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29-18 アキヒコ

「何を()けばええのか、分からへんのや。俺のこの四年間の成果(せいか)と、これからどんな絵を()いていきたいかを示す、集大成(しゅうたいせい)みたいな絵を()かんとあかんのやけど、それが何なのか(いま)だに分からんねん」 「それは深刻(しんこく)やな」 「うん。まあ。そやな……」  おとんにめっちゃ深刻(しんこく)そうに言われてもうた。 「おとんはさ、あの絵を()くとき、何を思ってたんや。あれ……もう死ぬわて思ってた(ころ)に、()いたんやろ。おとんの遺作(いさく)や」 「そういうことになるんかな」  まあ一応、ほんまやったら死んでんのやもんな。 「言うなれば、絵描(えか)きとしての人生の集大成(しゅうたいせい)やろ」 「そんなええもんやないで。()きたいもんを()いて(のこ)したかっただけや。俺はもう死ぬし、俺が見て、素晴(すば)らしいと思ったもんを、(だれ)かにも伝えたかったんや。自分では伝えられん代わりに、絵にして、(のこ)そうかと……」  言いながら、おとんはものすご遠い目をしてた。 「好きなもん()いたらええんやで、アキちゃん。お前が見て、好きやと思うもんが、ええもんなんや。それを()いて、残せばええんや。お前が見てる世界を」  俺が見てる世界か。  でも、おとん。俺が見てる世界は、(みんな)には見えへん世界やねん。俺にしか見えてへん。  俺にはそれがずっと、悲しかった。子供(こども)(ころ)からずっと、そうやった。  俺が思うほんまの世界のことを、友達に言うても、分かってはもらわれへん。変な子やいうて、(きら)われたり、(なぐ)られたりするんやんか。  そのうちアホらしなって、(だれ)にも言わんようになったわ。  ほんまはこうやのにって思いながら、(うそ)の自分で生きてきたんやで。  ほんまの俺を絵に()いて、(だれ)がそれを喜んでくれるやろ。  そんなもん見たないって、(みな)、思うんやないか?  そうやけど……。俺はずっとほんまは、自分の見てる世界を、(みんな)にも分かってもらいたかったんかもしれへんな。  ただその勇気がなかっただけで。正直に、自分の見たままの世界を()く勇気が、ただ、なかっただけや。 「()けるかな」 「()けるやろ。(ふで)持って紙の前に()ればええんや。手が勝手に()くわ」  おとんがいとも簡単(かんたん)そうに言うもんやから、面白(おもしろ)うなって、俺はまた(わろ)うてた。  そやな。絵ってそういうもんやな、おとん。俺にとっても、ずうっと、そうやったわ。 「おとん、俺な、最近、絵が急に()けへんようになったことがあったんや」 「そんなことあったんか」 「うん。神戸(こうべ)のホテルにおった時な、(とおる)()られてもうたわって思い()んで、(へこ)んだ時にな、まるっきり絵が()けへんようになってもうてん」  俺が話すのを聞いて、おとんはふふふと笑った。それがちょっと、お熱いなと冷やかされているようで俺は()ずかしゅうなって、(うつむ)いて話した。 「なんかな……心の中の火が消えたみたいな気持ちになってもうて、絵筆(えふで)が重うて持てへんねん。()暗闇(くらやみ)やったわ」 「えらいことやったなあ」  おとんは俺を(いた)わるように、相槌(あいづち)打ってくれた。  おとんも絵師(えし)なら、()けへんようになった俺の苦しみは、分かるはず。  俺も絵師(えし)やし、()けへんおとんの苦しみが、わかる。 「俺が好きな絵を()いて生きていくには、何でか知らんけど、あいつが必要やねん。(とおる)が……そばにおって、俺を愛しててくれへんと、俺はもうあかんのや」  気まずいもんやから、石を(いじ)りながら、俺は話してた。  惚気(のろけ)やし、そんなん、俺は言わんのやし。  まして親やし。()ずかしいったらないわ。おとんの顔を見られへん。 「おとんも……そうなんか? そやから絵を、()かへんようになったんか?」  石をいじってる俺は、ほぼ(さい)河原(かわら)子供(こども)やった。  おとんは(だま)って、俺の話を聞いてはいたようやったけど、もう相槌(あいづち)打ってくれへんかった。  (おこ)ってんのやろか。餓鬼(がき)がえらそうな口きくなって、思うてんのかな。  お前に言われたないわって、俺も大崎(おおさき)先生みたいに、おとんにドヤされんのやろか。  たっぷり、どのくらいの(あいだ)やろ。寒いなあって、俺が思うまで、おとんは(だま)っていた。 「アキちゃん。絵を()くことって、そないに大事(だいじ)なことか? 俺にとっては、家や、国を守ることのほうが、ずっと大事(だいじ)やった。そうやと思って生きてきたんや。そのためなら、俺は何でも()てられる。お前や、お登与(とよ)や、家族を守るためやったら、何でも()てる。それが正しい道なんや」  きっぱりと(まよ)いのない口調(くちょう)で、おとんは言うてた。  俺は一応、(うなず)きながら、それを聞いた。  おとんは立派(りっぱ)や。俺は尊敬(そんけい)してる。  そんな勇気が、(だれ)にでもある(わけ)やない。  俺かて、神戸(こうべ)の時は(こわ)かったで。あまりの恐怖(きょうふ)七転八倒(しちてんばっとう)したわ。  それでもな、おとんがおったし、()えられえたんやと思う。  ああいうの、かっこええなって、おとんが俺の目標(もくひょう)で、理想(りそう)やったからやな。  お(かげ)で、俺も未熟(みじゅく)ながら、何とか大役(たいやく)()たせたんや。  おとんのお(かげ)や。

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