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29-03 アキヒコ

 (おぼろ)は、何と言うか……元に(もど)っていた。  あいつ、やっぱおとんにベタ()れやったんやな。  あの海底での一件(いっけん)、おとんとは、ろくに再会(さいかい)トークも何もないまま、いきなり命の危機(きき)になってもうて、あいつはおとんを(かば)って死にかけた。  まさか水煙(すいえん)がおとんを()ろうとするとは、俺も魂消(たまげ)たけど、あの時、俺にはどないすることもできひんかった。  (おぼろ)がおとんを(かば)わへんかったら、水煙(すいえん)()はおとんを真っ二つに()って()ててたんかもしれへん。  何故(なぜ)そないなことになるんか、俺には外の声はいまいち聞こえてなくて、後で(とおる)に聞くか、水煙(すいえん)に聞くか、おとんに聞くか、そういう方法で知るしかない。  いろんな話を総合(そうごう)すると、おとんはあの時、(おに)になってたというんが結論(けつろん)らしいわ。  そうやっけ、って、おとん本人はとぼけているけど、それがほんまやったら、(あぶ)ないとこやったな。  水煙(すいえん)はたとえ身内やろうと、(おに)やったら()るって、そういう不器用(ぶきよう)なところのある(やつ)やから。  (おぼろ)のお(かげ)で、おとんは命拾(いのちびろ)いして、二人(ふたり)は海底でかたく()()い、もしかしてそのまま数十年来(すうじゅうねんらい)のわだかまりを()めて、一気に(より)りでも(もど)すつもりなんかと俺は思っていた。  でも、(おぼろ)蜜柑(みかん)太郎(たろう)のせいで、ハッと(われ)に返り、おとんの、秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)運命(うんめい)の相手なるもんは、自分ではなく、秋津(あきつ)登与(とよ)、つまり俺のおかんやないかと思いだしたらしい。  そやからな、身を引くというか、(あきら)めるんやって。  ……へー。  そうなんや。  また蜜柑(みかん)太郎(たろう)か。  そこで蜜柑(みかん)太郎(たろう)さえ()いひんかったらな!  あのまま上手(うま)いこといってたんかもしれへんわ。  あの時、神戸(こうべ)の海上にふわふわ()いてた(おぼろ)(りゅう)は、おとんを()(もの)のようにせしめて、満足そうやったし、(なご)んで美しい姿(すがた)をしていた。  これでもう、安心していい、こいつは大丈夫(だいじょうぶ)やと思えるような、お姿(すがた)やった。  人間て……いや、あいつは人でなしの妖怪(ようかい)やけど、変わる時は変わるもんなんやなあ。  いつもトゲトゲしてて、可愛(かわい)げがなくて、すぐ怒鳴(どな)るし、(だれ)とでも()るし、(とら)とチューするし、雪男(ゆきおとこ)ともするし、俺さえ口説(くど)くし、そやのに本気やないし、そういう(おに)みたいな(やつ)やったのに、おとんと()()うてる時のあいつの顔は、菩薩像(ぼさつぞう)みたいやった。  もう何もいらんという、()ち足りた顔をしてた。  そやのになあ。蜜柑(みかん)太郎(たろう)や。  その話を聞いたとたん、あいつは、自分は何をやっとったんやと、われに返ったらしい。  その後はな、いつも通りや。  あーしんど、終わった終わった。えっらい(つか)れる仕事やったなあ。帰って()るわ。これで霊振会(れいしんかい)はなんぼほど(はろ)てくれるんやろうなあ。  ホテルの(かぎ)あけなあかんし行くわ!  ほなな先生。しばらく電話してくんなよと、怒鳴(どな)るように言うて、あいつは北野(きたの)のほうにすっ飛んでいった。  それからしばらく、言われたとおり、俺は電話は(ひか)えた。(こわ)かったんやもん。  ホテルにいた中西(なかにし)さん、(とおる)に言わせりゃ藤堂(とうどう)さんやけど、あの人も無事(ぶじ)やった。  そやけど、神楽(かぐら)さんは無事(ぶじ)やなかった。  失血死(しっけつし)しかけてほぼ死んでたところを、ギリギリ間に()うて助けた。  どうやって助けたかって、普通(ふつう)献血(けんけつ)や。  まあ、俺はたぶん、なんぼでも献血(けんけつ)できたんやろうけど、中西(なかにし)さんが、自分とこの(よめ)の命を救うのに、他人様(ひとさま)からだけ血をもらうのは悪いからといって、(なら)んで献血(けんけつ)した。  血液型(けつえきがた)が合うんや。  アキちゃんO型やしな、中西(なかにし)さんもO型で、神楽(かぐら)さんはA型や。  O型の人は(だれ)にでも血あげられるしな、便利やねん。  (みな)も血いるときは()んでくれ。アキちゃん行くわ。  でも俺らの血をもらうと、あんまりええこと無いと思うけどな。  ほら、あれやん。(とおる)のせいで、吸血鬼(きゅうけつき)になってまうんやで?  そんなんあったなあ、(わす)れてた?  まあまあ、まあ、お(たが)外道(げどう)やったらな、それかて別に大した問題やない。  どうせ(みな)、血は()うんや。  人間の血液(けつえき)妖怪(ようかい)どもにとっては、ゴハンでオヤツや。  ちょっと血()いたいなあ言うて、ちょっと()うねん。そういうもんみたいやわ。  でもな、そういう血を輸血(ゆけつ)してもうたせいで、神楽(かぐら)さん、もうあかんねんて。  もう、な、あかんのやって。もうあかんて中西(なかにし)さん言うてた。  もう……な、完全に悪魔(サタン)なんやて。  悪魔(サタン)てあれやで。(とおる)みたいということやで。  (とおる)みたいにな。その……。  毎日やってるんやって。  あ、言うてもうたな。思わず早口で言うたな。  でも、そうなんやって。中西(なかにし)さんと神楽(かぐら)さんはラブラブや。神戸(こうべ)で。  ヴィラ北野(きたの)の仕事に(せい)を出してて、神楽(かぐら)さんは日本の医師(いし)免許(めんきょ)もとろうかな、言うて、近所の神戸大学(こうべだいがく)(せき)を置き、何かの研究をしながら、ホテルの仕事も手伝(てつだ)ってやってるんやって。  もう、ヴァチカンには(もど)らへん。  というか、(もど)れへんし、(もど)る気もない。  ずっと、北野(きたの)のホテル経営者(けいえいしゃ)の悪いおっちゃんにお仕置(しお)きしながら、長い一生を()ごすことにしたらしいわ。  よかったな。

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