817 / 928

29-25 アキヒコ

 瑞季(みずき)はもう人型(ひとがた)をしてて、津波(つなみ)の海で何があったんか、着てた服は(やぶ)れてて、(かみ)はぐちゃぐちゃやし、見る(かげ)もなかった。  何かに(おび)えたような目をしてた。  大きな目が落ち(くぼ)んでて、瑞季(みずき)玄関(げんかん)(すみ)(ちぢ)こまって、(かす)かに(ふる)えてた。  でも、人型(ひとがた)変転(へんてん)できたのやし、回復はしたということや。  ひとまず良かったんや、これで。  俺はそう自分に言い聞かせて、なるべくゆっくりと、瑞季(みずき)のそばまで歩いた。  片膝(かたひざ)ついて(すわ)り、視線(しせん)を合わせると、瑞季(みずき)上目遣(うわめづか)いに俺を見た。  俺のことも、(こわ)いという目やった。 「大丈夫(だいじょうぶ)か、瑞季(みずき)」  俺が聞くと、瑞季(みずき)はうんうんと(うなず)いた。  まるで、大丈夫(だいじょうぶ)やないとあかんみたいな(うなず)き方やった。 「ほんまのこと言うてええんやで」  苦笑(くしょう)して、俺はもういっぺん聞いた。  そしたら何でか知らんけど、瑞季(みずき)(いや)やっていうふうに、首を横に()って、自分の(かか)えた(ひざ)に顔を()めて(かく)した。 「足引っ張ってすみません」 「全然そんなことないで。気にすることない」 「でも先輩(せんぱい)の役に立たへんかったし。俺いらないですよね。あの人もそう言うてた」  お前、(へこ)んでんのやなって、それだけはよく分かる涙声(なみだごえ)で、瑞季(みずき)は早口に言うて、悲しそうやった。 「水煙(すいえん)か? 気にすんな……。あいつは、ああいうもんやねん。いつもキツいんや。(とおる)以上に」  (とおる)もお前には冷たいもんな。  そりゃ冷たくもなる。しょうがないことや、それは。  あいつもお前に愛想(あいそう)良くはできひんやろう。  一度は殺しあった(なか)やもん。禍根(かこん)を残すなというのも(むずか)しい。 「水が、(こわ)くて……何も考えられへんようになってもうたんです。先輩(せんぱい)のためなら死ねるって思うてたのに、口先(くちさき)だけやったんかな」  そういう自分が(なさ)けない。そういう目で、瑞季(みずき)は泣いてた。 「病気のせいやろ。そういう時もあるさ。とにかく全部、無事終わったんやし。もう気にするな」  ぐしゃぐしゃなってる瑞季(みずき)の頭を、さらにぐしゃぐしゃに()でて、俺は(はげ)ました。  瑞季(みずき)はもう泣いてはおらんかったけど、まだ軽くしゃくりあげていた。 「風呂(ふろ)入ったらどうや。お前どろどろやで。綺麗(きれい)にしてから、なんか食って、元気出せ。なんか食いたいモンないか?」  とにかく瑞季(みずき)を元気づけようと、俺は明るく振舞(ふるま)っていた。  それを見て安心したんか、瑞季(みずき)は鼻すすりながら、思ってもみんかったような事を言うた。 「学食のカツ(どん)食いたいです」 「カツ(どん)?」  ああ、大学のアレな。けっこう美味(うま)いって評判(ほうばん)ええねんな。  校外(こうがい)からわざわざ食いにくる人もいてる。うちの美大(びだい)名物(めいぶつ)やねん。  俺も食うたことある。あの学校いってて、学食のカツ(どん)食うたことない(やつ)いいひんと思う。  瑞季(みずき)とも食いに行ったこともある。  一緒(いっしょ)製作(せいさく)やってた、祇園祭(ぎおんまつり)のCGの打ち合わせがてら、学食で(めし)食おうかって事になり。  でも、由香(ゆか)ちゃんはダイエット中やし(めし)食わんて言うて、二人で行ったんや。  話は一切(いっさい)(はず)まんかった。  気まずい沈黙(ちんもく)の中で食ったカツ(どん)やった。  お前、あれ好きやったんか、瑞季(みずき)。確かに大盛(おおも)り食うてた。 「そうか……。ほな、行こか、学食」  どうせ大学には顔出さなあかんのや、俺は。 「卒制(そつせい)がな、まだ全然やねん」  急に現実的なことを、俺は瑞季(みずき)に言うた。  そしたら瑞季(みずき)は、えっという現実的な(おどろ)きの顔をした。 「今日、何日なんですか?」 「八月二十六日やで」 「どれくらい()けてるんです?」 「そやから全然やん。何(えが)くかすら決めてへんわ。(その)先生に原案(げんあん)出すいうて、ずっと放置(ほうち)やわ」  普通(ふつう)なら、夏休み中にある程度(ていど)目処(めど)は立ててる予定やったもんや。 「()いた方がええんやないです?」 「そうやろ。このままやと卒業が(あや)ういわ。お前も一緒(いっしょ)にカツ(どん)食いにいこか」 「でも……俺……、どんな顔して行ったらええんやろ。顔出せるもんやない気がします」  あのキャンパスで由香(ゆか)ちゃんは死んだ。お前に殺されたんや。  その場に行って、(あやま)ったらどうや、由香(ゆか)ちゃんに。  墓参りかて行けるんやしな。  俺はもう行ったけど、お前ともういっぺん行ったっていい。  それに、大学にはお前のこと心配してる(やつ)らもおるわ。  (その)先生かて、そうやろうし。  そこまで思って、俺はまた現実的なことを思い出した。  こいつ、親が()るんやった。  養子(ようし)や言うてたけど、でも、人間のフリして生きてきて、大阪(おおさか)に家があるし、家族も()るんやった。  そこへ帰らなあかんのやないか?  こいつは確かに、人間やない。俺の(しき)になった。  そやけど親は心配してるやろう。  大阪(おおさか)の事件以降(いこう)勝呂(すぐろ)瑞季(みずき)失踪(しっそう)していた。死んでないんやし、遺体(いたい)も出てない。  警察(けいさつ)は、こいつが犯人なんやないかと見て捜査(そうさ)してたが、結局は迷宮(めいきゅう)()りやったんや。  お前はまだ、人界(じんかい)にやり残した事や、()たすべき義理(ぎり)があるんやないのか?  せめて親には挨拶(あいさつ)させよう。  復学(ふくがく)も、しようと思えばできるんやないか。

ともだちにシェアしよう!