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29-14 アキヒコ

蜜柑(みかん)ばっかり食うのが、あかんかったんと(ちが)うか? 蜜柑(みかん)時空操作(じくうそうさ)する力のある果物(くだもん)やからな」 「あら。そうどしたな。うち、悪阻(つわり)(ひど)うて、蜜柑(みかん)ばっかり食べとうなりましたさかい、ついつい」 「まあ……それも、胎内(たいない)の子が(ほっ)するもんやったんかもしれへんな」  まあええか、って、水煙(すいえん)はアバウトやった。  蜜柑(みかん)て……そうなん? 食うと時空(じくう)を旅してまうの?  炬燵(こたつ)蜜柑(みかん)食うてたら戦国時代行ってたりするのん?  そんなん聞いたことないで。アキちゃん鬼道(きどう)(うと)いしな。  蜜柑(みかん)はな、古代では、非時香菓(トキジクノカクノコノミ)といって、いつまでも実ってる不思議(ふしぎ)なフルーツとして、古事記(こじき)にも出てくるんやって。  それは蜜柑(みかん)時空(じくう)超越(ちょうえつ)する力があるせいやと水煙(すいえん)は言うとった。  (もと)はそんなスーパーなフルーツやったやつが、古代にはあったんかもな。  でも今では、スーパーで買える普通(ふつう)のフルーツや。(みんな)の家にもあるやろ?  そやけど、古代の原種(げんしゅ)魔法(まほう)名残(なごり)が、どこかちょっとあるんかな。  弓彦(ゆみひこ)蜜柑(みかん)が好きで、ずうっと食べてるわ。蜜柑(みかん)太郎(たろう)やからな。  まあ、俺も餓鬼(がき)のころ、(もも)ばっかり食うてたらしいわ。桃太郎(ももたろう)やな。  兄貴(あにき)桃太郎(ももたろう)で、弟は蜜柑(みかん)太郎(たろう)や。  俺から出てる霊力(れいりょく)も、(もも)(にお)いするって(とおる)が言うんや。  ほんまかな。ちょっと()ずかしいんやけど、なんやねんそれ。 「(はよ)う見ようや! そんな話、いつでもできるやん!」  アキちゃんの絵見たいハアハアってなってる大崎(おおさき)(しげる)がうるさい。  (みんな)も見たい? 見たいかなあ。  俺は半々(はんはん)やったわ。見たいような、(こわ)いような。  それでも、ここまで来て、見ないという手はない。  (とおる)がふんふんふーんて軽い鼻歌(はなうた)を歌いながら、めっちゃ気軽(きがる)巻物(まきもの)を開いていってた。  それを見守る俺の腹筋(ふっきん)、ものすご緊張(きんちょう)してたで。なんか息もでけへん。  そんな緊迫(きんぱく)の空気の中、開いた絵は日本画で、暗い色調(しきちょう)の、写実的(しゃじつてき)画風(がふう)(えが)かれた、イタチみたいな動物の絵やった。  金色がかった黒い毛並(けな)みを逆立(さかだ)てて、何かに(おこ)ってるみたいな、硬直(こうちょく)したポーズで、水辺(みずべ)に立ってるんやけど、毛並(けな)みの一本一本まで、絵を()でたら感じられそうな、そういう絵やった。  ()れたら(あたた)かいんやないかって、思わず(さわ)りたくなってくる。 「(むじな)やな」  冷たい声で、水煙(すいえん)が言うた。それがこの動物の名前なんやろか。  (むじな)っていうんは、アナグマのことらしい。そういう動物が実際にいてる。  そやけど、この絵の動物は、現実のアナグマとは全然()てへん。 「暁彦(あきひこ)に、絵に()いてくれいうて、せがんで(えが)かせたやつや。あいつは、暁彦(あきひこ)が愛した(しき)を絵に()くのを知ってたからな。(うらや)ましかったんやろう」  水煙(すいえん)は、この金色がかった生き物が、昔うちにいて、おとんに絵を依頼(いらい)したみたいに言うてた。  このイタチかアライグマみたいなんが、うちの庭に現れて、絵を()いてくださいみたいな、メルヘンなのを俺は一瞬(いっしゅん)想像(そうぞう)したが、そういうことではなかった。 「こいつも(おぼろ)(にく)んでいたな。(かげ)では随分(ずいぶん)、やり()うたんと(ちが)うか。まあ、俺も止めはせえへんかったけどな……」  自嘲(じちょう)の笑みで言う水煙(すいえん)の顔の陰影(いんえい)に、俺はやっと(さっ)しがついた。  これはおとんの式神(しきがみ)で、今はもういない、かつてうちに(つか)えていた物の怪(もののけ)なんやな。 「死んだわ。これも。今にして思えば(あわ)れや」  水煙(すいえん)の言う話に、秋尾(あきお)さんが(うなず)いていた。  そういえば秋尾(あきお)さん、この(むじな)という神と、()(くら)べさせられたって言うとったな。  北野(きたの)のホテルで宴会(えんかい)したときに、聞いたわ。思い出した思い出した。  それに秋尾(あきお)さん、まだ(こい)(たらい)もってるやん。  ごめん(わす)れてた、(わす)れてたわあ。 「その(こい)も、あんまり()ったらあかんで、(しげる)。昔、暁彦(あきひこ)()ったやつが、今も()るかもしれん」  うちの近所の桂川(かつらがわ)に、なんか得体(たい)の知れんもんが()るみたいに、水煙(すいえん)大崎(おおさき)先生を注意していた。  (こい)が。  そういえば、けっこう()るねん。黒くて、でかいやつが、いっぱいおってな。  小学生の(ころ)とかに、河原(かわら)に遊びにいったり、学校の写生会(しゃせいかい)で絵を()きにいくと、水面(すいめん)にぬうっと現れて、お父様はいががなされましたか、とか言うんや。  (こわ)いやろ。  一(ぴき)だけおった、ものすご大きい、白い(こい)で、赤と黒のまだら模様(もよう)があるやつやったわ。  綺麗(きれい)(こい)やったあ……。  あれや! あれがその(こい)や⁉︎  確かに()る、なんか()るわ、川に。 「長く生きた(こい)やったし、器量(きりょう)は良かったが、これといって役に立たんもんやったから、暁彦(あきひこ)に言うて川に(ほか)させたんや。うちかて、無限に(しき)(かこ)えるわけやない。雑魚(ざこ)はいらんのやから」  腹立(はらだ)たしそうに、水煙(すいえん)は言い、まるで学校帰りにペットを(ひろ)うてきた子を(しか)るみたいな顔をした。  その(こい)。美しい顔やったん? おとん……。 「その絵もあるはずや。未練(みれん)やな。暁彦(あきひこ)も」  おとん……。わかる。美しかったんやな……? 美しかったんや……。

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