814 / 928
29-22 アキヒコ
戦いに犠牲 はつきもんや。氷雪 の精 は別に俺を責 めてる訳 ではなかった。
ただ、明るく軽い、当 たり障 りのない話なんか、する気が起きんということやった。
「怜司 は、連 れていかへんのですか」
車が京都府内に入る頃 、啓太 は突然 、口をきいた。
ふっと思い出したような口ぶりやった。
「あいつは、戦後に蔦子 さんのとこにふらっと現れて以来、ずうっと神戸やったし、一人でいたがるもんやから、一緒 には暮 らしたことはないんや。昔、そちらの本家 で相当 、嫌 な目にあったようや。先生と一緒 に暮 らせて言うても、嫌 がると思いますよ」
車にぎっしり乗ってる、亨 と水煙 と俺と、そして瑞季 をちらりとバックミラー越 しに見てきて、啓太 は冷たい声で言うた。
そうか。そうやった。
俺はこれから出町 のマンションに帰るけど、亨 とふたり、楽しいハッピーエンドを祝 えるわけやない。
水煙 は、まあ、いいとして。
瑞季 もおるのやし、こいつをどうしよう。
これから帰って、一体どないしようって、俺は悩 んだ。
うちにはベッドが一個しかないしな。そこでまた、三人で寝 よか、どうしようかって、そんな話になるんか。
しんどいな……って、俺は思うた。
正直、疲 れてたし、何も考えんと、亨 を抱 いて眠 りたかったんや。
それが俺の未熟 さやといえば、その通りやった。
瑞季 には、俺の気持ちが読めてたらしい。
なんか、犬がふっと軽くなったような気がして、車が高速を下り、京都市内に入る頃 には、瑞季 はどんどん小さい犬になっていってた。
黒い犬やと思ってたけど、それに白い毛並 みが混ざり始め、だんだん、小さくなってきて、最後には、泥 だらけの捨 てられたマルチーズになっていた。
可愛 い。けど、犬はぶるぶる震 えていたし、痩 せこけて、今にも死にそうやった。
俺はそれには気づいてた。
でも、大騒 ぎしたところで、どうにもならへん。
動物病院でも連れていくか?
そんなことしたかて、多分なんの解決にもならんのやという事は、俺にも分かってた。
こいつに必要なのは、愛で、それは他の誰 かではない、俺の愛なんや。
ここに居 てもええんやでって、迎 えてもらえる暖 かい寝床 とか、そういうものが必要なだけや。
「アキちゃん。今夜はそれ、血をやったほうがええで。死んで構 わんのやったら別やけど」
太刀 のままの水煙 が、察 したふうに俺に言うてきた。
「マジかよ。またなん? 俺とアキちゃんのハッピーエンディングエッチはどないなるんや」
亨 が振 り返 りもせず、真面目 くさってアホなことを言うた。
いつもの水地 亨 クオリティや。気にすることない。
そうやけど、瑞季 はまた一段 と、軽 うなってた。
これは、ちょっと、居 た堪 れん感じやな。
このままの生活がずうっと続くというのは、お互い皆 、どないかなってしまうやろう。
俺は何かを、決心せなあかんのやろうな。
そう思えたけど、何を決心すりゃええのか、分からへん。
車は何事もなく出町 の家に着き、神戸 にいた時、ものすご遠い別世界に思えた帰るべき場所が、なんのことはない普通 の日常として、また俺の目の前にあった。
家ん中は、なんの変わりもない。
出かけたとき、そのまんまで、キッチンには帰ったら洗 おうと思ってたコーヒーカップが強烈 にカビ生えて残ってたし、炊飯器 の中の飯 はかなりの枯 れ枯 れになっていた。
乾燥機 には、乾 かしてあった洗濯物 が、くっしゃくしゃになって冷え切り、テレビの前には亨 がナイター見るときに抱 きついて締 め上げる用のトラッキーのぬいぐるみが横たわっていた。
驚 いたことに、俺にはその、トラッキーのぬいぐるみさえ、信太 を思い出して気が咎 めた。
あいつは死んで、寛太 もあんな目に遭 うたのに、俺だけが、のうのうとハッピーエンドなんかできひん。
俺も、死ぬべきやったんやないかって、トラッキー見ただけで思えて、ものすご気が滅入 ってもうた。
俺は瑞季 をとりあえずソファに寝 かせて、途方 にくれた。
なんか疲 れてもうたし、自分の家やのに、ここで何をしたらえんか、分からへん。
前はどうして過 ごしてたんか、忘 れてもうたわ。
「アキちゃん、水煙 どうする?」
まだ太刀 やった水煙 を俺に見せて、亨 が聞いてきた。
そうやった。神棚 買 うたらなあかんのやな。
そんなん、どこで買えるんやろう。誰 かに聞かな、それも分からへん。
卒業製作も手付かずやったわ。絵描 かなあかんのやった。
まだ全然、できてない。それも、どないしよう。
俺は一体、何からやればええんやろ。
「水煙 、寝 てんのかな。返事せえへんようになった」
とりあえずの感のある置き方で、亨 は水煙 を、ソファの瑞季 とは反対側に置いた。
水煙 が寝 てんのか起きてんのか、俺には分からへん。
「アキちゃん……キスしよ」
とろんと甘 い声で、亨 は俺の背 に抱 きついてきて、後ろから回された白い腕 が、俺の脇腹 を撫 でていた。
ともだちにシェアしよう!