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29-33 アキヒコ

 普通(ふつう)やったら(いの)るしかできないところを、俺は鬼道(きどう)の世界の男になった。君のためにもっと何か、出来ることがあるやろう。 あって良かった。せめてもの罪滅(つみほろ)ぼしに、俺はその日までに、ぎょうさん修行(しゅぎょう)()んどくわ、由香(ゆか)ちゃん。  あの時は、後ろめたさに(ふる)え、(だま)って()びることしかできひんかったけど、今はそれよりマシな(いの)りを、君に(ささ)げられて良かったわ。  でも、できれば君の(たましい)は、(まよ)うて彷徨(さまよ)ったりすることなく、光のあるほうへ行けたらええな。  もうあの時の犬は、君を追いかけたりしいひん。もう、深く、後悔(こうかい)してる。君を()んだこと、血を流させたことを、深く反省(はんせい)してるんや。  (うら)むなとは言えへん。(うら)まれて当然の事をした。  そうやけど、こいつに(つぐな)機会(きかい)をやってくれ。地獄(じごく)で苦しむだけやと足りひん。この世で、人を助けて、(つぐな)わせてやってほしいんや。  由香(ゆか)ちゃん。君が俺のせいで死んだこと、一生(わす)れへん。瑞季(みずき)もそうやろう。君が感じたやろう(いた)みを、ずっと思って生きていく。  夕日が(しず)んで、気づけば暗くなってきていた。もう、行かなあかん。 「大阪(おおさか)いこか、瑞季(みずき)」  俺が急に言うと、瑞季(みずき)はビクッとした。(おどろ)いたみたいやった。 「大阪(おおさか)ですか? なんで?」 「お前の家に行くねん」  俺が教えると、瑞季(みずき)はちょっと息をのんで、目を見開(みひら)いた。緊張(きんちょう)したような顔やった。  あの時、死んで、ずっとそれっきりやったんやろう。瑞季(みずき)は親に会ってはいなかった。それも変やって思うべきやった。  俺やったら、帰れる身になったらすぐに、おかんのとこにすっ飛んで帰るやろう。  心配かけたし、会いたいからや。アキちゃんマザコンやしな。  瑞季(みずき)かて、親は大事やろう。俺はそう思い込(おもいこ)んでた。 「何で行くんですか……」  身構(みがま)えた口調(くちょう)で、瑞季(みずき)は俺を一歩(はな)れて見上げて来た。  すぐに()げられる間合(まあ)いを取ってるみたいに、俺には見えた。 「何でって……お前は帰るべきや。家族も心配してるやろ。俺の(しき)やって頭から思い()んでて、つい出町(でまち)に連れて帰ってもうたけど、お前ん()大阪(おおさか)にあるんやもんな」  それが道理(どうり)や。俺はそういう(さと)口調(くちょう)やったんかもしれへん。  だってそうやろ。親が心配してこいつを待ってるのに、うちとか、嵐山(あらしやま)の家とか、まして蔦子(つたこ)さんの甲子園(こうしえん)の家に瑞季(みずき)(あず)けるのは、おかしい気がする。家に帰るべきや。  そやのに、瑞季(みずき)はそう思ってへんみたいやった。 「俺が……邪魔(じゃま)なんやったら、そう言うてください。先輩(せんぱい)」 「そんなこと言うてへんやないか。親に顔見せるぐらいするべきや。ずっと、帰ってへんのやろ?」  もう二ヶ月になるか、もっとか?  こいつが地獄(じごく)で三万年過ごす間、こっちでも時は流れてた。その間、どこに行ったか、死んでもうたかどうかも分からん息子を、親が待ってない(わけ)があるやろうか。  うちのおとんなんかな、死んで七十年以上も経ってんのに、おかんや蔦子(つたこ)さんは、生きて帰ると信じて待ってた。それが家族ってもんや。  お前の家族かてそうや、瑞季(みずき)。お前を待ってる。 「行こ。京阪(けいはん)やろ? 俺も一緒(いっしょ)に行くわ。その上で、俺んとこに()りたいんなら、ちゃんと挨拶(あいさつ)して説明(せつめい)するし……」  そう言うたけど、なんて挨拶(あいさつ)するんか、俺にはまだ見当(けんとう)もついてへんかった。  お父さん、お母さん、息子さんをうちにください。必ず幸せにします。て言うんか?  えええええ。そうか? そういうのか?  どないすんねんそれ。  着くまでに、もっとマシなプランを考えなあかん。  大阪(おおさか)まで、しばらくかかるし、必死で考えようって俺は思って、駅に向かって歩き出したが、瑞季(みずき)の足はめちゃくちゃ重かった。  散歩を(いや)がる犬を引っ張って歩くみたいな気分や。  それでも瑞季(みずき)(だま)ってついてきた。  俺から一歩(はな)れ、(なな)め後ろを歩いて来る。叡電(えいでん)に乗って、出町柳(でまちやなぎ)京阪(けいはん)に乗り()えて、大阪(おおさか)まで走る特急(とっきゅう)に乗る。  京阪(けいはん)特急(とっきゅう)はちょっと、遠くへ行く気分になる列車(れっしゃ)や。  座席(ざせき)は二人がけのシートやし、(まど)にはカーテンがかかってる。プライバシーをほどほどに守りつつ、ちょっと遠くへいくのを楽しめるようになってる。  瑞季(みずき)は全然楽しそうではなかった。暗い表情で、押し黙(おしだま)っていた。  目の下にうっすら隈(くま)が()き、(はだ)が白いもんやから、それがひどく際立(きわだ)って見えた。 「しんどいんか、瑞季(みずき)。血、いるか?」  もうエネルギー切れか?  そう心配して、俺はもうどこかズレてきてもうてるんやろな、吸血(きゅうけつ)するかって聞いてた。  瑞季(みずき)はびっくりしたように、首を横に()った。 「電車ん中ですよ、先輩(せんぱい)。そんなん()ずかしいてできへんわ」  (はじ)や、って顔を、瑞季(みずき)はしてた。  そうやっけ。吸血(きゅうけつ)はゴハンやろ。特急(とっきゅう)の車内でパン食うたり、おにぎり食うのと同じやないか?  実際、京阪(けいはん)の駅の志津屋(しづや)()うたパン食うてる人おったし、別にいいかなって。 「コーヒー飲んでください」

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