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29-22 アキヒコ

 戦いに犠牲(ぎせい)はつきもんや。氷雪(ひょうせつ)(せい)は別に俺を()めてる(わけ)ではなかった。  ただ、明るく軽い、()たり(さわ)りのない話なんか、する気が起きんということやった。 「怜司(れいじ)は、()れていかへんのですか」  車が京都府内に入る(ころ)啓太(けいた)突然(とつぜん)、口をきいた。  ふっと思い出したような口ぶりやった。 「あいつは、戦後に蔦子(つたこ)さんのとこにふらっと現れて以来、ずうっと神戸やったし、一人でいたがるもんやから、一緒(いっしょ)には()らしたことはないんや。昔、そちらの本家(ほんけ)相当(そうとう)(いや)な目にあったようや。先生と一緒(いっしょ)()らせて言うても、(いや)がると思いますよ」  車にぎっしり乗ってる、(とおる)水煙(すいえん)と俺と、そして瑞季(みずき)をちらりとバックミラー()しに見てきて、啓太(けいた)は冷たい声で言うた。  そうか。そうやった。  俺はこれから出町(でまち)のマンションに帰るけど、(とおる)とふたり、楽しいハッピーエンドを(いわ)えるわけやない。  水煙(すいえん)は、まあ、いいとして。  瑞季(みずき)もおるのやし、こいつをどうしよう。  これから帰って、一体どないしようって、俺は(なや)んだ。  うちにはベッドが一個しかないしな。そこでまた、三人で()よか、どうしようかって、そんな話になるんか。  しんどいな……って、俺は思うた。  正直、(つか)れてたし、何も考えんと、(とおる)()いて(ねむ)りたかったんや。  それが俺の未熟(みじゅく)さやといえば、その通りやった。  瑞季(みずき)には、俺の気持ちが読めてたらしい。  なんか、犬がふっと軽くなったような気がして、車が高速を下り、京都市内に入る(ころ)には、瑞季(みずき)はどんどん小さい犬になっていってた。  黒い犬やと思ってたけど、それに白い毛並(けな)みが混ざり始め、だんだん、小さくなってきて、最後には、(どろ)だらけの()てられたマルチーズになっていた。  可愛(かわい)い。けど、犬はぶるぶる(ふる)えていたし、()せこけて、今にも死にそうやった。  俺はそれには気づいてた。  でも、大騒(おおさわ)ぎしたところで、どうにもならへん。  動物病院でも連れていくか?  そんなことしたかて、多分なんの解決にもならんのやという事は、俺にも分かってた。  こいつに必要なのは、愛で、それは他の(だれ)かではない、俺の愛なんや。  ここに()てもええんやでって、(むか)えてもらえる(あたた)かい寝床(ねどこ)とか、そういうものが必要なだけや。 「アキちゃん。今夜はそれ、血をやったほうがええで。死んで(かま)わんのやったら別やけど」  太刀(たち)のままの水煙(すいえん)が、(さっ)したふうに俺に言うてきた。 「マジかよ。またなん? 俺とアキちゃんのハッピーエンディングエッチはどないなるんや」  (とおる)()(かえ)りもせず、真面目(まじめ)くさってアホなことを言うた。  いつもの水地(みずち)(とおる)クオリティや。気にすることない。  そうやけど、瑞季(みずき)はまた一段(いちだん)と、(かる)うなってた。  これは、ちょっと、()(たま)れん感じやな。  このままの生活がずうっと続くというのは、お互い(みんな)、どないかなってしまうやろう。  俺は何かを、決心せなあかんのやろうな。  そう思えたけど、何を決心すりゃええのか、分からへん。  車は何事もなく出町(でまち)の家に着き、神戸(こうべ)にいた時、ものすご遠い別世界に思えた帰るべき場所が、なんのことはない普通(ふつう)の日常として、また俺の目の前にあった。  家ん中は、なんの変わりもない。  出かけたとき、そのまんまで、キッチンには帰ったら(あら)おうと思ってたコーヒーカップが強烈(きょうれつ)にカビ生えて残ってたし、炊飯器(すいはんき)の中の(めし)はかなりの()()れになっていた。  乾燥機(かんそうき)には、(かわ)かしてあった洗濯物(せんたくもの)が、くっしゃくしゃになって冷え切り、テレビの前には(とおる)がナイター見るときに()きついて()め上げる用のトラッキーのぬいぐるみが横たわっていた。  (おどろ)いたことに、俺にはその、トラッキーのぬいぐるみさえ、信太(しんた)を思い出して気が(とが)めた。  あいつは死んで、寛太(かんた)もあんな目に()うたのに、俺だけが、のうのうとハッピーエンドなんかできひん。  俺も、死ぬべきやったんやないかって、トラッキー見ただけで思えて、ものすご気が滅入(めい)ってもうた。  俺は瑞季(みずき)をとりあえずソファに()かせて、途方(とほう)にくれた。  なんか(つか)れてもうたし、自分の家やのに、ここで何をしたらえんか、分からへん。  前はどうして()ごしてたんか、(わす)れてもうたわ。 「アキちゃん、水煙(すいえん)どうする?」  まだ太刀(たち)やった水煙(すいえん)を俺に見せて、(とおる)が聞いてきた。  そうやった。神棚(かみだな)()うたらなあかんのやな。  そんなん、どこで買えるんやろう。(だれ)かに聞かな、それも分からへん。  卒業製作も手付かずやったわ。絵()かなあかんのやった。  まだ全然、できてない。それも、どないしよう。  俺は一体、何からやればええんやろ。 「水煙(すいえん)()てんのかな。返事せえへんようになった」  とりあえずの感のある置き方で、(とおる)水煙(すいえん)を、ソファの瑞季(みずき)とは反対側に置いた。  水煙(すいえん)()てんのか起きてんのか、俺には分からへん。 「アキちゃん……キスしよ」  とろんと(あま)い声で、(とおる)は俺の()()きついてきて、後ろから回された白い(うで)が、俺の脇腹(わきばら)()でていた。

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