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29-13 アキヒコ
俺の弟の名前に文句 言わんといてくれ、亨 。
「それやったらアキちゃんかて女みたいやで」
「そういえばそやな」
真顔 でつっこむ水煙 に、亨 はからからと笑った。
水地 亨 は全然 変わらへん。
神戸 の朝からこっちも、それより前と同じ、俺の心を甘 く痺 れさせる神さんで、ほどほど普通 。
神殿 建 てて祀 り、毎日五体投地 して祈 るほどでない、抱 いて愛せるぐらいでいてくれる、有 り難 いうちの大明神 や。
神戸 の海で見た、あいつの姿 を、俺は忘 れることにした。
白く輝 く水底 の王で、なんか信者 みたいな骨 が、海の底からいっぱい出てきた。
おとんが世界中巡 って拾 ってきよったんや。そんなもん集めにいってたとはな。恐 ろしい親や。
俺は亨 が過去に何者 やったかなんて、全然 知らんでいい。
知ってもうたらもう、いつも隣 にいて、カレー食うとく訳 にはいかんようになる。
手繋 いで四条河原町 を連 れ回されへん。普通 でええんや。ただの蛇 で、ただのエロい妖怪 や、こいつは。
そして愛 しい俺のツレ。
「何やっとったんや、蔵 で」
水煙 と亨 が、二人でシケこんでごそごそしてると、何か恐 ろしいことになりそうで、俺は胸騒 ぎがする。
ろくなことないんや、こいつらの仲 がええと。
仲悪 いよりは、ずっとええんやけどな。
「絵を探 してたんや。先代 の」
水煙 が、膝 に持ってた軸 のひとつを、車椅子 から俺に差し出した。
おとんの絵。
緑青色 の絹 で巻 かれた軸 を受け取り、俺はそれを開いたもんかどうか。
弟も抱 っこしてるし、無理やなって、言い訳 してもうて、見る勇気が出えへん。
もし、下手 やったら、どうする?
何やおとん、大したことないなって、なってもうたら、俺はつらい。
それとは逆に、これは天才やみたいなんが出てきたら、どうする?
もしもそうやったとしても、おとんはもう絵を描 かへん。筆 が折 れてる。
そんな、もう二度と描 かへん天才の絵を見て、苦しむのは辛 い。
目の前におって、描 けば描 けるはずの男が、もう描 かへんやなんて。
「ちょっと見てみたらどないや。和子 は俺が抱 いといてやろう」
和子 って赤ん坊のことやで。水煙 、何時代や。
ほな、見ようかという空気になり、亨 なんかは見る気まんまん。
大崎 先生かて鼻息 が荒 い。
お前なに興奮 してんのや。持って帰るなよ、うちの蔵 の所蔵品 を。
亨 が畳 に巻物 を全部移 し、空 いた水煙 の膝 に、俺は弓彦 を座 らせた。
水煙 はまるで、子供 を抱 くのは初めてやないというふうな、慣 れて気負 わん仕草 で、弓彦 を抱 っこした。
「かしこい子やわ」
にこりともせず、水煙 は真面目 に幼児 の顔を覗 き込 んでいた。
幼児語 とかちゃうんや。水煙 がおかんみたいに、子供 をあやす声になったらどうしようかって、内心 びびってたのに。
水煙 は、俺に話すのと変わらん口調 で、弓彦 と話している。
「お前は、弓彦 や。俺の名は水煙 、この家の御神刀 や。よろしゅう頼 むで」
冷たい美貌 の神に言われて、弓彦 は急にまた、きゃあきゃあと興奮 した喜ぶ声をあげ、まだあどけない動きで、水煙 の腹 にぎゅうっと抱 きついた。
俺のモンやみたいな抱 き方やった。
俺はそれにカチンと来た。
これも、あかんやつや。
いや、いや、あかんあかん。相手は幼児 や。俺の弟や。家族やねんから、水煙 とハグしてもええやろ。
俺はしいひんけどな。水煙 と気軽 にハグしたりしいひん。
畏 れ多い神さんなんやしな。そんなんしいひん。
お兄ちゃんがしいひんのに、なんでお前はそんなことするんや、蜜柑 太郎 。
いくら幼児 でも、ちょっとは遠慮 せえ。お前も秋津 の子なんやろ。
秋津 の子やからやな、水煙 の胸 にグイグイいくのは。
何かそうしたい気持ちが血の中から湧 いてくるんやな。わかる。
「登与 ちゃん、この子、時空人 やな。人界 に出すなら、ちゃんと、自分の歳 を覚 えさせて、ころころ変えんようにさせなあかんで。特に子供のうちはな、躾 がつくまで、人間の、そこらの他の子とは遊ばせんほうがええ」
水煙 の育児アドバイスを聞くおかんの顔は、真剣 そのものやった。
「そうどすな。アキちゃんの時は、一人っ子やし可哀想 やと思うて、小学校から通 わせたんどすけど、えらいいじめられてもうて。ほんまに難儀 どした。ユミちゃんは家で育てましょ」
おいおいおかん、またもや過保護 宣言 か。小学校行け、ユミちゃん。
どうも、水煙 を子供 が生まれた時に呼 ぶのは、これからこの特殊 な子を、どうやって皆 で育てていけばええのかという、相談のためや。
名前はついでや。せやし使い回しでええんや。
問題は、名前なんかやのうて、うちの子が他の子たちとあまりにも違 うということやった。
それでも、秋津 の子は、幸せに育って貰 わな困 るんや。
なんでって、水煙 にとっては皆 、俺も、おとんもおかんも蔦子 さんも、もちろん蜜柑 太郎 もやで。大事な我 が子みたいなもんやからや。
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