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29-04 アキヒコ

 ほんで、ホテルに避難(ひなん)していた人らは、何事(なにごと)もなかったような神戸(こうべ)の街に(もど)され、何やったんやアレは、と首を(かし)げつつ帰宅(きたく)()についた。霊振会(れいしんかい)皆様(みなさま)もや。  霊振会(れいしんかい)巫覡(ふげき)(しき)の中にも、実は大勢(おおぜい)犠牲者(ぎせいしゃ)が出た。それはもう、どうしようもない、(とうと)犠牲(ぎせい)やった。  そのうちの(いく)らか、少なくない数を、神楽(かぐら)さんが身を犠牲(ぎせい)にして救った。それによって表彰(ひょうしょう)され、霊振会(れいしんかい)二階級特進(にかいきゅうとくしん)ということになった。  階級(かいきゅう)あるんや。俺は何もかもが終わってもうてから、それを知った。  そんなもん、どないして決めてんの?  蔦子(つたこ)さんや、俺のおかんは、名誉(めいよ)会員ということで、特別アイドル(わく)みたいな位置づけになってるらしい。  なんでや。何か知らんけど、グッズとかあるらしい。  俺のおかんの写真が入ってるキーホルダーを俺は見たが、(こわ)すぎて(くわ)しく追求(ついきゅう)はしいひんかった。  あの会の人らにとって、秋津(あきつ)家の面々(めんめん)というのは、何か特別な思いのあるもんらしい。  俺もその一人(ひとり)のはずやけど、あの(ぼん)はぼんくらやということで、神戸(こうべ)一件(いっけん)の前には、完全にハブられていた。無視(むし)や。  そういう(やつ)秋津(あきつ)家にはいいひん。名字(みょうじ)(ちが)うしな。俺は秋津(あきつ)の子ぉやのうて、そこの使用人の本間(ほんま)さんの子やし。本間(ほんま)暁彦(あきひこ)や。知らんて、そういう位置づけやったみたいやけど、そこにあの神戸(こうべ)一件(いっけん)や。  俺は、(なまず)(ねむ)らせ、(りゅう)調伏(ちょうぶく)した、ものすごい力を持った(げき)で、さすがは秋津(あきつ)(ぼん)や。  今までは、(のう)ある(たか)(つめ)(かく)すというやつか。  雌伏(しふく)してはったんですなあ、みたいな、太ったおっちゃんや、化粧(けしょう)()いおばちゃんに、争ってビール()いでもらえるようなご身分にクラスチェンジした。  世の中というのは、どこまでもええかげんなもんや。  俺があの出来事(できごと)の前と後で、何か変わったかといえば、そら、巫覡(ふげき)の目で見れば、変わったんかもしれへん。そやけど、人間的には特に何も成長はしてない。  鬼道(きどう)のことも、何一つ知らん、修行中(しゅぎょうちゅう)の身ぃや。  そんなら修行(しゅぎょう)すればええんや、お前には将来性(しょうらいせい)がある、と、世界の大崎(おおさき)(しげる)大先生が言い、俺は霊振会(れいしんかい)の会長に祭り上げられてもうたんや。  会長やで? 俺、まだ大学生なんやで。そやのに会長やで。  そういうのな、そこそこ年いったおっさんが()くもんやん。  元は、大崎(おおさき)先生がやっとったんや。  それは、俺のおとんが死んでもうてな、秋津(あきつ)家には家長(かちょう)がおらん。  他所(よそ)の家の人やけど、経歴(けいれき)として、大崎(おおさき)先生はうちの身内みたいなもんや。  血筋(ちすじ)の子である俺を別にすれば、おとんに一番近い位置におるのは、大崎(おおさき)(しげる)やということで、霊振会(れいしんかい)皆々様(みなみなさま)もご納得(なっとく)のうえ、満場一致(まんじょういっち)をもって、大崎(おおさき)先生が会長に就任(しゅうにん)してはったんや。  そやのにな、アキちゃん帰ってきたし、もう会長やめるわって、大崎(おおさき)先生が言うねん。  もう、引退(いんたい)するわ。会社のほうも隠居(いんきょ)や。俺は死んだて、新聞に訃報(ふほう)を出せ。もう一切(いっさい)世俗(せぞく)の仕事はしいひん。霊振会(れいしんかい)のほうは、必要あらば働くが、あくまで会長は、本間(ほんま)暁彦(あきひこ)、お前が(つと)めろということで、完全撤退(かんぜんてったい)や。  そして、大崎(おおさき)先生は、うちの嵐山(あらしやま)(いえ)におる……。 「アキちゃん! アキちゃん! 見てくれ見てくれ、大物(おおもの)()れたで、大きい(こい)や」  ドドドドドという(はげ)しい足袋裸足(たびはだし)の足音の後、蜜柑(みかん)部屋(へや)(ふすま)をがらっと開けて、大崎(おおさき)(しげる)(あらわ)れた。  先生は、おとんと同じように、質素(しっそ)(つむぎ)の着物着て、首にはきつね色のマフラーを()き、鳥打帽(とりうちぼう)みたいな変な帽子(ぼうし)をかぶってた。  真っ白い(はだ)した(ほお)が、寒かったんか、走ってきたせいか、上気(じょうき)してピンク色になっていて、太めの(まゆ)の下にある大きい目が、少年のようにキラキラしていた。  大崎(おおさき)先生……。可愛(かわい)いな……。  俺はそれ以上深くは何も考えんように細心(さいしん)の注意を(はら)いながら、そう思い、これは(じじい)、これは(じじい)と、いつも大崎(おおさき)先生に会う時の呪文(じゅもん)を心のなかで(とな)えた。 「おう、(しげる)か。どこ行ってたんや」  おとんはにこにこと大崎(おおさき)先生を(むか)えた。  こっちは呪文(じゅもん)(とな)えてないみたいやった。 「ちょっと魚釣(さかなつ)りにな!」  大崎(おおさき)先生が(うれ)しそうに口を開くと、(きつね)(きば)みたいな八重歯(やえば)が見える。 「ええなあ、楽隠居(らくいんきょ)の身は。(うらや)ましいわ、(しげる)」  (ねこ)なで(ごえ)でおとんが言うと、大崎(おおさき)先生はえへへと(わろ)うた。 「えっ、そうか? アキちゃんも()りいくか? 秋尾(あきお)にええ竿(さお)()うてこさせるわ。店で一番ええやつをな! 蜻蛉(とんぼ)(もん)をいれさせよか? それがええよな!」  アキちゃん俺、金持ってるでって、顔にでかく(すみ)で書いてあるみたいな笑顔(えがお)で、大崎(おおさき)先生はなぜか(わけ)もなくおとんにどーんと体当たりをした。  (たん)にくっつきたいだけみたいやった。  何なんやこの人。何でうちの実家(じっか)におるんや。  秋尾(あきお)さんもおるんやけどな。  居候(いそうろう)なのや。  アキちゃん帰ってきたし、一緒(いっしょ)に住むわって、(わけ)の分からん理由でな、うちに()るんや。

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