見てる。
けど、なんで初代様 ではあかんのかなんてさ、言うまでもない事や。
水煙 はアキちゃんが好きなんや。そうやんな?
そらまあ、おとんとか、そのおとんとか、そのおとんとかおとんとか、おとんとかおとんを愛してた頃 もあったかもしれへんけどもや、今はこのアキちゃんや。
俺のツレの、本間 のアキちゃんに惚 れてんのや。
お前が嫌 なんやないねん。
アキちゃんと俺のために、水煙 は身を引こうとしてんのや。
海底で、おとんを斬 ろうとしたのかて、俺を助けるためやない。それもあるけど、俺が死んだらアキちゃん悲しむって、水煙 は痛 いぐらい知ってんのや。
そやから、アキちゃんの命である俺を、何を置いても守ろうとしてくれたんや。
俺が死んだら、アキちゃんかて死ぬんやしな?
どうや。水地 亨 、自分で言いました。
俺の辞書 に、謙遜 の文字はないんや。
「俺にも神になるべき時が来たんや。もはや、太刀 や剣 を振り回 すような時代ではない。ああいうのが活躍 する時代や」
ああいうのは、朧 さんです。
おとんゴロニャーンてなってて、話に参加してませんが、情報通信を支配している神さんです。
古代には、あまりいなかった種類の物 の怪 ですよね?
いてもまあ、妖怪 レベルで、怜司 兄さんも現代ほどの強大なパワーを誇 ってはいませんでした。はい。
「なんやあれは」
クソが、みたいな口ぶりで、初代様 は訳 の分からん霞 か雲みたいな黒い龍 を罵 っていた。
それに水煙 は、堪 えきれへんかったんか、ふふっと気味 良さそうに笑い声を漏 らした。
「あれはラジオや。お前は知らんやろけど、今はな、ああいうのが、ええんやって」
「俺には永遠にお前が一番や。幾星霜 が過 ぎ去り、どんな世になろうと、お前を誰 よりも愛している」
告白 してる。
初代様 の水煙 を見る目は誰 よりも熱く、真剣 やった。
ちょ。俺ら、お邪魔 やない?
去る? 去ろか、アキちゃん。
泳ごうか、神戸港まで。
がっつり十キロぐらいあるのかもしれへんのやけど。いけるよな?
水煙 は、心苦しいという伏 し目 になって、初代の男の視線 から逃 れようとしていた。
応 える熱い目で、見つめ返しはせえへんかった。
「それでも、俺を見送ってくれ。俺はもう、逝 きたいんや。この世に疲 れて、ヘトヘトや。この美しい朝に、秋津 の末代 の子が独り立ちしたのを見て、清々 しい気持ちで逝 きたいんや」
「末代 やあらへんで」
おとんが空中から言うた。
え? なんで? 末代 ちゃうの?
「お登与 の胎 にな、もう一人仕込 んでもうた」
けろっと言うた、秋津 暁彦 の話に、朧 がくわっと目を開いた。
水煙 も、唖然 とした。
アキちゃんも、俺も、愕然 とした。顎 ガックーンや。
はあ? ええ? はああああああ?
何それ⁉︎ え⁉︎ 何やねん、それえええ⁉︎︎
俺、めちゃくちゃびっくりしてもうたわあ。
「たぶん男子やて、お登与 言うてたで。そやからな、アキちゃんが末代 とちがうんや。その子がいつ生まれるんか知らんけど、お前また、名付け親やるんやろう? 名前考えといてくれ。暁彦 やないやつをな」
そう言うて、おとんは気味 よさそうに、空中であははははと軽快 に笑った。
朧 がドボンと、秋津 暁彦 を海に落とすまで、そこから二秒も待たへんかった。
おとん、めっちゃびっくりしていた。
朧 が自分を落っことすとは、思いがけへんかったらしいわ。
思いがけへん事ばかりやなあ、この世は。ほんまに一寸 先は闇 や。
なんやお前、妬 いてんのかと、おとんは仰天 して、波間 から朧 を見上げた。
朧 は空中でぷんすか怒 って、黒い鱗 のある体をくねらせていた。
なんか湯気 出てる。靄 か。怒 ってんねんな、兄さん……。
昔はな、その人、焼 き餅 焼 かへんかったんやってな。そやけど焼 くようになったんや。長い時が流れた。
でも、そんなんお前にだけやで。他には全然やったんやからな。
おとんは照 れ臭 そうに、よいしょ、って、水煙 の胴 におすがりして、絵筆 を持った手を宙 に浮 かせてあんぐりしてる青い天人 の顔を、ご機嫌 をうかがう子供 の顔で見上げてきた。
「どうや、あともうちょっと。こっちに居 といたら? あと百年ぐらい、まあ、ええやんか」
そうやろ、水煙 。て、甘 える声で言うおとんの顔を、水煙 はまだ、驚 いたふうに見ていた。
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