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29-10 アキヒコ

 親戚(しんせき)の子を(あん)ずるような顔で、おかんが俺に言うてきて、俺は(こま)った。  いや、いや、ええのか、おかん。おとんはおかんの何やねん。  おとんが(おぼろ)にとられてもうて、帰ってきいひんようになったら、どうするんや。  結局(けっきょく)俺は、実家の家庭崩壊(かていほうかい)が心配なんやった。  小さい男や俺は。()がの幸せが大事なんや。  (おぼろ)(あわ)れさより、おかんの幸せを重視(じゅうし)した。  おかんが泣くのを見たくないんや!  泣く! 泣かへん⁉︎  なんで泣かへんの⁉︎ 「連絡(れんらく)? とれる……と思うけど、俺が? おとんと、(おぼろ)の? (なか)を取り持つて?」  めちゃめちゃ()()みでアキちゃん言うてた。  おかんの前やというのに、あまりにも無様(ぶざま)さが際立(きわだ)っている。 「お父さんの幸せを考えてさしあげなさい。あんたには(しき)が他にもいてますやろ。(とおる)ちゃんかて()てんのやし、水煙(すいえん)かて今やあんたのものや。その上、(おぼろ)()しいんどすか? いやらしい……」  いやらしい言われた! おかんが俺を、このエロ(おとこ)みたいな横目(よこめ)で見てる!!  あかんもう死ぬ! 死ぬしかない!! 今日が俺の命日(めいにち)やったんや!  そういうパニックに(おそ)われたが、俺は弟を()っこして()えた。  あったかい幼児(ようじ)(ぬく)もり……。(いや)される。  俺を分かってくれるのはお前だけやみたいな、変な気分になる。 「(おぼろ)と……そういう(なか)やない。あいつとは血をやる約束で、(しき)にしたんや。それも神戸で一回きりで、その後は顔も見てへん。ほんまやでおかん」  なんで俺は言い訳(いいわけ)してんのや。そういう話やないやないか。  おとんや。おとんの話や。 「ほんなら(おぼろ)のことで、お父さんと(あらそ)う気はないのやな? ほんならええやないの。ちゃんとそう、はっきりお言いやす。お父さんが心配してはるんは、(よう)するにそこなんえ。あんたと(しき)を取り()うて、(いさか)いとうないんや。昔それでお父様と、いろいろおありやったんやから」  おとんの(しき)はもともと全部、先先代(せんせんだい)のものやった。  世襲(せしゅう)やねん。  (しき)は家に()くもんやから、当主(とうしゅ)代替(だいが)わりしても、ずっと家に()てる。  そやから、家督(かとく)()ぐ時、それも引き()ぐんや。  つまりや。親から家督(かとく)()ぐ時、その愛人(あいじん)も全部、引き()ぐということや。  (しき)代替(だいが)わりを予感すると、親に()くんか、それとも(わか)い方にするか、値踏(ねぶ)みを始める。  (わか)いほうがイケてるわと思えた時から、わっと大挙(たいきょ)して、心変わりをするんや。  今まで愛してた主人(あるじ)()てて、新しいほうへ()く。  そこにどんな泥沼(どろぬま)愛憎劇(あいぞうげき)があったか、今の俺には想像するのは(むずか)しくない。  おとんが家を()ぐ、その当時の秋津(あきつ)の家には、両手の指でも数えきれんぐらいの強い(しき)が、ぎょうさんおったようや。  (とおる)水煙(すいえん)が十も二十も()(わけ)や。  それと()んず(ほぐ)れつ、愛し合い、ローテーション決めて付き合うわけや。  死ぬな。死ぬ。  アキちゃんやったら死んでる。  その顔のひとつひとつが、(ふる)い付くほど美しいて、(いと)おしいものなんやったら、まともな人間の心やと破裂(はれつ)する。  しかもそれを(じつ)の親から(うば)うというんやったらな。  ()てられるほうにも、人間の心はあるわけやから、愛し愛される(なか)が深けりゃ深いほど、()てる神たちの心変わりは、手痛(ていた)(にく)しみを生むことになるやろう。  因果応報(いんがおうほう)やな、っていう、おとんの(にが)みばしった声を、俺は思い出した。  一生(わす)れることはないやろう、神戸の海の底で、(ほね)になったおとんから聞かされた言葉は、いつもずっと俺の心の奥底(おくそこ)に静かに横たわっている。  親殺(おやごろ)しをした(むく)いを受けてると、おとんは思うてるんや。  きっと後悔(こうかい)してるんやろう。  やむを()ない、お(いえ)のためと、代替(だいが)わりするために実の親を()った。  自害(じがい)するから介錯(かいしゃく)せえという事やったけど、(とど)()すのはおとんやということや。  (はら)切っただけやと、人は簡単(かんたん)には死なへん。頚椎(けいつい)致命傷(ちめいしょう)(あた)えることで、切腹(せっぷく)が終わるわけでやな、実は自殺でなく他殺なんや、あれは。  おとんがおとんを殺したわけや。  さっき……。おとんはそのおとんを好きやったと言うてた。  俺がおかんを愛してるように、おとんは先先代(せんせんだい)を愛してたわけや。  おかんがちょっと(きず)つくのにも俺は()えられへん。そやのに、その細首(ほそくび)を、刀で叩っ()ることを想像したら、それはもう全身が粟立(あわだ)つような恐怖(きょうふ)や。  それに()え、おとんは()った。今の俺よりもさらに(わか)い時のことなんやろう。  そんなんしたら、俺やったら廃人(はいじん)や。  (いと)しいおかんを手にかけて、生きてなんかいかれへん。  そうやけど、おとんは死ぬわけにもいかへんかったやろう。  お(いえ)()いで、繁栄(はんえい)させていかなあかんかったんやしな。  そして(いくさ)で死んだんや。  無念(むねん)の死やった。

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