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29-26 アキヒコ

 地獄(じごく)に落ちて、こいつは自分の(つみ)(つぐな)ったんや。  そうしてまた、娑婆(しゃば)(もど)ってきたんやっていうんなら、この先の自分の人生を考えたってええはずや。  どうやって、世に()くして生きてくか。  俺もそうやったように、死んでではなく、生きてお()びをするんやったら、お前もただの犬では生きていかれへん。  何か役に立つ(もん)にならなあかんやろ。  まずは、親と家のことを、ちゃんとせえ、って、それは俺ならではの発想(はっそう)やったかな。  まずは学校いくついでにカツ(どん)食うて、(その)先生に挨拶(あいさつ)して、それから大阪(おおさか)の、勝呂(すぐろ)瑞季(みずき)の家に行く。  帰らへんなら帰らへんで、ちゃんと話をつけなあかんて思うてた。  どうやって何を話すんや、って、それについては考えてへんかったな。  俺も未熟(みじゅく)や、アホやったわ。  瑞季(みずき)と俺は風呂(ふろ)に入り……一緒(いっしょ)にやないで、順番(じゅんばん)にやで……着替(きが)えて大学に出かけることにした。  (とおる)水煙(すいえん)はまだ()てて、まだ真夏やった早朝の出町柳(でまちやなぎ)を、俺は犬と大学へ。  瑞季(みずき)は顔(かく)したいんか、このクソ暑いのにパーカー着て、フードを目深(まぶか)(かぶ)ってた。  お前、それ、返って目立つで。  フードの中の顔が、めちゃめちゃ可愛(かわい)いんやしな?  久しぶりに乗って感動もんやった、なんの変哲(へんてつ)も無い叡山(えいざん)電鉄の車内で、観光で来てはった旅行者のお姉さんたちに、見て見て、あの子可愛(かわい)い、アイドルかな? って言われてた。  写真も()られた。  容貌(ようぼう)が美しいということは、()っていいということや。そう勘違(かんちが)いしてる人らがいてる。  特に今どき、みんなスマホは持ってる。何ならカメラも持ってる、観光客だらけの京都やしな、パパラッチだらけや。  俺も昔からそうやった。小学校の通学路で(だれ)やいうおっさんが一眼(いちがん)レフ(かま)えて追いかけてきたり、高校の通学路で女子高生がいきなり()ってきたりする。大学の通学路でもそうや。  特に勝呂(すぐろ)瑞季(みずき)叡電(えいでん)乗ってると、時々、どこからともなくシャッター音がした。  ヴィラ北野(きたの)のロビーでは、(おどろ)くほど美しい(やつ)が、(あき)れるほど美しい(やつ)抱き合(だきお)うてキスしてても、(だれ)()(かえ)らへんかった。それが普通(ふつう)の世界やった。  そやけど俗世(ぞくせ)ではあれは異常(いじょう)や。  (しき)(みな)、顔を(かく)して()らしてる。  秋尾(あきお)さんかて、メガネかけたら()えへん中年男や。  (とおる)は写真に写らへん。  水煙(すいえん)(いた)っては、ほんまもんの美しい顔が、(おく)(おく)(かく)されていて、(おが)むことさえ至難(しなん)(わざ)やった。  瑞季(みずき)。お前にも何か、目立たんようにする(わざ)()るんかもしれへんな。  特に今、以前とは(ちご)うて、世間(せけん)に顔(さら)したないっていう意識でおるなら、電車でバシバシ写真に()られるようでは、(こま)るんやもんな。  ()らんといてやってくれ。  そう思った俺のせいで、お姉さん達の観光写真、なんでか消えてもうてたやろか。  インスタ()えしそうなやつは、なるべく残しておけたつもりやねんけどな。  アキちゃん全消去(ぜんしょうきょ)しか()れてへんから、失敗してたらゴメンやで。  電車は駅に着き、大学の門のところで解錠(かいじょう)してた守衛(しゅえい)のおっちゃんに、兄ちゃんら早いなあって(おどろ)かれた。  (その)先生、来てはりますかって聞いたら、来てるって。  先生、いっつも早いんや。  朝早う来て、夜(おそ)うまでいてる。学校に住んでんのやという(うわさ)さえある。  ほんまかどうかは知らんけど、先生、いつでも()ることは(たし)かや。  家に()づろうてね、という話を先生はしてた。  前も言うたっけ? (その)先生ん()は代々、政治家さんやねん。  お父さんと弟さんが代議士(だいぎし)で、ほんまやったら先生も出馬(しゅつば)せえいう人やったみたいやけど、先生、ぼんくらやし絵()いてんのやんか。  そこが俺と相通(あいつう)ずるもんがある、と先生は(おも)たんか、(みょう)に俺にすり()ってきはって、本間(ほんま)君は旧家(きゅうか)の一人息子やろ、家継(いえつ)ぐとかないのん、絵()いててええのんか、お母さん(おこ)ってはらへんかって、心配げに首()()んで来はったりしてたわ。  ほっといてくれ余計(よけい)なお世話やでって思うてたけど、あれ先生、心配してくれてたんやんな。  絵()いて食うていく道は(きび)しいで。モノになる(やつ)一握(ひとにぎ)りだけやで。お前はどないするつもりやって、先生は浮世(うきよ)(ばな)れした学生のことを、それとのう心配してくれてはるんやな。  それとも(たん)に、良家(りょうけ)のグレてる坊々(ぼんぼん)仲間で(きず)()めあいたいだけか。 「先生、おはようございます」  ノックした瞬間(しゅんかん)(その)先生の部屋のドア開けて、俺は挨拶(あいさつ)をした。  先生、うわあ言うて椅子(いす)から落ちてた。びっくりしてもうたらしい。  俺、(きゅう)やった? まあそうやったな。 「ほ、本間(ほんま)くん⁉︎ え⁉︎ す、勝呂(すぐろ)君やないか……」  (その)先生、しばらく絶句(ぜっく)してた。  まあそりゃあそうやわな。  勝呂(すぐろ)瑞季(みずき)はずっと消えてた。失踪(しっそう)や。死んだとも言われてた。  疫病(えや)みの時、こいつと俺は警察(けいさつ)に、犯人(はんにん)(あつか)いされて捜査(そうさ)されたし、俺は無罪(むざい)放免(ほうめん)なったものの、勝呂(すぐろ)はグレーのままやった。  それは(みな)薄々(うすうす)感じてたはずや。  あんぐりってなったまま、先生は朝飯(あさめし)やったんか、コンビニのおにぎり食うてたやつを、ずっと手に持ってた。

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