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29-34 アキヒコ

 ()ずかしそうに、瑞季(みずき)祇園四条(ぎおんしじょう)の駅のスタバで()うたアイスコーヒーを俺に()し出した。  気がきく犬は、あれこれ言わんでも、俺の(この)みのコーヒーを()うてきてた。  こいつは、可愛(かわい)い。(ひか)えめやし、よう気がつく。それに俺よりずっと小柄(こがら)やし、()(くさ)そうに横に(すわ)って、どぎまぎしてるのも可愛(かわい)い。  なんやそれが変な気がして、俺は気がついた。  俺、(とおる)になんも言うてきてへんわ。  あいつ()てたし、そのまま出かけて来たんやった。  とっくに起きてて、アキちゃんどこやって、心配してるかな?  連絡(れんらく)ぐらい入れとこかと思って、俺は(とおる)携帯(けいたい)からメッセージを送った。大阪(おおさか)の家に瑞季(みずき)を送ってくるわ、って。  文字を打ってる俺を、瑞季(みずき)が横でずっと見てた。 「一緒(いっしょ)大阪(おおさか)いくの、(はじ)めてですね」 「そうやな」  電話をしまいながら、俺は生返事(なまへんじ)してた。 「何かちょっと、デートみたい……ですよね」  俺とは目も合わせられんていうふうに、瑞季(みずき)(うつむ)いたまま言うて、俺は飲もうとしたアイスコーヒーに噎(む)せた。 「あ、すいません。変なこと言うて」  俺が()き込むのを心配したんか、瑞季(みずき)が俺の()()でた。  それに何や、ぞわっとした。ぞくっとしたと言うか。言い訳(いいわけ)してもしゃあないか。要するに、瑞季(みずき)の手が()()でる感触(かんしょく)に、ぐっときたんや。  気軽(きがる)に俺に(さわ)(やつ)ではなかった。  大阪(おおさか)の一件の前なんて、手も()れんようにしてたんや。  お(たが)いに、そうやった気がする。  俺は、もしも()れたら、自分がどうかなって、辛抱(しんぼう)できひんようになる気がして、こいつが(こわ)かった。  そのときの気持ちは封印(ふういん)されて、俺の心の奥底(おくそこ)(ねむ)っていた気がする。  それは、開けたらあかん(はこ)やったんや。  俺がびっくりして身をよじり、手を()けたもんやし、瑞季(みずき)もびっくりしていた。  じわっと暗い顔になり、瑞季(みずき)出来(でき)(かぎ)り俺から身を引いた。  シートに(しず)み、小さくなって、瑞季(みずき)()()やった。 「すいません。俺、痴漢(ちかん)みたいやな」  いやいやそんなことない。過剰(かじょう)意識(いしき)した俺が変やった。堪忍(かんにん)や。  瑞季(みずき)がひどく(きず)ついたようやったんで、俺も(あわ)てた。  そんな顔せんとってくれ。気まずさでいっぱいや。 「ほんまにそうかも。先輩(せんぱい)に、(さわ)りたいんです。今日、いっぺんも、(さわ)ってない。犬やと()いてもらえんのに」  お前わざと(さわ)ったんか、俺に。  気まずさが、さらに(ばい)。 「(さわ)ったら、あかんのですか、俺も。先輩(せんぱい)、あの人ともキスしてたやん。見たよ……」  (まど)にくっ()くようにして、(おく)のシートに(すわ)ってる瑞季(みずき)が、俺の顔は見られんまま、苦しそうに言うてた。  見たんか、お前。それ、水煙(すいえん)の話してるんやな。  そういえば、あの時お前もソファに()ったんやもんな。  見てたんや。()てんのやと思ってたというか……お前のこと、(わす)れてたんかもしれへん。  水煙(すいえん)が見てても、俺は平気で(とおる)とキスしてもうてたし、それと同じか。 「俺もしたいな……。先輩(せんぱい)とキスしたい。(いや)やったら、手を(つな)ぐだけでもいい」  瑞季(みずき)の声は、ものすご小さかった。少し(かす)れた(ささや)き声で、俺には聞こえたけど、たぶん、人間の可聴域(かちょういき)()えてた。  声ではない、声やった。 「だめですか?」 「あかん」  誘惑(ゆうわく)気配(けはい)のする声で聞く瑞季(みずき)に、俺は即答(そくとう)してた。  あかん、それは(こわ)い。  我慢(がまん)できひんようになる自分を感じる。  お前が好きやって、頭イカレてきて、自分が何をするんか分からへん。  俺、アホやった。なんで二人で来てもうたんやろう。  今日は帰って、(とおる)水煙(すいえん)に、後日(ごじつ)(らた)めて付いて来てもらえばよかった。  けど、本音(ほんね)を言うたら、こいつを早く家に帰してやりたかったんや。  それはつまり、厄介(やっかい)(はら)いということやったんかもしれへん。  俺は犬を大阪(おおさか)()てに行こうとしてたんやろか。いろいろ理屈(りくつ)はつけてみても、俺には瑞季(みずき)重荷(おもに)やった。  (きら)いやからやない。邪魔(じゃま)なわけでもないんや。好きやから、重たいねん。  俺がこいつに変な気起こさへんように、ずっと(こら)えるんが、しんどいんや。  めちゃくちゃしんどい。  俺は気づくと自分の顔を(おお)ってた。見るのもしんどい。こいつが横に()気配(けはい)さえ、重い。  早くこいつを大阪(おおさか)の家族に返して、俺も京都に()げて帰ろう。(とおる)のとこへ。俺はそう急いでた。  だからって京阪(けいはん)特急が倍の速さで走ってくれる(わけ)やない。大阪(おおさか)までは、しばらくかかるんや。  その時が、すごく長く引き伸(ひきの)ばされて感じられて、俺は苦痛(くつう)やった。瑞季(みずき)もたぶん、(つら)かったやろう。 「すみません……変なこと言うて」  こいつ何回俺に(あやま)ったやろ。いつも、居処(いどころ)が無さそうにしてる。  俺が瑞季(みずき)居場所(いばしょ)(あた)えてやってないんやから、それは当たり前のことやった。

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