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29-05 アキヒコ

 親戚(しんせき)でもなきゃ、家族でもないで。他家の爺(じい)さんや。  ちょっと、仙人(せんにん)なってもうてて、見た目すごく若(わか)いけど、でも、あの、俺にさんざんイケズしてきた、シワシワの爺(じじい)や。  そやのになあ。見た目って、大きいな。  特に俺みたいに人を顔面(がんめん)で判断(はんだん)してしまうような、邪(よこしま)なボンボンにとって、見た目が可愛(かわい)いか、狐(きつね)みたいな吊(つ)り目(め)がキラキラの美少年かどうか、ちょっと弟みたいで愛(あい)くるしいかどうかには、判断(はんだん)を狂(くる)わす危険(きけん)な何かがあるわ。  おとん……その人ずうっとうちに居(お)るんか? 居(お)るんやろうなあ。死なんのやしなあ。永遠(えいえん)やなあ。  俺、ますます実家に帰りにくうなったわ。 「登与(とよ)姫(ひめ)に精(せい)付けてもらおうと思てな、鯉(こい)釣(つ)ってきたわ」 「どうせ蜜柑(みかん)しか食わんのに、お前は諦(あきら)めんマメな男やなあ」  ちょっと呆(あき)れ顔(がお)で、おとんは自分よりずっと背(せ)の低い大崎(おおさき)茂(しげる)を見下ろしていた。  そうこうするうち、ふたつ目の足音(あしおと)が、とすとすと大急ぎで廊下(ろうか)をやってきて、まだ大崎(おおさき)先生が開けたまんまやった襖(ふすま)の向こうに、大きな盥(たらい)を抱(かか)えた、秋尾(あきお)さんが現(あらわ)れた。  いつも通りの茶色のスーツに、昭和初期みたいな丸メガネ。  尻尾(しっぽ)はないけど、伏見稲荷(ふしみいなり)のお遣(つか)いの、狐(きつね)さんや。 「先生、先生、そんな走っていかれたら、追いつけませんやん。鯉(こい)が死んでまいます」  ほとほと困(こま)った顔で、秋尾(あきお)さんはいきなりボヤいた。  いかにも子守(こもり)の狐(きつね)って感じやった。 「それを生きたまんま運ぶんが、お前の仕事やないか。文句(もんく)言うんやない」  口を尖(とが)らせて、大崎(おおさき)先生は秋尾(あきお)さんをピシャっと叱(しか)った。  爺(じじい)やったときは、いけ好かんかった、その上からもの言う態度(たいど)が、美少年やとひたすら可愛(かわい)い。  どないせえ言うんや。俺はこの実家で、どんなふうに身を置いたらええんや。 「登与(とよ)ちゃん、鯉(こい)が好きやんか。さっそく料理させような」  どうや、ええ考えやろう、って、大崎(おおさき)先生はおとんに媚(こ)び媚(こ)びやねん。  何なん、大崎(おおさき)先生。  何か俺、胸(むね)んとこが、すごくザワザワするねんけど。これ嫉妬(しっと)?  あんたちょっとそれ、慣(な)れ慣(な)れしいんとちがいます?  それ、うちのおとんで、あんたは他人やで?  いかん、いかん。無心(むしん)。無心(むしん)にならねば。  何かの悪い血が、急に飛び出さんとも限(かぎ)らへん。  アキちゃんもう正常(せいじょう)な神経(しんけい)と違(ちが)うんやから。  何が普通(ふつう)で、何がそうでないか、段々(だんだん)あやふやになってきてもうてる。  早(はよ)う、出町柳(でまちやなぎ)に逃(に)げて帰ろう。  亨(とおる)と水煙(すいえん)は、一体何してんのやろう。  それにおかんは、大丈夫(だいじょうぶ)なんやろうか。  さっきの産声(うぶごえ)、ほんまに赤(あか)ん坊(ぼう)が生まれたんやろうか。  舞(まい)ちゃんの声真似(まね)やったりしいひんか?  無いか。それは。そんなことする理由がないわ。  赤(あか)ん坊(ぼう)の産声(うぶごえ)が聞こえた時は、十中八九(じゅっちゅうはっく)、赤(あか)ん坊(ぼう)が生まれたということなんや。  そして、その俺の読みには、残念ながら狂(くる)いはなかった。  四方(しほう)を襖(ふすま)に囲(かこ)まれている部屋(へや)の、別のほうの襖(ふすま)が、がらっと開いた。  自動ドアみたいに、誰(だれ)も襖(ふすま)を引いてへんのに、自動的に開いたんや。  そして、その向こうに、綺羅(きら)びやかに着飾(きかざ)った、いつものうちのおかんが立っていた。 「あら、アキちゃん。帰ってたんどすか?」  三ヶ月、蜜柑(みかん)しか食うてへんようには見えへん、肌(はだ)の色ツヤで、おかん、秋津(あきつ)登与(とよ)は、にこやかに歩いてきた。  いつもと同じく、綺麗(きれい)な京友禅(きょうゆうぜん)の着物着て、髪(かみ)もきっちり結(ゆ)うてある。薄化粧(うすげしょう)もして、おかんはいつも美人や。  でも、俺、おかんと会うの、三ヶ月ぶりなんや。最後に会(お)うたのは、あの、信太(しんた)を生贄(いけにえ)に捧(ささ)げた六甲山(ろっこうさん)の祭壇(さいだん)の上でやった。  俺はちょっと身構(みがま)えて、おかんの腹(はら)のあたりをサッと盗(ぬす)み見(み)た。  そこには赤(あか)ん坊(ぼう)が入っている気配(けはい)はもう無(の)うて、いつもと何ら変わらん様子(ようす)や。  たった今、出産しましたていう姿(なり)でもない。  子供産んだばっかりの女(ひと)を見たことある訳(わけ)やないんやけど、ほら、映画(えいが)とか、テレビドラマとかでは、ぐったり横たわってたりしてはるやん。  そんな急に訪問着(ほうもんぎ)着てウロウロしたりしいひんで。 「大事(だいじ)ないか、お登与(とよ)。今、見舞(みま)いにいこかて言うてたとこや」 「大事(だじ)おへん。二度目どすさかい。アキちゃんのときは、初産(ういざん)やったさかい、少々苦労しましたけど、二人目(ふたりめ)はさらっと済(す)みましたえ」  さらっとか。産んだんや。  俺はたぶん顔面(がんめん)蒼白(そうはく)なってたな。  若干(じゃっかん)、気絶(きぜつ)しそうな気持ちでもあった。  おかん、ほんまに産んだんや。  俺のことも産んだし、弟も……、蜜柑(みかん)太郎(たろう)も産んだんや。  ほんまに妊娠(にんしん)してたんや。おとんの子やんな? 俺もそうなんやもんな。  口に出せへん何やかんやが、俺の脳裏(のうり)を駆(か)け巡(めぐ)り、ほな帰るわ、さいならって叫(さけ)んで脱兎(だっと)しよかと思った。  でもまだ一緒(いっしょ)に来た亨(とおる)と水煙(すいえん)が、探(さが)しもんがあるて、蔵(くら)に行ったきり戻(もど)ってきてへん。  あいつら置いて帰ったら、俺、あかんかな。  蜜柑(みかん)太郎(たろう)に会いたくないんや! 「奥様(おくさま)あ、坊(ぼっ)ちゃま産湯(うぶゆ)を使われましたよ」

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