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29-08 アキヒコ
「それでも、皆 、大人 になれば、各々 の連 れ合 いを見つけるもんどす。うちには舞 がいてる。蔦子 姉ちゃんは、海道 さんと結婚 しはったし、アキちゃんかて、白蛇 さんが好きなんどすやろ?」
そうです……。
俺にはもう、ほんまの事しか言えへん。おかんに嘘 ついても無駄 や……。
亨 が俺の、本命 なんや。
おかんへの熱病 がさめて、出会った、ほんまもんの相手や。
「お兄ちゃんは?」
チラッと、厳 しい目で見て、おかんは聞いた。
「あ?」
「お兄ちゃんの相手は?」
「え?」
電話が遠いみたいに、おとんは惚 けた。
惚 けてんのやと思う。
それか毎回、気絶 しとるかやな。
「お兄ちゃんの心にいてる相手は誰 なんどす? 水煙 どすか?」
何で俺ら、立ち話でこんな気まずい恋 バナさせられてるのんや?
しかも、おかんに。
「いや……そうかな……」
おとん、めっちゃ小声 や。ほぼ消え入る感じや。
「水煙 は、うちも好きどす。秋津 の者は皆 、水煙 には生まれつき心を奪 われてるものなんどす。そやから、水煙 は数のうちには入りまへん」
水煙 はデフォルトや。絶対 外せない何かなんや、うちにとっては。
おかんもそうなん? どないなってんのや。
「水煙 の他 に、誰 か居 りますやろ、お兄ちゃん。水煙 に背 いてでも、離 れがたい、何が何でも死なせとうないと思た者 が、いてたはずどす」
おかんはガンガン、おとんを追いつめていた。
おかんはなんで、こんな話をすんのやろとは、俺にはもう思えへんかった。
俺がずうっと気になっていたこと。それでも三ヶ月もの間 、放 っておいたことを、おかんは片付 けることにしたのやな。
おかんが臥 せってる間 、俺は頻繁 に実家 に通い、そこでのんびりしてるおとんとよく会 うた。
術法 の使い方を教えてもろうたり、そういう実用的な話もあったんやけど、それより俺には、おとんが話す昔の京都の話や、天井裏 から見てた、子供 の頃 の俺のこと、他愛 もない、何でもないような雑談 のほうが、ほんま言うたら楽しみやった。
おかん心配やって、それを言 い訳 にして、俺は嵐山 に、おとんに会いにいっていた。
家に帰りゃあおとんが居 てる。そういう、当たり前のことがな、俺には嬉 しかったんやろう。
餓鬼 のころ、学校でいじめられて、泣いて帰っても誰 もいてへん。蔵 で泣いてた頃 の穴埋 めや。
おとんがおって、俺に優 しくしてくれたらな、っていう、ご都合 の良い妄想 の続きを、俺はのんびり味合 うてたんかもしれへん。
そんな、ええ歳 こいたファーザーコンプレックスも、三ヶ月もやれば、もう、ええわ。もう十分に俺は癒 された。
そんなこんなするうち、俺は気になってきてたんや。
おとんが、寂 しそうなことに。家で何もしてへんことに。
いつもたった一人で、座敷 に座 ってて、そりゃあ時々、大崎 先生と笑 うてたり、秋尾 さんが持ってきた珍 しい話や、変な妖怪 おるでっていう話に、打 ち興 じはするものの、おとんは原則 、何もしいひん。
近所のコンビニさえ行かへん。家に憑 いてる地縛霊 みたいになってもうてる。
何より俺が気になってしょうがないのは、おとんが一枚 も絵を描 かへんことや。
昔のアキちゃんは、暇 さえあれば絵を描 いていた。襖 やら、壁 らやにも描 いてもうて、親にドヤされていた。絵筆 を持ってないと、息もできひんていう男やったと、大崎 先生が言うてた。
おとんは今、息をしてへん。
魂 が、せっかく死なんと帰ってきて、これからもう、好きなように生きてええはずやのに、何もしてへん。
自由奔放 に好き勝手してるように思ってたおとん大明神 やったけど、世界一周旅行に出たのも、結局 は俺のため、家のためやった。
それ以外のことを、この人は何にもしてへん。
お家 の守り神として戻 ってきたせいで、おとんには、そういう自由がないのやろうか。
温かい、弟の丸い背 を撫 でながら、俺は、ムッとした顔で黙 ってもうてたおとんの顔を、心配して見てた。
その顔は、ほぼ俺や。
ほんまやったら生きていたはずの、二十一歳 の坊々 の顔で、夢 や希望や愛や、描 きたい絵がいくらでもあったはずの、俺や俺の大学の仲間と全然変わらん顔やった。
それでもおとんは、死んでもうた。何もかもを諦 めて、国のため、お家 のために死んだんや。
そしてそれからずっと、おとんの心の中の時 は止まったままになっている。
時計 のネジを巻 いて、また時を進めるべき時が来た。
おかんはそう言いたいのやろう。
ほんまやったらそのネジを巻 く仕事は、俺の仕事やったんかなあ。
今は俺が、秋津 の家長 やっていうんやったら。
「お前は急に何を言うんや。産んだばかりで、心が乱 れたんか、お登与 」
押 されてばかりでなるものかという徹底 抗戦 の構 えで、おとんがまた口を開いた。
第二ラウンド開始やな。
にっこりとして答えるおかんは、ものすごグーパンチで殴 ってきそうな目をしてた。
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